はじめての町

 ショートバウンドでゴロを捕球するのは難しいからボールのコースを読んで、余裕があるときはショートバウンドではなく捕球しやすい位置に走り込むのが良いが、打球が早くてそんな余裕がないことも多いから、ショートバウンドでもうまく捕球する技術も持つべきである、と野球のコーチは言うんだろうか?むかし、草野球で遊んでいたころ、ショートバウンドのことをショーバンと言っていた。

 球速が遅くて山なりのカーヴボールはいくらそれが変化球であっても簡単に打たれてしまう。そういうカーヴのことを(失礼!)しょんべんカーヴと呼んでいた。ショートバウンドをショーバンと言っていたが、しょんべんカーヴをさらに縮めてションカーと言う奴はたぶんいなかった。

 今日会社の会議でパワーポイント資料が「読み取り専用」になっていることを「よみせん」と言っている若い連中がいた。笑っちゃうほどどうでもいい。これは脱線。

 春の快晴の、初夏のような日曜日、はじめての町に行った(十年以上前の話)。遠くの町ではない、電車で1時間弱。そこには大きな川が流れていて、ニセアカシアの林があって野球場があり、野球場の隣の芝生広場ではラジコン飛行機を飛ばしている初老の男性グループがいて、その飛行のモーター音がブワーンブワーン、ブブブ…とうるさかった。ノックを受けている少年が捕球の準備の姿勢を取って、グラブの先っちょをグラウンドに触れてボールを待ち受けている。

 このあとどんなゴロが飛んできて、少年がどう動いて、捕球がうまく出来たのかどうか、私はそこまで見ていたのか、それともこの写真を撮ったらもうそこを見ずに次の写真を撮ろうときょろきょろと歩き始めたのか。きっと歩き始めてしまった。そして写真を見ながら、ちゃんと捕球まで見届ければよかったと後悔する。ちょっとだけ。

 書店に行って表紙を上に向けて積まれている新刊やベストセラーの本を眺めては、気になったものを手にして、中身の数行だけに目を通したり、裏表紙に書かれたあらすじ解説を読んだりする。買わずに本を戻し、結局は読まない。ここで買わないと、その本は表舞台の平積みから書棚に収められるから、ますますその本を買って読む確率は低くなる。中身を読まずに解説だけ読んで終わり。なんかなー、そんな気がするんですよ。一コマ一コマの写真は平積みの本の裏表紙に書かれた解説を読むように撮っては通り過ぎる。本の中身を読了するに相当するかもしれない、そこをちゃんと見て、そこに流れた時間や物語を知って、意味を持って撮る、そういうことは難しい。

 一方では、歩き続けて瞬間の出会いを次々に撮るのが街歩きスナップの軽快さだと知っている。