神田川

 写真は五月の上旬に秋葉原駅近く、神田川を爆走していくジェットスキーです。駅に向かって歩いていたら、神田川を渡る橋の真ん中にさしかかったとき、下を通り過ぎて行きました。モノクロにしたのちに青っぽく調色してみたけど、どうなんでしょうね?

 神田川といえば、1973年頃からなぁ、3人組のフォークソンググループの「かぐや姫」がその曲名の歌を大ヒットさせました。私は当時は高校生だった、すなわち自分勝手で、繊細で、弱々しくて、それなのに息巻いていて、自分たちの世代は、先を行く世代とは違うんだぞという意識が強くて。いまもそういう風に、その年ごろの人たちは感じるのだろうか。そうであったとすると、わたしは排除される側だけど、それでも、それでいいんじゃないかな、と思います。その頃に突っ張ることが、大事なことなのかもしれません・・・というか、こんな上から目線の、人生の先輩面した物言いからしてダメなのでしょう。まぁ、いい、それよりかぐや姫の神田川。同棲している若いカップル、部屋は狭く、風呂もない。寒い晩には石鹸を持って近所の風呂屋に通う。一緒に風呂を出る約束も守られず、洗い髪が芯まで冷える。休日でしょうか、クレパスで似顔絵を描いて過ごす。うまく描いてって言ったのに、ちっとも似てなくて・・・。そういう若かったころの暮らしを振り返って、若かったあの頃、なにも欲しくなかった、ただあなたの優しさが、欲しかったと思い出を語る。この歌の作られた頃は、結婚せずに同棲しているってことが既に上の世代の常識に対する反抗でしたからね。小さなどうでもいい話のようだけど、当時のそういう常識を知っていると、この歌は上の世代に対する新しい世代の抵抗の歌だったのかもしれないと、ふといまそう思いました。

 いまもこのあたりには風呂屋があるのだろうか、そこへ通っている若い人もいるんだろうか。たぶんそういう人もまだゼロにはなっていないんじゃないか、でも、当時は絶対なかったのが神田川をジェットスキーで水面を切り裂くように走っていく光景でしょう。

 でもね、こんなこと書いても、別に当時が良かったとか今はこれがダメだとか、そんなこと言いたいわけじゃぜんぜんないです。暮らしの標準の変化がずいぶんとあれこれ起きました。わたしがいま若かったら、その属した世代の標準通りに生きていると思いますよ。私は、おおむね平均的な感じで世代に染まって生きてきた平凡な人なんだから、生れた時代に染まっていくだけです。

 でもね、二度目の「でもね」ですが・・・暮らしの標準が変化しても、何十万年かもっとずっと長い時間のなかで人間が進化しながら生き延びる、そのために優性な遺伝子を引き継いできて今こうしてある、そういう動物としての在り方、すなわちこれを例えば人の本質と呼ぶとすると、それは変わっていないんでしょう。だから動物の本質が生きながらえて少しでも自分が満足するよう、幸せであるよう目指しているのなら、暮らしの標準が変わっても、百人の人が抱えている悲しみの総量や喜びの総量って、結局たいして変わっていないんじゃないか。このうち喜びの総量をある境界の内側で増やそうとして無理をすると、外側の悲しみの総量が増えてしまうのかもしれない。

 あるいはそういう悲しみの総量と喜びの総量をなんらかの手法で定量化できて、かつその数字を、時代を遡って、測ることが出来たら、そしてそれがいつも一定ではなく、そこにある程度の時間変化が見えたとしたら、一体いつの時代が「良き時代」だったんでしょうね?

 何年か前に、だれだったっけかな?誰か日本画の重鎮の展示を竹橋の美術館で見たときに、古い古いインタビュー動画が流れていて、それは昭和の時代にその画家が晩年にしゃべっている動画だったと思うけど、人々がいちばん幸せに生きていた時代は大正時代だったと思う、と言っていた、それを聞いたことを妙によくおぼえています。

 紫陽花の花がきれいです。