空には三日月

 川沿いの道、川と歩道を区切る歩道より高い壁があり、壁に寄せて停められた自転車はハンドルと荷物籠が壁より高い。そこに日が差してこんな影が出来ている。淡く淋しいと思うけれど、楽しく愉快でもある。こんなところにカメラを向けるのは一体どんな気分なんだ・・・自分のことなのにわからない。冬になると葉を落とした落葉樹の幹や枝の影が道路や建物の壁に揺らいでいる。そういう影を見ると写真を撮りたくなる。写真を撮るまたは撮った理由を考えたところでどうしようもない。言葉以前のところに理由があるのかもしれないから、文章に出来るようなところに答えはないんじゃないか。

 この川沿いの道にはむかしボウリング場があった。いまはマンションが建っている。長年ボウリング場の支配人だったAさんという人がいたとして、Aさんはプロ並みにボウリングが上手だ。Aさんはボウリング場の閉鎖の日まで務める。最後の客が帰り従業員に最後の挨拶をし、皆が帰宅したあと、支配人は一人でボウリング場最後の客となる・・・なんていう物語があったかもしれないが、多分なかった。でも、そういうことがあったと仮定して、支配人は一ゲームを一人、投げる。250点くらいを出した。そして、ボウリング場の配電盤のスイッチをオフにし、鍵を閉めた。もう二度とボウリングはしないと決めていて、もう長年勤めたボウリング場を振り返ることもなかった。その空には三日月が掛かっている。

 ま、妄想のカケラでした。曖昧な影の写真とともに浮かんだ話の断片。