紫陽花

 アジサイの歴史、広がる品種の世界-みんなの趣味の園芸を読んでみたら、紫陽花の花は50年ほど前に人気が出て、その頃からいろんな品種改良で多岐にわたる種類が出来てきたようです。なぜか、紫陽花って「さよなら」の花というような、なんでしょう、子供の頃にそんなふうに覚えたことがあったらしく、だけど、いま、おセンチなことですが「紫陽花×花言葉」という検索をしても、さよなら、なんて出てこないですね。移り気、辛抱強さ、浮気、無常、家族、和気藹々・・・花言葉ってたいていひとつじゃなくて、しかもぜんぜん違う意味の言葉が並ぶものですね。かえって曖昧で、どうでもよくなってしまいます。とにもかくにも、他の検索結果を見回しても、さよなら、なんてなかった。

 学生の頃にさだまさしの「えはがき坂」という曲が好きでした。こんな話はこのずーっと書いているブログのどこかに以前も書いているに違いないです。これは恋人たちが今日のデートでお別れするという歌詞で、二人は長崎の活水学園のある坂道を歩いています。「あなたの横顔越しに シャボン玉がいっせいに 弾けた気がしたのは ああ 紫陽花ですか」という歌詞があります。そこを聴くたびに、さよならの象徴の紫陽花があなたの横顔の背景にたくさん浮かんでいる、というような、別れの象徴なんだな、と歌詞を解釈していましたが、調べても上記の通り、紫陽花がさよならの花とはどこにも書いてなかったから、わたしのこの歌詞の意味の解釈も、当て外れだったということになりますね。・・・というこの話も、過去に書いたかしら・・・いま調べたら、案の定、昨年も書いてました。

 赤や青や白い紫陽花が色とりどりに咲いている公園に行きました。写真を撮りました。ファインダーのなかに見えるのはレンズを通して光学的に変換された像ですから、人の目で見ているのと違って、手前や背景がぼけて見えます。よく、カメラに結像したものは本当ではなくて、そんなものを夢中になって見るんじゃなくて、目で直接みるべきだ、と言う方もいます。でも、それを比較して二者択一して、どっちがいいと言うようなものじゃないと思います。ぼけを楽しむことは、あるいは一枚の静止画には残りませんが、ピント位置を動かして像の変化を見ること、そんなファインダーの中の世界で遊ぶこと。そこには、構図やぼけの置き方やピントをどこに合わせるか、等々の画面を作る面白さがあって、それが実際を見ることよりも、レベルの低いという行為ではないでしょう。そういう遊びが、道具であるカメラとレンズとともにあるってことですね。もちろん自分の目で見て心に焼き付けるという行為も大事ですが、比較するものじゃない。

 だけど、たとえば子供の中学三年の体育祭で、リレー選手に選ばれた子供が、その晴れ舞台で目の前を疾走して行く姿を見るときは、ファインダーの中で見るより目で見た方がいいかもしれないですね。

 と体育祭のリレーのことを考えたら、私が中学高校の頃の体育祭って、スウェーデンリレー(100m200m400m800mの4選手によるリレー)や4×100mリレーは男子だけの種目で、女子だけのリレー競技はたしかなくて、俗称で「雑魚リレー」と呼んでいた、100mづつ10人くらいによるリレーが男女混合だったんじゃなかったかな。いまはどうなんだろうか?当たり前に思っていたことに男女格差があったという一例だと思ったので書きましたが、意外にいまでもそうなんじゃないか?

 すっかり5月が体育祭/運動会の季節になったようです。