ふたたび、時のながれ

 このブログに、何度か同じようなことを書いてる、そのひとつに、時間が早くすぎると感じることと遅いと感じることの違いはなんなのか?あるいは、それは実は同じことではないのか?と言うような……なんでしょう、まぁネタと言うのか、呟きかな、そう言うのがあります。ほんのひと月ほど前の4/18にも「時のながれ」と言う題で書いているので、ここでは「ふたたび、時のながれ」としたけど、前に書いた文章を読み直してないので、似たことが書いてあるのかどうかはわかりません。さて、時のながれの感じ方が、早いか遅いかはともかく、そう言うふうに時間の進みが気になるとき、意識は過去を向いていて、過去のある日のことと今日のこの時点の状況を比較して、その差が大きいとか小さいとかが、この感じを起こすことに関係しているのかな。それを言葉にするときに、どう言うふうにその感じを置き換えたのかで、早いと言ったり遅いと書いたりしているのでしょう。
 昨日の金曜日は寒かった。今朝も寒いです。コットンのTシャツの上にリネンの半袖シャツ、その上に、今はなんて言うのかな……薄手のトレーナーって昔はそんなふうに言ったけど、ロングスリーブTシャツですかね、さらに、ジップパーカー(ただしこれもぺらぺらに薄い)を着ましたが、寒い。ロングスリーブTシャツをもうちょっと生地の厚いのにして、あるいはニットでもいいくらいかな、さらにパーカーも裏起毛とかインナーダウンはいらないにせよ、もっとしっかりしたのにすればよかったな。
 そんなふうな土曜の午前に早起きしたのでスタバに来てこれを書いています。と言うか寒いので写真を撮りつつ散歩しようと思っていたのに、寒いので温かいものを飲みたくなり、避難したって感じです。
 スタバのコーヒーは苦すぎ。わたしは、最近は浅煎りでフルーティなスペシャリティーコーヒーが好きなので、スタバではブラックコーヒーは頼まないです。チェーンのコーヒー店だとブルーボトルやヴァーブは美味しいと思うけど、その分と言うことか……高いですね。スタバで頼んだのはカフェミストです。ハチミツ加えてもらいました。
 五日前の月曜日は快晴ですこし暑い日でした。この月曜に天文台に行き、古い、百年くらい前に建立された幾つもの建物を観てきました。ドームのあるやつやないやつ。太陽黒点を観測する目的で使われていたと言う解説はまだわかる、と言うかわかった気になれる。でも、ゴーチェとかレプソルドとか、分からないなぁ。そう言うのを観測するそれらも丸いドーム状やかまぼこ形状の屋根のある建物たちは、伸び始めた夏草に囲まれて、シジュウカラやウグイスの囀りや、ときにはオナガのぎゃあぎゃあと言う鳴き声に包まれて建っていました。あまり手入れがされていないと思われる天文台の敷地内の森の木々は高く、風に吹かれて幹と幹が擦れるのかな、ときどきミシミシと音を立てます。銀色に輝くアルミかな、金属の外観のドームは少し傾いた西陽を受けて光っていました。するとそこはどこか知らない世界への近道へ入る検問所のように思えました。
 年を経て、振り返ると滑稽に思えるようなこと、すなわち、なんであんなに夢中になったのかな、もうそれが唯一のやり方のように感じて成功に導こうと邁進したよな、と懐かしく思うようなことは、その規模も大から小までたくさんあって、それをすべからく、昔の中国の詩人は夢破れて山河ありとか言ったんじゃないか。あるいはその夢とは野望であり、領地拡大や敵対する相手の殲滅や、そう言うことだけをさすのかもしれないけれど、したがって詩人の意には沿わないかもしれないが、この夢をそういう事だけではなく拡大解釈し、ときには夢が果たせたことでも、その過程には迷いや失敗や後悔することもあったに違いない、そういう事も含めて夢破れて山河ありの夢だと、こうなんでもかんでも拡大解釈してしまうと、これはもう過去の出来事の全部、誰のやってきたことでも人の歴史そのものすべて、とかになっちゃうのかな?……なにを言いたいのか?よくわからなくなって来ましたが(笑)、夢破れて山河あり、を、過去に夢が叶い、次の段階に進めたので、その過去となった叶った夢を成し遂げて行ったときの場所や人や施設などなどは、もはや次の新たな夢のためには無用になり、それも山河になった、でもいいのではないか。天文台の敷地を、誰も他に見学者のいないよく晴れた五月の平日を歩いていると、そんなことを感じました。過去の人の夢にかけた熱量が残滓として漂ってるなかに、木漏れ日が揺れて、鳥が囀り、しんとした時間が流れていました。もはや使われなくなり内部は資料室になったような天文台を歩くと、長い長い過去からの時間を感じたわけです。
 そんな月曜日があり、そこから五日経って、寒い曇りの土曜日にスタバでこれを書いている私は、たった五日前のことが、もっとずっと前のことのように感じています。
 これがもし毎日が月曜日のような晴れた日が続いて来ていたら、わたしはここに書いたようなことは書けなかったに違いない。だけど想像できない別の事を書けたに違いない、そう思います。
 天気の話ではなくて、何か毎日が同じようなルーチンで過ぎていく日々があったとします。その日々を過ごすとき、毎日毎日が同じことの繰り返しであっと言う間に過ぎて行った、と感じたり、まるでどこかに繋がれてどこにも行けないかのような同じ日々は何時まで経っても遅々として進まず、そこから抜け出せなかった、と感じるかもしれません。
 時間を感じるのは記憶が残ってるからなのでしょう。
 でもって、写真は天文台とは関係ない。どこかのカフェのトレー。