
GW連休の頃に撮ったフイルム写真がまだ現像とデータ化が上がってこないので、その前に撮ってあったフイルム写真を使いました。
4月の20日頃の由比ガ浜海岸です。風が吹いている日でした。写真の左の方に写っている方の長い髪が、海風ですこし靡いています。この写真を撮った、わたしの右の人差し指が、この日に使っていたのはヤシカエレクトロ35CCというカメラだったと思いますが、そのカメラのシャッターボタンを押したそのときまで、このときはファインダーを数秒のあいだだったと思う、のぞいていたわけです。そのあいだ、ここに写っている人たちのうちで、歩いている人は、もちろんその場所や姿勢を変えている。風も強くなったり弱くなったりしていて、それに合わせてこの女性の長い髪も動いている。ほかにも画面内でいろんなものが動くのを、その数秒を、わたしはファインダー越しに見ていたわけです。写真になるとその動きのうちの一瞬が固定されていて、それが決定的だったり劇的だと、よく決定的瞬間と言われ、写真価値が高いと、一般的には言われるのでしょうね。この写真は決定的でもなんでもないですね。だけど動画を見るようにファインダーの中で動いている人たちを見ていることは、この一枚の静止画を、いまこうして見るより、ずっと面白かった。写真になると小さくてそこに注目できずに見過ごしてしまうようなところも、リアルタイムではファインダーの中で動いているから、小さくともそこに注視出来て、見ているのは面白かった。ファインダーから目を離してリアルに目の前を見ているよりも、ファインダーの中で見る方が、より面白いのかもしれない。そうして見ていた動きの中には、例えば画面中心からすこし右のデニムのジャケットでしょうかね、水色の服を着て、足を伸ばして、たぶん寛いでいる方がいる。シャッターを押すまでのその数秒に、わたしはこの方を特に見ていたのかもしれない。ここを撮ろうとカメラを持ち上げてファインダーを覗きはじめた経緯も、この座っている方を見て、撮ろうかな…と言う気持ちになってのだと思います。その方が、こんな風に足を前に伸ばした瞬間があって、それがそのときには決定的に思えてシャッターを押したのかもしれない。だけど撮ってしまえばもうそんなことはすぐに忘れてしまうので、今となってはもうわからないです、が。
ところで、左の女性の髪を見ることで風が吹いていたとわかる。それをもって風が写っている、というのはちょっとおおげさですが、まぁここではそういうことにして、フイルム写真を見て風が写っていると思うときと、最新の高画質なデジタルカメラで撮ったリアルな写真のなかに写っている風を見たときとで、ちょっと感じ方が違う気がします。フイルム写真に風を見つけると、
『あの日(写真を撮った日)には風が吹き、今日もまた風は変わらず吹いているのだろう』と思う。
一方、デジタルカメラで撮った高画質な写真に風を見つけると
『今日も吹いているのと同じような風が、あの日(写真を撮った日)にも吹いていたんだな』と思う・・・気がします。
こんなことは、いまちょっとそんな感じがしてここに書いてみましたが、明日になれば、自分自身でも、なんのこっちゃ?と分からなくなるし、もしかすると、反対でしょ!と思うのかもしれません。でもなんか立ち位置が違って感じられる気がしました。
それから今日に思いを馳せる「あの日」は、フイルム写真で見たときの方が、より遠い過去の日に思える。