お砂糖はいくつ?

 石川セリの「ひとり芝居」という古い曲がある。1976年、作詞は松本隆、作曲は荒井由実。歌詞に、別れた男が紅茶に入れるお砂糖の数のことが歌われている。♪ 白いブラウス紅茶のしみ あなたがいつかこぼしたでしょう それは拭けばおちるけれど 消せないのは悲しみ お砂糖はふたつだったでしょう あなたの好み忘れないわ ♪という歌詞。以前もこのブログにこの箇所を引用した気がする。上の写真は茅ケ崎市にあるとあるコーヒースタンド、美味しいスペシャリティ・コーヒーが飲める店。写真を眺めていたら石川セリのこの曲の「お砂糖はふたつだったでしょう」を思い出した。だけど歌詞に描かれているのはコーヒーじゃなくて紅茶だった。勘違いしていた。

 いま喫茶店に行って角砂糖が置いてあるところは少ないんじゃないかな。少し甘いものを飲みたいときはラテ系のメニューがあるから、コーヒーに砂糖やミルクをお好みで入れて、スプーンでかき回して、自分の好みの味を作ることもなくなった。あの頃は角砂糖ひとつ、ふたつ、さすがにみっつの人は少なかったんじゃないだろうか、好みが決まっていて、この歌詞みたいに恋人の好みの角砂糖の数を知っていることは、なんとなくだけど恋人どうしの「初期の証」みたいな気分があった・・・気がする。

 角砂糖なんだから1.5個というのは難しい問題だったが、天邪鬼でかつ自意識過剰でカッコつけたい青年だった私は、1.5個を主張していた。スプーンで砂糖を入れる場合は1.5にしていたんだろう。角砂糖は二個目をスプーンに載せてコーヒーに浸し、半分溶けたところで出していた・・・そんなことしてなかったよな・・・

 果実の味がして、一杯飲むあいだの温度の変化や時間経過のなかで、味が七変化するスペシャリティ・コーヒーの繊細な味わいを楽しむときと、いわゆるむかしからいまも大勢を占めている苦い珈琲を飲むのと、それは同じ飲み物だとは思われず、かつ両方とも好きだから、同じコーヒーでも違う二つの飲み物ととらえ、気分によって選べる。この店で飲むとき、もちろん砂糖は入れない。というか砂糖は置いていないだろう。

 コーヒーといえば出張でミラノに行ったときに街角のコーヒースタンドに立ち寄っては、エスプレッソシングルをくいっと飲んで、足早に街へと戻って行く人たちがかっこよかったな。概ね濃いとろりとしたあの小さなカップにはいったエスプレッソに、けっこうしっかりと砂糖を落として、日本人が納豆をぐるぐると混ぜるように(という比喩はちと興ざめかしら・・・)小さなカップにスプーンを入れてぐるぐるとかき回して砂糖を十分に溶かしてから、くいっと。

 ミラノに行ったときにはイタリアリーグ(セリエA)でペルージャの中田が活躍していて、それを追うように名波がセリエAに入団したばかりで、人々が名波という選手がこんど来たけどどういう選手だ?と質問してきたな。だから1999年頃だろうか。