ラジオを聴く時間

 少し整理が進んだ自室は、それでもPC作業のための椅子の上に雑誌等が高さ20cmくらいの高さに重ねられている「ひとかたまり」をベッドの上に置き直さないと椅子に座れない。そうすると、ブログを書いたり写真を画像処理しているときに眠くなって、即、横のベッドにごろりと出来ない。出来ないから、椅子の背もたれに寄りかかってぼーっとしていると10分か20分か眠ってしまうことがある。眠ってしまうと言えば、風呂に浸かっていても、浅い夢を見てしまうこともあるから、これは危ない。酔って浴槽に浸かり眠って溺死してしまう人がいるとどこかで読んだことがある。自室にはこまごましたものをとりあえず整理退避のためと思い適当に放り込んだ紙袋が三つか四つ、これは三回前のとりあえず、二回前のとりあえず、一回前のとりあえず・・・・の結果、紙袋をそのあとなにもせずに置きっぱなしにしてきた結果なのだが、そこから慌ててなにかを探し出したことがないようだから、本当はそのまま捨ててしまっても支障はないのだろう。だけど封を切っていないキャラメルとか、はんぶん使ったポストイットなど、それを見てしまうと捨てるのはもったいない。ではキャラメルはここに新品があるのにまた買ってしまったのか?と言えば買っていないわけで、コンビニでそのときそのときにふと食べたいお菓子が目に付くと買うけれど、その後のキャラメル選択は起きなかった。ポストイットは昨年の車にまつわる二人展のときに、会場に見てもらうために置いた仲間と一緒に出している写真誌ニセアカシアの自分のページに貼っておきたくて買ったが、その後は机にあればときどき使ったが、ないならないでどうにかなるから紙袋を探すに至らない。断捨離とはこういう目にすると必要そうに見えるけれど実際なくても困らないものを捨ててしまえという精神なのかもしれないが、でも「もったいない」精神もあるから簡単ではない。

 次工程はこの紙袋整理なのだが、そこまで来ると少し部屋が広くなった気がして気分が良いので、ベッドに寝転がる1月2日の昼間。ラジコで村上ラジオの11月放送分再放送のホーギー・カーマイケル特集を聴きながら、この年末年始休暇期間でやっとはじめて本を手にする。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」などを日本語訳した藤本和子さんのエッセイ「イリノイ遠景近景」。どこぞの町の若者には体罰が許されない変わりに、なにかをしでかした若者(中学生くらいかしら)に反省を促すために、個室に30分入れてフランク・シナトラを聴かせると、最新のラップやロックしか聴いていない若者たちはシナトラを聴く苦痛に耐えられない、と書いてあったので笑いながら本当かな?と思う。

 番組でジェイムス・テイラーが歌うニアネス・オブ・ユーが流れ、いいね!と思ったから、アマゾンで検索すると、学生の頃にLPレコードを持っていてよく聴いた「JT」というアルバムが951円(だったかな)で売られていることを知ってカートに入れたりする。このアルバムのユア・スマイリング・フェイスを、当時デビューしたばかりだった竹内まりやFM愛知かなにかの番組で歌ったのをエアチェックした微かな記憶があるのだけれど、竹内さんではなくて他の人だったかもしれない。でもよく聴いたLPだったな・・・。ポール・デスモンドの「スカイラーク」のアルバムは持っているんだっけ?持っているかどうかを忘れてしまうというのはよろしくない。ラジオで誰か(この場合は春樹さん)が選曲して流れると、自分で選んで聴いたときより、人任せなのにその選曲がいまの自分の気分にフィットすると、自分で選んだとき以上にずっとずっと良く聴こえたりする。いいのか悪いのか・・・

 写真は昨日の朝、初日の出を見るために海に向かう途中の住宅地で撮った写真の中から。

 さて、そろそろ袋の中の整理を始めますかね・・・あるいはカメラを持って一回りしようか。さっきコンビニまで歩いて行ったらとても寒かった。うん?それは比較的薄着で出たせいというだけだろうか?正月二日目が過ぎていく。(昼に記載、夜にアップします)