知らない小道を登ったり下りたり

f:id:misaki-taku:20210223213923j:plain

8時台、自家用車に乗って、相模湾沿いの国道134号線を東へと走る。今日はいつもの休日よりもはるかに車の数が多く、例によって葉山の辺りまで行こうと思っていたのだが、途中でやめにする。稲村ヶ崎駅近くのコインパーキングに停めて、さて海を見に行こうと思ったのだが、ふっと気が変わって、まずは山の方(江ノ電線路より山側)へ行ってみる。むかし、20年くらい前だろうか、正月休みに稲村ケ崎駅からこの山側へちょっと行ったところにあった鰻の店に行ったことがあった。そのときに代金の釣りに二千円札が混じっていた。二千円札を手にしたのはそのときだけだったので覚えている。ちょっと一回りだけで戻ってこようと思っていたのだが、ずいぶん新しい住宅が増えたなぁなどと思いながら進むと、右側にものすごい急坂があって、その急坂の先にも住宅が続いているので、これもほんの気まぐれでその坂を上っていった。上る原動力のひとつに保坂和志の小説「季節の記憶」で僕とクイちゃんとみさちゃんが散歩しているコースがこういう鎌倉の稲村の高台の小道なのだろうかと思い出したこともあったのだろう。私が住んでいる場所(茅ヶ崎市)は平地で、こういう鎌倉の、入り組んだ谷戸のあるなかに坂道や曲がった道が続き、季節とともに木々が芽吹き花が咲き、葉が落ちて、冬の明るい陽射しが葉を落とした枝越しに差してきて、そして、九月十月には台風が来て梢が大きな音を立てて風を見せるだろう、こういう鎌倉とは、同じ湘南地区であっても、まったく違う土地なんだなと思う。それぞれの場所の持つそういう自然の違いが、暮らしや成長や思索や思考形成や気持ちの持ち方に、なんらかの小さくはない影響があるのだろう。高台の上の方の、未舗装の路地にちょっと入った先にある、広く海が見渡せるかもしれない、築40年くらいは経っているようだけれど、瀟洒な二階建ての住宅を見ると、具体的ではなく・・・ということは抽象的なのか?それも変だけれど、漠然と羨ましい気もするのだった。もしかすると小島信夫の住んでいた家や、庄野潤三の家は、もちろん鎌倉ではないものの、こういう高台にあったのかな。

あぁ、そうだった、高校のときの同級生のJ君の家は、鎌倉ではなかったけれど高台の一番上にあったな。そんなことも思い出す。J君の家のさらに上の方には鉄塔が立っているだけだった。大学生の頃、夏休みになると、仲の良かった同級生たちはそれぞれの大学のある地方都市から戻って来ていて、J君の家に集まって遊んだものだった。ギターを弾いたり、ピアノを弾いたり、レコードを聴いたり、絵を描いたり、議論をしたり、眠ったり。女の子たちは(記憶のなかで)みんなトレーナーを着ている感じ。ピンクや白の。レコードはボブ・ディランの「欲望」ってアルバムとかグレイト・ジャズ・トリオの最初のライブ盤とか太田裕美とか石川セリ。リッチー・バイラークのソロとかも。私は山下洋輔トリオの「モントルー・アフター・グロウ」を持ち込んだりしていた。夜が明けると半分の友達は眠っていて、半分の起きている連中で外に出る。J君の家からも遠くに海が見えたものだった。そういうことが、すなわち学生たちが誰かの家に集まって深夜まで一緒にいて遊んでいるようなことが、いまもこういう住宅街のどこかで起きているだろうか?それともそういうことを回顧している私のような連中が坂の上り下りに辟易しながら暮らしているだけなのだろうか。いやそれもこれも、もっといろんな出来事を人々は生きているに決まっている。決まっているのに想像できない。春に秋のこと、冬に夏のこと、を懐かしく思い出しても、ほんの半年前のことなのにリアルに思い出せない感じがする。定型的に辞書の文章のようにしか思い出していない。もっと想像力をちゃんと持ちたい。誰とも、ずっとすれ違わないときもマスクを外さないのは、それが気にならないからだけど、それでも外すべきなのではないか、とも思う。やがて急坂のてっぺんまで来ると、自家用車が上がれる道はどんつきになりそこからは人が歩けるだけの階段の下り坂になった。もう稲村ケ崎駅に戻るのはやめにして坂を下りる。下から老夫婦が上がってくる。聞くと、この坂を下りると極楽寺駅の近くに出るそうだ。そうして極楽寺まで下りて、しばらく駅前の通りを稲村ケ崎方向に歩いてから左手の住宅街に続く、さきほどほどではない坂道に折れてみると、またもや住宅街のなかの坂道になる。どんどん上がったら(最後はやっぱり階段)、鎌倉市営プールが下に見下ろせる高台の上に出た。海がきらきらと眩しい。下ると坂の下の町だった。そこから長谷に出て光則寺へ行き、ひとしきり花や枝の写真を撮る。あちこちで椿の花を見ました。光則寺にある梅の木は、老木なんだろうな。下の下の写真のように枝の表面がささくれだっているのは梅の木の枝でよく見るが、あれはどういうことなんだろうか。それすら知らないものだ。老木の梅の、のたうち回っている感じの枝を見る。大昔の日本の絵師達は、花ではなく、まず枝を見ていたのではないかと思っている。

戻りもまったく同じ山道を歩いてみる(引き返す)。最後に七里の駐車場まで行って、海辺で遊ぶ人たちを撮る。七里の駐車場の下の小さな砂浜は満ち潮だったせいもあるのか、それともこのあたりも砂浜が減っているのか、ところによってはもうコンクリートの壁に直接波が当たっていて、砂浜をたどって歩くことが出来ない。カフェレストランのダブルドアーズの前を通って車を停めた駐車場に戻る。歩数を見たら17000歩くらいだった。写真は500枚。そういえば江ノ電の古い車両301+355でしたっけ?今日も元気に走っていたな。

f:id:misaki-taku:20210223214258j:plain

f:id:misaki-taku:20210223213954j:plain

f:id:misaki-taku:20210223214011j:plain

f:id:misaki-taku:20210223214218j:plain

f:id:misaki-taku:20210223214113j:plain

f:id:misaki-taku:20210223214147j:plain

 

f:id:misaki-taku:20210221220606j:plain

昨日、NHKテレビで「圡楽(どらく)さんの日々~伊賀陶工に宿る土・食・花」という番組を見た。圡楽窯の福森雅武さんが話すことがときどきとてもこころに沁みる。「(土を練るとき)できるだけ早く、なるべく触らない。触ると人間の業が移る。とにかく捨てて捨てて(作る)」とか「年をとることは楽しい。わからなかったことが、ふっと気が付いてなるほどこうなのか(とわかる)」

さて、ほぼ毎年恒例になりつつある、小田原フラワーガーデンまで梅の写真を撮りに行く。9:20頃に到着。まだまだ駐車場は空いていてほっとする。帰るとき(11:40)には駐車場待ちの列になっていました。梅のある広大な庭は自由散策可能。一方温室や休憩所はコロナ対応で閉鎖されていました。花の写真を撮るとき(だけ)は上手い下手はさておき、こうやってボケ味をどう生かすかというような既存の花撮影テクニックみたいなことを実行して撮ることに夢中になる。これがなかなかに楽しいですね。夢中になって撮っていたら750枚になっていました。帰宅してさっそく写真を見直す。選んで少し色や明るさやコントラストをいじったりして。

ひとつ下は最新の85mmF2.0のレンズで撮っています。そのまた下は70年代の55mmF1.2で撮っています。ともに開放。

ところでこのフラワーガーデンに行く大雄山線線路沿いの街道の町の殺風景がいいですね。今度はカメラを持って歩いてみたいな。

f:id:misaki-taku:20210221220624j:plain

f:id:misaki-taku:20210221220644j:plain

 

神保町から丸の内

f:id:misaki-taku:20210220205942j:plain

休日にプライベートの用事で公共交通機関を使って都内に出る。緊急事態宣言発令後初めての行動。密にならないように、小田急ロマンスカーやJRのグリーン車も使い、可能な移動は極力徒歩を選択。帰路、外出目的の神保町から東京駅まで歩いている途中に丸の内のたくさんの高層ビルによって直線で切り取られた空に上弦の月を見つける。暖かい。途中でセーターを脱いで、バッグに押し込んだ。五年前、十年前、二十年前、四十年前、それぞれと比べて丸の内や大手町の高層ビルはどう増えていき、その床面積はどう拡大したのだろう。丸ビルが建て替えられる前、いまほどセキュリティが厳しくなく、その旧丸ビルのオフィス階にもなんの制限もなく行くことができた。休日に行ったこともあった。小さな輸入商社らしい会社のドアの下に英字新聞が差し込まれていたりして、そういうのが絵になっていた。絵になったと感じるのがどういうことか?難しいですね。当時の社会的な背景と一般的感覚からする西欧への憧れと挑戦と怖気ずく感じの総体からそこを「絵になる」と見るような共通認識的感覚があったのだろう。真鍮のドアノブ、たくさんの手が触った階段のゆるやかなカーヴを描く手すりの滑らかさ・・・なんていうところが旧丸ビルにあったのかどうか覚えていないけれど、そういうのが共通認識として近代建築のオフィスビルにはあった。あのころ旧丸ビルで撮った写真もモノクロネガを探せばあるのだろうな・・・そのうち見直す機会もあるだろうか??思い返せば、丸ビルも新丸ビル日本郵政ビルも東京工業倶楽部も日本銀行協会も新橋の方でも大阪ビルとか、ビル内のアーチがきれいだったあのビルは何て言いましたか?新橋駅前にあった・・・三信ビルかな?近代建築探偵の本の情報をたよりに、ときには6×7カメラと三脚をもって、そういうビルを撮り歩いたものです。でもね、新しい丸の内の高層ビル街も嫌いじゃないんだな。上弦の月を見つけた直線で切り取られた空もらしくて悪くないと思って見上げている。そして上弦の月を見つけること、柳に新し芽が出ていること、強い風が吹き抜けていくこと、河津桜や梅や冬桜が咲いているのをビル街のあちこちに見つけること、そういうひとつひとつに対する敏感度が上がって、季節が動くことが、季節がどこからどこへ向かっているかという次元ではなく、宇宙のなかで地球が太陽の周りを公転していることによる気候の変化が見えることにちょっとホッとしている。

東京駅丸の内口前の広場には銅像があるのですね。ひとつ下の写真、銅像の背景がビルの隙間になるようにちょっと構図を探してしまいました。井上勝という人物の銅像だそう。日本発の鉄道施設に尽力をした明治初期の人物だそうだ。むかしは皇居の方を向いて置かれていたそうです。丸の内の工事中はどこかに保管されていて、2017年だかにこの位置に新しい東京駅の方を向いて置きなおされたと書いてありました、ウェブの記事によると。

ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」にはベンジャミン・フランクリン銅像の話が出てくるのを思い出す。ベンジャミン・フランクリン銅像の立つワシントン広場ではある時刻になるとサンドイッチの無料配布が行われている。まぁこうまとめて書くと、なにか偉人の銅像をモチーフにアメリカの偉大な歴史を示していると同時にたぶんホームレスの人がサンドイッチにありつこうと集まってくる今の社会の対比を見せて社会の矛盾を告発している・・・なんていう解説が出来てしまうが、ちょっとそういう感じではないのですね。いろんな歴史というか人が生きてきました、そして今も。それだけをたださらっと描写している感じがする。井上勝もここから見える広場で行われている様子を眺めている(銅像が眺めるわけではないのだが・・・)。私はこの広場でどういうイベントが行われるのかは一つとして知らないけれど。

そのまた下の写真は気象庁の建物の前の松です。そして一番下は神保町を歩いていて見つけた閉鎖されたギャラリー。ビルが建て替えられるので昨年で閉鎖されたらしい。そこに傾いた光が差し込み赤い壁を照らしていた。

f:id:misaki-taku:20210220210106j:plain

f:id:misaki-taku:20210220210130j:plain

f:id:misaki-taku:20210220210153j:plain

 

立石海岸

f:id:misaki-taku:20210214202223j:plain

昨日同様に1970年代の55mmF1.2のレンズをカメラに装着し、あえてそういうレンズを使うからにはこれはもうF1.2を多用しようと思う。F1.2にすると、高速シャッターを使い切っても露出オーバーになってしまうことが多いので、今日は昨日と違ってちゃんとNDフィルターをレンズにねじ込んでいく。解像度はひどく落ちる、色収差は出る、フレアっぽい、四隅がかげる。出てくる色味まで時代を感じる。ここに載せた写真はぜんぶそのF1.2で撮っています。今日は昨日ほどの快晴ではないが、立石海岸に行ってみる。五分ほど待って無料県営駐車場に車を入れることができた。晴れるまでしばらく車の中で本を読む。読むと眠くなる。しばらく居眠りをすると夢を見て、起きたときにここがどこだか一瞬不明になったり。午後には快晴になったが、そのときには「本日の写欲」のピークは過ぎてしまっていたのだろうか、帰宅して写真を見たら、午前の薄曇りときどき少し晴れ、のときに撮った写真の方に気に入るコマが多かった。ここに載せた四枚は松を除いてみな午前に撮ったものでした。

昨晩23時ころに長く揺れる地震がやってくる。茅ケ崎市でも震度4。停電も起きる。寝てしまったのでわからなかったが、午前2時ころに復旧したらしい。震源地は十年前の大震災のときど同じあたりだそうだ。原発は大丈夫なのか!と思う。壊れた原発にふたたび天災が襲い、放射能がまた制御不能になるようなことが起きるのが本当に怖い。ニュースを聞く限りは大事は起きなかったようでほっとしました。

 

ところで森さんがオリンピック委員会会長を、女性蔑視発言がもとで退任した。誰かが個人の人柄として、会議で忖度をせずにわからないことを質問する。そういう人もいれば、忖度してあまり発言しない人もいる。それは個の人柄の問題であって、その個に関して、森さんは個人的に「おまえの質問が多くて会議が終わらんじゃないか」と思ったことがあったのだろう。まぁよくある話です。森さんが正しいのか、おそれを知らずに質問することが出来る人が素晴らしいのか?それはその場にいたわけじゃないのでなんともわからないですね。忖度せずにちゃんと質問するほうが立派だという一般論を持ち出すことはやめておこう・・・。そういう一人のことを(その方がたまたま女性だったから)個ではなく「女性」というくくりで一般化してしまったことが間違っていた、と私は思います。あるミッションを遂行するためのスキルというのは、こういう職になると簡単に代行できる人がいないのではないかと想像する。おみこしでないのならば。だから関係者にとっては痛恨の極みだろうな。屋台骨が・・・。ところで、三十年くらいまえ、茅ケ崎に引っ越してきて、茅ケ崎駅から通勤した初日に、誤って改札口(まだ自動改札ではなかった!)で少し前に並んでいた人のイヤホンをひっかけてしまったことがあった。引っ掛けてその方のイヤホンが私のバッグかなにかにまとわりついてしまったのだったか。しかも私はそれに気が付かなかった。そのときにそのイヤホンの持ち主のおじさんが、柔らかく落ち着いた声で「あの、すいません、僕のイヤホンが・・・」とかなんとかおっしゃった。その方の物腰がすごく余裕があって優しくていい印象だったのだが、それで私は「茅ケ崎はいい町だ」などと思ったものだった。おじさんがいい人だったけれど、それで茅ケ崎がいいとは言えないのにもかかわらず、確かにそう思ってしまう。

どこか知らない町に旅をしたときに、その旅をした季節や、そのときの天候や、出会った人の印象や、いろいろな要素が絡んで旅が「よき旅」になったり「いまいち」になったりするだろう。けれど、そういう不確定要素で印象が作られていることを忘れてしまって、M町はいい町で好きだとか、K町は印象悪かったからもういいや、とか思ってしまったこともあった。

ひとつの偶然の印象から敷衍してなにかを一般論化するときに、そこで間違うことって意識的でいないと、ちょいちょい誰でもやりがちだと思います。

だから森さんの発言はとんでもないことだったけど、だからと言って、老害(一人の老人の言動で老人全体を使えないとか考えが古いとかまとめる)とか、女性じゃなきゃダメ(この職に就けるスキルや人脈や知見を満たす人材を育てていたかどうかは女性とか若いとかではなく、だいぶ前からその人材育成戦略があったかどうかにかかっているはずなのに)とか、森さんがやらかしたのと同じ間違った敷衍を、今度は世論がやらかしている・・・気がするのでした。すいません。テレビを見ていたらスポーツ評論家の二宮さんがすごく真っ当なことをおっしゃっていたと思う。

なんだかこのブログにこういう意見を書くのは珍しいことです。

f:id:misaki-taku:20210214202245j:plain

f:id:misaki-taku:20210214202304j:plain

f:id:misaki-taku:20210214202321j:plain

 

真名瀬のバス停

f:id:misaki-taku:20210213175926j:plain

葉山の真名瀬のバス停留所はなにかのCMのロケ地にもなったこともある。このブログにも何度かここの写真を載せてますね。白い真四角(に近い)建屋が「かわいらしい」し、今日は見えないけれど、この窓の向こうには空気が澄んでいると富士山も見える。この窓の向こう側にはちょっとしたテラスがあって椅子も置いてある。近所の人が座ってしゃべっているところによく出くわす。テラスは、もしかしたら右側の店の持ち物なのかもしれない。1970年代の55mmF1.2のレンズをマウントアダプターを介して、最新のフルサイズMLカメラに装着して使ってみる。こうして二枚写真を載せたけれど、実は今日は露出オーバーの失敗写真ばかりになってしまった。撮ったあとにいちいち液晶に今撮った写真を再生してチェックするということを、いまはもう全くやらなくなった。デジカメを使い始めた頃には自然とそうしていたかもしれない。もう背面の液晶画面は畳んでいて使わない。雨の日、雪の日、冬の日の入りの直後・・・いろんな日にこのバス停留所を撮り続けると定点観測でかつちょっとロマンチックな写真が集まるのだろう・・・なんてふと思いつくくらいだからきっとそんなことをやっている人は、この近所のアマチュアカメラマンには、きっといらっしゃることだろう。

定点観測で撮ることは、その場所のさまざまな表情を、定点という縛りをすることでより一層、浮かび上がらせる。縛りによって、こんなに表情が変わるんだよ、ということを明らかにする。もちろん、同じ定点でも、たとえばスカイツリーのような建築物が徐々に作られて行く過程を撮っていく作品を見ることも多い。これはもっと明確で「様々な表情」ではなく、過程の記録そのものだ。前者の「こんなに表情が変わる」ということを明らかにする・・・作者がそのことに意識的かどうかは関係なく・・・定点観測写真は、もしかしたら最新の一枚がいままでと違うことが求められるし、そうであることが継続のエネルギーになっているのではないかな、とふと思った。最初の頃は、たいていは撮るたびに新しい表情が簡単に見つかるが、ずーっと続けていると細部は違ってお大枠だといままでに撮りためた写真の中のある一枚との差が少なくなる。どんどん差が少なくなるからそれでも差を見出すように、あるいは差が大きくなるように、手を変え品を変え「あがく」。その努力がときどき新しく見たこともない瞬間を撮らせるかもしれないが、それはもう新しい「決定的瞬間」というわけで、もともと決定的瞬間に固執することが良いことなのか?自分でもその答えが不明なままだから、それが定点観測写真の成果ではないのかもしれない。いや、これはどこに価値を置くかでそれこそが成果かもしれないのだが・・・

定点観測のだいご味は、もしかしたら、ほとんど変わらない定点観測写真をじっくりみることで「差がない」と思ったり「差がこれしかない」と思ったりすることかもしれない。

結局「定点観測写真」という行為だけに名前が付いていて、その手法を使ってなにを示すのか、示されるのか、についてはなんの決まりもないってことだな。f:id:misaki-taku:20210213175947j:plain




公衆電話

f:id:misaki-taku:20210213000234j:plain

公衆電話は少なくなって、それでもまったく見掛けなくなったわけではないが、それを使って電話を掛けている人を見ることは全くなくなった気がします。ライフラインとして、災害等の緊急時まで想定したときに、ある程度残っていなければいけないといった必要性があるのかしら。電話がダイアル式からプッシュ式になったときには、みんなとても早く番号をプッシュしていた。しょっちゅう掛ける恋人の家や自分の家の電話番号を押すときはもう自動的に指が動いていた気がする。
ネットでニュースを読んでいたら、ジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなったという記事を見つけてちょっとびっくりする。1980年代前半にまだあった田園調布ので年コロシアムでの野外ライブ「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でチック・コリアハービー・ハンコックの演奏を聴いたと思います。もしかしたらソロかチック・コリア・バンドだったのかな?よく覚えてない。覚えているのは、その日の演奏はそういう選曲ではなさそうだったのに、やたらと「ラ・フィエスタ」(曲名)を大声でリクエストする客がいて、それが気になったことだ。

あの頃、会社の寮に住んでいて、プレイヤーにいっつもチック・コリアの「スリー・カルテット」というLPレコードを載せていて、会社から帰ってまずそれを聴いていた時期があったな。ほかにチック・コリアのソロピアノのアルバムも持っていた。それは輸入盤で買ったのだったが、最初から途中で針が飛ぶ箇所があって結局まともに聴けなかった。

スリー・カルテットをよく聴いていたころは、オートバイに乗っていた。私が乗っていたのはスズキのGSX250Tと買い替えたあとはホンダのGB250だった。背が低いから足つき性が気になるのと、セルスターターがなくてキック始動がマストだったからその扱いに自信がなくて買わなかったが、でも実は乗っていた上記の機種よりも本当はヤマハのSR400に乗りたかった。そのSR400は長寿命の機種となっていて、発売後40年を過ぎてもまだ現行機種として生産されていたが、とうとうこの春に最後の受注をして、受注台数を製造したら打ち切られるそうだ。

チック・コリアが亡くなったこととSR400が製造終了となることは、なんら関係のないようなのだが、こうして私にとっては若いころの暮らしのなかに共にあって、だから同じこの2月にこの二つのニュースを目にするのは、まぁちょっと悲しい気分ではあります。

そして寮があった田園都市線のI駅の周りには北口にたしかみっつ、南口にはふたつ、電話ボックスが並んでいた。フイルムのケースにためておいた百円玉を持ってそこへ行き、週に一度か二度、その公衆電話ボックスから遠距離通話をしていた。

これでチック・コリアとSR400と公衆電話がつながりました・・・おあとがよろしいようで。

 

 

スリー・カルテッツ+4

スリー・カルテッツ+4