海に行って思いを馳せる

 人はなぜ海を見に行きたくなるのか?を調べてみたら、やれやれ、こんなこともちゃんと解説してあるウェブページがあって、日本人は海に親しんできた民族であり、海の青と言う色と波の自然音が気持ちを癒し、太陽光が幸せホルモンを分泌させて前向きにさせて・・・等々、解説が書かれていた。否定はしないけど、もっと簡単に「水平線までずっと遠くが見渡せる」その気持ちよさが海へと向かわせる、そういうシンプルな理由がありそうだ。遠く広く見渡せることで、未来が開けているように、希望を感じることが出来るかもしれない。

 だいぶ前に、もう閉館した品川の原美術館で、産まれて初めて海を見た人の様子を動画記録した作品を見たことがあったのを思い出した。想像していた海を、現実の目の前の海で置き換える、静かな長い時間、佇んでいる人たち。

 「晴れた日に永遠が見える」という曲があって、わたしはこの曲を聴くたびに、というかこの曲名に出会うたびに、晴れた日には海から永遠が見える、と勝手に永遠を見ている場所が海だと思い込んでいた。ビル・エバンスのソロアルバムにも収録されています。

 この曲のことを調べてみると、1965年に初演された舞台で、ストーリーはSFっぽい恋物語らしい。映画も舞台も見ていないからわからないけれど、海から永遠をみるわけでは多分なさそうだ。

 実は「煙が目にしみる」という曲の「煙」も海を渡って来る汽船の煙だと勝手にそう思い込んでいたことがあった。船に乗って去って行く、あるいは遅れてこの島にやって来る恋人がいて、その船の煙が目にしみるから悲しい、または、嬉しい涙が出たといったストーリーを想像していた。

 時間的にも距離的にも遠くに思いを馳せるのに海という場所が合っていると、私はきっとそんな風に思ってきたんだろうな。

 金曜日、晴れ。海を見ている人が今日も海にいる。写真は葉山です。