急に通じ合える

 一昨日と昨日に引き続き、91年に撮ったモノクロ写真のネガからです。これまた当時プリントさえしなかったコマだと思う。あの頃は自宅の玄関スペースが、廊下や各部屋のドアで閉ざされていて窓がなく、昼でもドアの下の隙間を座布団を置いて塞いだりすれば十分暗室レベルに暗くなったので、そこでプリント作業をしたものだった。一本、36枚分のネガから、そのときに「これいいじゃん」と自分で選んだコマを選んでプリントしていたが、どうでしょう多いときに一本に8枚くらい、少ないと一本に3枚くらいかな、プリントしたのは。だけど時間が経って、撮影したときの気分も撮った写真も全部忘れて、真っ新になって見直せば、もしかすると面白い写真があるのかしら・・・

 このハミング・バードって店はなにの店かもわかりません。カラオケかなゲームセンターかな?それ以前にどこで撮った写真かもわからない。店の前に立っている男がちょっと足を交差させている、それがシャッターを押すかどうかの差になっていて、このときはそれで押した・・・んじゃないかな?なにも覚えてないけれど。

 話変わって。最近読了したのは吉田篤弘著「屋根裏のチェリー」。この本は先に出版されていた「流星シネマ」との姉妹編で、作家による後書きには

『「流星」で語られなかったことが「チェリー」で語られ、「チェリー」で判然としなかったことが、「流星」で説かれています。 つまり、この二冊は、連なった作品ではあるけれど、それぞれがお互いの物語を知り尽くしてはいないのです。』と書かれていて、その先に『実際の人間関係においても同じかもしれません。』とあり『しかし、あるときふと、通じあえる瞬間が訪れることがあります(中略)言葉を尽くさなくても、急に分かり合えるときがくる・・・。』(本当は勝手な引用なんかダメなんだけど後書きの一部を引用してしまいました)

 この言葉がなくても通じ合える瞬間が、たくさんあればいいよね。しかも「急に」というとこも、なんかわかる。