
久しぶりにブログの更新です。ここのところフイルムカメラで写真を撮っていて、5本前後撮り終わると、まとめて郵送現像に出すのですが、4月中から5月上旬に撮ったフイルム写真は、いまは現像が上がってくるのを待っているところ。並行してコンデジ等でも撮るものの、自分の気持ちが、今は主力はフイルム、と言う方向に向いているせいか、どうもここに載せてもいい感じの写真がデジタルでは撮れていないようです。まぁ、こんなのはわたしの気持ちのことで、デジカメで撮れている写真も、それまでといまと、なにも変わってないのかもしれません。上の写真は鎌倉のスターバックスのテラス席から、もとは漫画家の横山さんの庭だったそう、プールのある5月の緑が美しい光景を、これはスマホで撮りました。テラス席の椅子は、背もたれのないベンチなので、しばらくしたら店内の一人席、ふっくらとした背もたれのあるいい感じのソファーがある席が空いたので、そちらに移りました。店内は冷房がちょっとだけ作動していたのか、少し寒くて、カーディガンを重ね着しました。今は鳥の声がいちばん良く聞こえる季節だと思います。海を渡ってきたり、山から降りてきた小鳥たちが、繁殖期を迎えてるってこと?あるいは幼鳥が大人になる過程で言葉を、囀りを、習ってるのかな?
家、鎌倉ではありませんが、私の寝ている自室のベッドでも、朝、6時とか7時に目を覚ますと、窓が閉めてあっても、外からまだ下手くそな感じで鶯が鳴いています。もちろん窓を開ければもっとはっきりと聞こえる。バス通りを通り過ぎる車の音と、カラスの声と、鶯の声。
上の写真を撮ったときはカフェミストを飲みつつ、一時間半、読書をしました。それから北鎌倉まで亀ケ谷を越えて歩き、またカフェにより、そこではエチオピアを飲みましたが、また読書を一時間。たまたまですがブックオフ等で、本を五冊か六冊もまとめて買ってしまった……せっせと読もうと思ってます。たいていは初めて読む本ですが、いま読んでる本の前は、村上春樹の神の子どもたちはみな踊るを、再再再読?もっと再が多いかも、しました。これ短編集だけど、何度も読んでると最初の話と最後の話に、あるいは途中途中にも、空っぽだったり、何が入ってるかわからない空虚な、箱のイメージが使われていて、その中身を地震で損なわれた人たちの再生の話だと思います。
絵画展もずいぶん行きましたが、そのうちなにかそこで思ったことを書くかもしれません。あまりにたくさん展示を見たら、いまは、人は何故絵を描くのか?宗教の場面を描き起こすとか、肖像を残す、あるいは、心の赴くままに抽象画に自分を表現する、という方がよほどその理由がわかりやすいと思う、むしろ、印象派の方々が描いた絵の動機を、同時代的に、どう言う気持ちだったのか、鑑賞する方は同時代的になにを感じたのか?を考えると、よくわからなくなってしまいました。たぶん絵を描く動機も、鑑賞者に起きる気持ちも、1900年頃と、2026年ではぜんぜん違ってしまっていて、2026年の私たちは、なんか偉そうな?知ったかぶりな感じで、いいねぇ!とか言ってるけど、もっともっとその絵から読み取るべきことがあるのに、すっかり忘れ去ってしまっている。そんな気がしてるのです。
このあと新緑は濃くなり、大人になってしまう。鳥のさえずりも減ってしまう。花々もそれぞれその季節に咲くものが繋ぐけど、種類で言えばいまが百花繚乱は今の、この五月と言うことでしょう。そんな季節に自分は気張らずに、でも見落とさずに、時間の中で、緩やかにたゆとうて行ければいい。
そう言えば数年前に単行本で買ったまま積読タワーに埋もれてしまって未読だった五月と言うタイトルの本が文庫化されてました。読まなくては……
