2月が終わる

 むかしでいえば喫茶店、いまならカフェと呼ぶ方が多いでしょうか?どこが喫茶店とカフェの境界かはわかりませんが、とにもかくにも「少なくとも」珈琲が飲める店で読書をすることは日々のなかで比較的すぐに達成出来る、したいこと、です。キッチンで珈琲を作り、その珈琲カップを持って自室へ戻り、この記事を今書いているPCが置かれた机に向かい、ちゃんとそれなりに座りやすいビジネスチェアに腰かけて、本を読めばいいじゃんねえ、とも思うものの、自室ではなかなか読書が進まない。ついつい他のことをしてしまう。スマホやPCでなにか調べてしまったり、PCで写真を加工してしまう。テレビを付けて観たい番組がなければHDDに録画してある何度も見た番組を、また見たりしてしまう。「してしまう」と書くのは、自分のなかで、これらの行為より読書の方が、本来ならするべきこと、質の高い意味のあること、だという認識があるってことですね。なのに自室だと読書になかなか行きつけない。それがバッグに読んでいる文庫本を入れてカフェもしくは喫茶店に行くと、そこにもスマホは持参するし、結局は読書をせずに自室と同様にスマホをいじってしまう時間も多いけれど、でも読書時間がゼロにはならない。言い替えると自室だと、読書時間がゼロになるんです。そう出来るのはなぜなんだろう?テレビないです、その他、自室にあるこまごまとしたものがカフェもしくは喫茶店にはない。そうか、これは自室で果たせていない架空の断捨離された自室のような状況が、カフェもしくは喫茶店にあり、そこが読書に適しているから、そこに行くことを、求めてしまうのでしょうね。では自室にあるものを捨ててしまって、カフェもしくは喫茶店のような自室にしたいのか?と言えば、したくないですね。何回か前のこのブログに書いたけれど、いまは、滅多に使わなくても、あるいは未来に一回も使わないかもしれないけれど、その物になんらかの思いや記憶や期待や妄想が宿るのなら、捨てない、という大方針を採用することに、当面しています。断捨離はしないのです。それで、反動のように読書をする場所がカフェもしくは喫茶店になるんだろうか。

 カフェもしくは喫茶店で読書をするとき、出来れば90分以上、可能なら120分はそこで読書していたいです。でもカフェもしくは喫茶店の経営のことを考えると、利益額に対する顧客占有時間として、申し訳ない気もする。ならば、途中でなにかを追加注文すると、こっちの財布は寒くなりますね。

 なんだかなあ、結局そうなるのか・・・とも思うのですが、これをかなえてくれるのって、結局はスターバックスやタリーズになっちゃうことが多いです。

 写真は鎌倉の材木座にある某カフェです。90分はいなかったけれど、それでも60分はいて、読書もできました。お腹が空いていたので、この上の写真の珈琲と一緒に、玉子サンドも食べました。正確には玉子と沖縄のスパムも入っているスパム玉子サンド。窓が色ガラスで、こんな黄色っぽい光が指していました。ある月のある曜日にだけシナモンアップルパイを作りそれが売られるということがメニューに書いてありました。そしてどうやらその日にうまく当たってる。限定に弱い私は、帰りがけに、それをひとつ、テイクアウトしてしまいました。帰宅して家で食べましたよ。紅茶と一緒に。1月のことです。

 明日からはもう3月ですね。自分の感覚では1月は長い、2月はすぐに過ぎます。1月は31日あり、2月は28日なんだから定量的にもそりゃそうでしょ、とも言えますが、なんかそれだけでない、感じがします。

 スパム玉子サンドの写真も載せておきます。