
20代から30代前半まで250ccのオートバイに乗ってました。片岡義男の小説をよく読んでいました。山川健一も。その頃に村上春樹も現れました。佐野元春、ブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツ、ポリス。あてのない、なにが起こるかわからない、目的を探すことを目的とした旅に出る、そんなイメージが流行っていて、まんまとそれに乗せられていた感もありますが。パイオニアのカーコンポのキャッチコピーがロンサム・カーボーイでしたっけ?これはたまたまわたしの20代の世の中がそうだったと言うことであって、前の世代やあとの世代でも、これらと同等の、若い心に寄り添った、若い心が憧れるような、気分の代表があったのでしょう。今ももちろんそうですね。だから今の若い人が支持しているカルチャーも尊敬し認めたいと思うわけです。
こんな風に小さな排気量のオートバイで、たぶん通勤通学もしくは業務のために、ふだんは限られた範囲の町を行ったり来たりしていると思われる、それでも、ある日ある時、とある交差点の赤信号で、右に曲がるべきところを左へ曲がり、ちょうど予定をすっぽかし、すこしだけ誰かに迷惑を掛けて、いつもと違うどこかへ向かうことだって出来ます。
わたしはもう生まれてから25000日くらいを生きてきましたが、そう言う、まぁ言ってしまえばちっぽけであっても「冒険」気分になるようなことをしたことは、そんなにたくさんはないです。だから、ここに書いたように右折をやめて左折した日のことは、良く覚えてます。その日をどう過ごしたのか、と言うより、その左折した瞬間のことだけを覚えてます。
先日は南関東でも積雪がありました。まだ歩道の雪が凍り、水溜りは氷が張っていた、寒いけどやっと晴れた月曜の朝に、小学校へ向かう子供たちの様子を、バスを待ちながら観ていました。子供はなににでも興味を示すとはその通り。女の子2人組み、小4くらい、張った氷に乗ったり踏んだり、どのくらいで割れるものかを体験していく。割れた氷を手にしてその冷たさにびっくりして笑ってる、陽に透かせて世の中を覗き見る。
いつのまにか出来なくなってることがたくさんありますね。それは体力的なことだけじゃない。発意が起きなくなる。水溜りの氷をしげしげ見て指を触れたりしないもんなぁ……。そんなことするのは幼稚?子供じみていて恥ずかしい?そうじゃないのだろう。そういうことがもし出来るのなら、それはひとつのしあわせとも言えそうです。
体力的にしなくなったことの例は、駅のホームに降りる階段を一段飛ばしで駆け下りることとか。一例です。