ピントを送って紅葉をファインダー越しに眺める

 都内および南関東では12月の一週目の週末(今年は昨日と今日)が紅葉のピークとなる、という経験則に基づき、でも都内や鎌倉の有名紅葉スポットに行く気が起きずに、地元の市民公園までカメラを持って徒歩で行ってきた。オートフォーカス機能が登場する前の1970年代に製造された50mmF1.2(という、カメラに詳しくない方にはなんだかわからないですね・・・ピントを合わせたところから前後にある被写体をたくさんぼかすことが出来るんです)のレンズを使う。ファインダーを見ながらマニュアル・フォーカスリングを回していくと、スターウォーズかなにかのSF映画で宇宙船の操縦席の窓からの光景が、向こうから小惑星が現れすごい速度で接近しては後ろに飛んで消えて行くような場面があったかな?そういう風に、カメラのファインダのなかで奥から手前に、あるいは手前から奥に、真っ赤なもみじの葉にピントが合っては、すぐにまたぼけて溶けるように消えて行く、その「目の前の実景」とは全然ことなる「カメラのファインダーの中で起こっている動画としてのピントが変化する様子」がすごく面白い。面白いから、夢中になってカメラを上に向けて逆光の中に葉を透かせて(このために露出をオーバー側にだいぶ振る)写真を途中途中で撮りながらピントリングを回していたら、いつのまにか二歳か三歳の男の子がどんぐりを拾いながら私のすぐ足元に来ていた。お母さまが、おじさん写真撮ってるから邪魔しちゃだめよ、と言うのが聞こえたからカメラから顔を離し、いったん場所を子供に譲り、お母さまに「いえいえ、どんぐり拾いの方がずっと大事ですよ」と答えた。市民公園の朝の10時前、ウォーキングの方が、ついでにスマホで紅葉を撮っているくらいで、いわゆる「必死な」カメラマンはわたししかいなかった。こういう何気ない触れ合いというのかただそれだけの会話があり、もう親子は別の方向にどんぐりの道筋を辿って行ってしまい。私はまたもや真上にカメラを向けようとしている。その刹那、一瞬だけ時間が止まったように感じる。止まった時間のなかで、一方ですごい速さで時間が過ぎて行くなと感じている。今日の午後は、少し雲が増えてくる。