桜にまつわる

 いちばん古い記憶は何歳くらいのことだろう。

 4歳の頃か5歳の頃か、住んでいた木造二軒長屋の父が勤めていた総合病院の社宅の家から低く雲が垂れ込めた午後、裏木戸を潜って病院の敷地に入り、結核病棟と花壇の横を速足で抜け、しゃがんで兎小屋の兎の赤い目をのぞき、あまり動かない綿羊が口だけもぐもぐと動かしているのを少し離れたところから眺めた。動物たちはなにか医用の実験をするために飼われていると当時はそう思っていたが、研究機関があるような病院でもないから今となっては理由もわからない。看護学校を併設していたから解剖の授業に使うものだったのか?綿羊は一頭だけ何年も飼われていたから、なにかの縁があり病院で飼うことになったペットだったのかもしれない。結核病棟には近づくなと言われていたから、その横は速足で通り過ぎたのだ。その先まで一人で行くのは初めてだった。高いコンクリートの塀と迷彩色が建物の外観に残っている二階建ての看護学校校舎に挟まれた、せいぜい一メートル半くらいの隙間に桜が五本か六本か、並んで植えられている。黒々とした幹とところどころ地面から顔を出している太い根が見える。そこを通り抜けて行くことにして、幼い心でも、ただ三十メートルくらいその細い隙間を歩いて行けばいいだけのことで危ないことはなにもない、と判っていたが、低く垂れた雲の下、建物と塀に囲まれたその場所はとても暗く、慎重に歩かないと躓くこともあるだろうし、なにより、前と後ろからなにかに挟み撃ちをされたら逃げ道がない・・・そういうことで小さな恐怖心を揺り動かされていた。それでもその隙間を抜けることは無事に出来たと思うが、たとえば抜けきったときの安堵感を覚えているわけでもない。ただ、その細い隙間を歩いているときにそこに植えられていた桜が満開で、必死に歩いている子供の私が、それでも心の片隅かもしれないが、桜の花ってきれいだな・・・と思ったのだ。そう思ったことと、隙間のぼんやりした光景を覚えている。いちばん古い「頃の」記憶のひとつになっている。隙間を抜け切ると右側に折れる道があり、そこからは自宅もそのなかにある社宅エリアになったから、走って帰ったことだろう。そして、もしかしたらそういう冒険をしてきたことを、私は両親にも言わなかったかもしれない。これは何故かいまそう思えるというだけのことだ。

 しかしその後、桜の記憶ってあまりない。桜を見るためにどこどこに出かけて一生懸命写真を撮った・・・とか、先日のブログに書いた入社したころの花見で先輩から「仕事はほどほどに」という人生訓を聞いたな、などと、いくつかあるものの、そういう桜を見に行くことが主目的だったことではなくて、なにかをしたときに桜が咲いていたなぁ・・・というような記憶が、あまり思い出せない。

 なにかの理由で誰かを車のなかで待っている・・・たまたま空いていたコインパーキングに車を停めて、その場所をラインで待っている人に伝えてから、車内で本を読んで待っている・・・とする。するとフロントガラスに花びらが舞い落ちた・・・とする・・・ですよ、創作ですから。ウインドウ越しに見上げるとすぐ横に大きな桜の木があり、風に吹かれてさかんに桜の花びらを散らしているのだった。やれやれ、桜の花びらを車から洗い落とすのは意外と面倒なんだよなと思いつつも読書を続けやがてうたたねをしてしまった。トントンと待っていた人が車の助手席の窓を叩くから、それで目が覚めた。ふと見るとフロントガラス一面に桜の花びらが付いている。付いているというより覆われてしまった感じがあって溜息をついたものの、助手席に座った人がきれいと言ったから、急にそのやっかいものが別の見え方をしてきて・・・うんぬん。というような記憶はないですね。

 上の写真は2009年4/10、宇都宮市にて。コンクリート壁の向こうの高校なのか大学なのか、煌々と照らされたグラウンドでまだ運動部が練習をしているのだろう。学校内には入れないけれど、壁のこちら側から桜を眺めている人がいる。下の2枚の写真は一昨日、家の近くの名もなき桜です。