自分には撮れない/作れない凄みのある写真

 友人知人のインスタグラムを見ていると、薔薇の写真がたくさんたくさんアップされている。カラフルで華麗な薔薇の花。私だって、このブログを遡れば、この春にも何度か薔薇の花のカラー写真を載せてきた。上手い下手はともかく綺麗な薔薇を見たから、それを教えようと、私が薔薇を見て綺麗!と思った気持ちを共有しようと。

 だけどそんな薔薇の花の写真、みんなの撮った写真をイイね!と思う一方で、どうしても憧れてしまうのが森山大道シャクナゲやバラの花の、モノクロでハイコントラストの写真で、見るたびにスゲーなぁと思う。そしてそこに同じように太陽の光をさんさんと浴びているシャクナゲやバラが咲いている春になると、バイエルやツェルニーの練習のように、トラップやシュートの練習のように、やったことはないけれど広場でフライフィッシングのキャストを練習するように、森山さんの写真をお手本にして、同じような写真を撮ってみよう/作ってみようと思うのが、これはもう私の心の、季節の風物詩みたいだ。そして、トライした結果、全然そこに迫れないことにがっかりするのも、これまた季節の風物詩だ。あの焦燥感が続いてとうとう焦げ付いてしまったようなシャクナゲに投影されたやりきれない気分、その気分に微かに萌しているあきらめに似た割り切ったような思い、そういうものは小手先で真似した写真には現れないですね。

 でも単純にテクニックの問題もあるんだろうな。ストロボはじめライティングとか、暗室作業の技術とかの。あとは正面切って迫っている勇気がなくて構図を作ろうと媚びているんだろう。