椿庭園にて

 本日3/16は土曜日、物音で早朝4時前に目が覚めてしまい、そのまま眠れず起きてしまった。起きているけれど頭はなんだかぼーっとしている、ぼーっとしているけれど眠れない。そんなぼーっとした頭のまんまパソコンを付けて、いつものように古い写真、今日は2008年?ちょっと前じゃん、と思いきや、もうなに、それは十六年も前なのですね。でも写真はその日に撮ったそのままのデータで、デジタルデータは褪せることもなく.jpegの規則通りに同じように画像としてモニターに現れて来る。そして画像となって現れると、それがなくては決して思い出すことはないだろう、その日のことがちょっとだけでも思い出せるんですよね、場所などもなんとなくわかってきて、そうそうこのときは・・・となる。これはもちろんのこと写真なんだからそういうもんだ、となるわけだけど、フイルム時代と違って、めったやたらに所謂「ライフログ」的に撮ってあると、ちょっと「そういうもんだ」の「そういう」がもっと以前とは違っているんじゃないか。でもそれを具体的には言えないな、そんな気がするだけ。

 それで時刻が9時ころになったら急に眠くなってきた。しかしここで眠ってしまうと、一日棒に振る感じがして焦ってしまう。せっかく五月の暖かさだという晴れた気持ちの良い土曜日なのだからと、頭がぼーっとして身体もだるい感じであっても、カメラを持って外に出て、藤沢駅JR東日本東海道線の駅)までふた駅、久しぶりに藤沢の駅周りをぶらついてみました。というのも早朝にパソコンで見た2008年にしょっちゅう藤沢駅周りを撮ってあったので、その後街がどう変わったかを見たいという気分もあったんだろうな。

 写真は出来立てほやほやの新しいビルなんかを観に行って撮ったりもするけれど、やはり懐かしい場所や物を撮りがちで、写真がそもそも過去と親和性が高いだろうから、たとえば20歳のカメラマンであっても自分が10歳15歳18歳の過去を懐かしく思って、その懐かしさを感じる場所やモノにカメラを向けがちなんじゃないかな、ましてやもっと年を取ると余計そうなるのが自然なのかもしれない。だからおじさんやお爺さんになるとカメラ趣味の人が、スマホカメラだけではなく、カメラ趣味に惹かれて行くんじゃないか。まぁその良し悪しに意見があって、それにとらわれないことがまず大事だと思う人もいるかもしれない。目の前のものを私情をなるべく挟まずに撮ることの難しさは懐かしさからどう逃げるか、かもしれない。

 すなわち2008年にそのときに懐かしいと感じたものをたくさん撮ってある、それは2008年時点でもうすぐなくなりそうな藤沢の遊郭の合った辺りに残っていたタイル張りの旅館やら、木造の長屋の飲み屋街や。あるいは未舗装で白っちゃけた感じの広い駐車場や。500円くらいのモーニングセットを出す昭和からあった喫茶店も。そうだから、たぶん2024年に藤沢に行っても、2008年に撮った場所はほとんど消えているだろう、なんだかそれを確認に行った感じ。そしてほとんどがそうだった、けれど、なんと昔ながらの古本屋が四軒あったうち二軒がまだやっていてちょっと驚いてしまった。その頃に森山大道の「四区」だったかな、それを買った駅に近い古書店には、いまも写真集を売っていて、70年の朝日ソノラマ写真選書なども、そしてどの本も「正しい値段」が付いていて、とても買えないのだった。むかしはBOOKOFFには正しくない安価な値段の写真集がけっこうあって、店内で値段を調べて「せどり」している人をよく見かけましたね。古書店でもときどき「安っ!」というのがあった。でもそういうお買い得感のある本を見つける楽しさももうなくなりましたね。ネットの時代で商売するほうも正しい価格をちゃんと把握できるんだろう。

 そんなことをふと思ったりして、だけどぼーっとだるい身体のまま、さてどうしたものか?と思案に暮れると、そうだ!茅ケ崎の氷室椿庭園では椿の花が盛んな時期なんじゃないかな、とふと思い出したのです。それでたまたまオールドレンズの50mmF1.4をバッグに入れておいたこともあって、そのあと椿の写真を撮った、そういう土曜日でした。午後5時頃に帰宅してから早速二時間ほど昼寝をいたしました。

ステーションワゴンの頃

 12年前の2月に鎌倉の七里ヶ浜にある有名な(?よくCMなどのロケ地になっている)海に面した駐車場で撮ってあった写真です。この写真を撮っている私の背中側にある七里ヶ浜の住宅地を造成するときに出た土砂を使って造られた駐車場のようです。

 両側に停まっている車が両方とも車種まではわかりませんが、ステーションワゴンのようですね。最近、ウェブの記事で、SUVに主流が移りステーションワゴンがほとんど絶滅危惧種になっていると書いてあるものを読みました。私の車もいまは小型のSUVです。でも、心のどこかにはステーションワゴンという形式に対する好意というのかな、そういう気持ちがあります。これは1980年代90年代にステーションワゴンが主流だった頃に自分自身が20代30代という車に対しての思いがあった年齢だったし、そのまえの10代20代に、車を持ちたいというのが社会のステータスになっていた時代で、私もその気分にしっかり染まっていたうえに、いよいよ車を買える上記の年齢にステーションワゴンが流行っていた、ということが大きいのでしょうね。

 あの頃は、いまより日本にはまだ欧米に対するあこがれというのか目指す像としての外国という意識が、良いか悪いかはさておき、あって、本当だったのか嘘だったのか、欧米ではステーションワゴンが一般化して使われている(だからわれわれももっとステーションワゴンに乗ろう、それがカッコいいんだよ)という記事もあった。あるいは、60年代から70年代に国鉄が仕掛けたディスカバージャパンという旅の商業化が、ずっと続いて、角川文庫の「ポケットの中の角川文庫」(文庫本をポケットに入れて旅に出よう)や、パイオニアのカーステレオの「ロンサムカーボーイ」は若者に一人旅(カーステレオを積んだ車でさすらおう)を促すことで自社製品を売ろうとしていたんじゃないか。

 そういう時代の、サブカルの、気分にいとも簡単に染まっていましたね、私は。だからステーションワゴンのワゴン室にアウトドアグッズを乗せて車で旅に出る、というのは、憧れであって滅多にそんなことは出来なかったけれど、それでもやってみたいことであり、だからすばるのレガシーステーションワゴンに乗っていた頃もありました。

 ところで先日、横須賀美術館で「日本の巨大ロボット群像」という展示を観ましたが、わたしはテレビアニメ版の鉄人28号をほんの小さいときに夢中で見ていたけれど、その後のマジンガーZガンダムもまったく興味を覚えず、ひとつも観たことがなかった。そういうことが今の車のデザインの好き嫌いにもそのまま反映しているってことありますかね?最近のトヨタやホンダのヒットしているSUVにはガンダムのデザインテイストを感じてしまうし、だけど上記のようにその漫画は見てこなかったこともあり、ガンダムのようなデザインの車をいいとは思えない。わたしが好きなデザインは初期の鉄人のような、というのはちょっと極端だけど、直線だけでなくアールも多用されたレトロチックな味わいがちょっとあるような車だったりするのかもしれません。

 

展覧会を回って来た土曜日

 昨日の土曜日に都内で四つも美術展や写真展を回って、五年十年前には四つくらいは平気の平左だったのですが、強風で寒かったこともあったのか、すっかり疲れてしまい、帰宅して風呂に入ったあとにベッドにちょっとだけ横になったら、部屋の蛍光灯も消さず、オイルヒーターもマックスで、歯も磨かず、当然寝間着に着替えもせずに、眠ってしまい、目が覚めたら日曜日の朝の5時半過ぎになっていました。今日は昨日ほどの風はなさそうで、外はよく晴れているけれど、いまは午後二時半で、一歩も外に出ていない・・・あぁ、朝早くすぐ隣にあるローソンに行って、そういえば四日前に発売になっていた限定のヒグチユウコのコラボが奇跡的に残ってないか?と見に行ったけれど、当然なかった、ついでに発売終了が発表されたチェルシーもなかった。そりゃそうですよね、ヒグチユウコのコラボ商品なんか早速メルカリで十倍くらいの価格で売られているみたいだし。午前、NHKEテレの日曜美術館マチスの特集を観ました。良かったですね、国立新美術館で開催しているマチス展では、あの南フランスの教会を再現しているらしい・・・行きたい。

 昨日行った四つの展示のうち、東京ステーションギャラリーで写真家安井仲治の写真展を観ました。展示室内は撮影禁止でしたが、これは展示室から出た休憩スペースで、自販機とベンチがある場所の窓から丸の内の広場が見下ろせたので撮ったものです。窓越しなので窓ガラスの透過率のせいか、少し青っぽくて柔らかく写っていました、なにも処理せずそのまま載せています。一番左に少しだけ赤レンガの東京駅が見えていて、時計台があるのは旧東京郵便局、いまは商業施設のKITTE、その後ろの高層ビルはKitteを表にしている折り紙だかの愛称があるのかな?(調べてみたら折り紙がデザインのコンセプトの高層ビルだそうです)JPタワーで設計は隈研吾だったと思います。それから画面の右側は丸ビルで低層階はKITTE同様、以前の丸ビルのイメージを残しています。角が丸みを帯びている。KITTEと丸ビルに両側を挟まれて中央に見えるのが1970年代に建てられた三菱ビルですが、このビルは繊細で美しくて好きです。蒸気機関車C57型が貴婦人と呼ばれていますが、丸の内にあるビルの中ではそんな感じに思えます。この方向も高層ビルがたくさん建っていますが、写真の右斜め後方の大手町方面は超高層オフィスビル(低層階のみ商業施設がある場合もある)街で、一体いつのまにこんなになってんだ、という感じです。

 安井仲治の写真展は時代とともに写真家が撮って来たものを順を追って展示されていましたが、いちばん心に沁みたのは、以前からもずっと大好きだっ残氓ユダヤ(いまはこの作品名では呼ばれていないのかな)のシリーズで、シリーズを通してそこに現れている気持ちが「冬の晴れの日の夕方の、だんだん寒くなって来た人恋しい気持ち」のようなことが被写体の人々にもたぶん安井仲治の心のなかにもあって、それが写っている。ほかの浪速写真倶楽部の写真家が撮った同じ日の写真が社会派のドキュメンタリーなのに対して、構図や被写体の表情や眼差しに悲しみと安堵(あきらめ)が同時に写っているのは、ここからパーソナルドキュメントというのか私写真的ドキュメントというのか、そういう感じがあって飛びぬけていると思いました。

 上の方にお菓子のチェルシーが発売終了ということを書きましたが、今朝のニュースではブラタモリも終了だそうですね。

 ここに来てまた寒い日が多くなってますが、黄色いサンシュユの花が咲いていますね。好きな花です。

ロックのたましい

 だいぶ日が長くなりました。真冬にはもう暗くなりかけた時刻でもこんなに明るい。相変わらずの近所の散歩です。

 最近読んだ本に歌人穂村弘さんと、谷川俊太郎横尾忠則萩尾望都高野文子等の方々(敬称略)との対談を集めた文庫本があります。この対談集にはロックの甲本ヒロトとの話も収められているのですが、わたしはこの章は、最近少し慣れてきた「入浴しながら読書する」で読んだのですが、いやーもう生き様がかっこいいなあ、と感心仕切りでした。ロック音楽に感銘を受けてロックをやろうと決めた甲本さん、だけどそれがイコール音楽ではなくて、歌うことも弾くこともしなかった。まず最初に「ロック」という生き方、考え方、態度/行動、を実践した(というように私は読んで解釈しました)。これ、本当のロッカーたる所以だな。それで高校だったか大学だったかで、歌ってみない?と言われて歌い始めたというのですね。あと歌詞の出来るのも天啓のように何かがきっかけになると、あとはとても短時間で歌詞が降りてきて、いちいち深い推敲などしない・・・ビートニクの詩人みたいだな。

♪ 愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない 決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ ♪

ところで甲本さんの詞(例えば上はリンダリンダの歌詞からで甲本ヒロト作詞)とともにギターのマーシー真島昌利)の詞も素晴らしいですよね

♪ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しいことをたくさんしたい ミサイルほどのペンを片手に おもしろい事をたくさんしたい♪(1000のバイオリン より)

 ところでこの「1000のバイオリン」の歌詞にはミサイルという単語が出て来て、五年十年前にはこんなところに唐突にミサイルが出て来ることにちょっと違和感を感じたものです。私だけかな? まぁここには、消しゴムからヒマラヤを、ペンからミサイルを、そういう想像を発展させるようなある意味子供じみたような青春ぽい漠然としているぶんピュアで大きな夢(のようなものの)大きさと重さを感じるわけですが。

 それで同じミサイルという単語が使われているのが くるり「街」。歌は最初

♪この街は僕のもの 手をとり登った山も あわただしい日々 知らぬ間に蝉時雨もやんで 京阪電車の窓から見える君の背を追って♪

とはじまりますがそののち

♪夕暮れのスーパーマーケットの前で吸うタバコや それを見て微笑む愛するきみのまなざしも 青すぎる空を飛び交うミサイルがここからは見えない♪

と続きます。この街には青空があるだけで、君へのありふれた恋心が伝わって来るけれど、世界のどこかの街にはミサイルが飛び交っている・・・と。この歌詞を岸田繁さんが書いたのはいつ?1999年です。いまや日本にだって近隣の国からいつミサイルが飛んでくるかわからない。そして毎日ミサイルが飛び交っている場所が地球には何か所かある。

 このブログを書きながら、ハイ・ロウズの「サンダーロード」のライブ映像をYOUTUBEで観ました。それを観ながら、いちばん人々が幸福に、少しでも近づいた時代は80年代90年代だったのかもしれないな、そこへ繋いでくれたのは60年代70年代だったんだろう、そして今、それがないがしろになっていったのは一体どういうことだ?と思うわけです。科学の進化なのか、政治家がリアルな戦争の悲惨さを身をもってしらないからなのか、経済の生んだ格差の歪なのか、政治家の個人の既得権益を守ろうとする気持ちが世界規模まで支配力を増すのか、あるいは誰かの妄想が群集心理を操作してしまうのか。国と言う単位が世界という単位ではないからそこに部分最適が生まれるのか。

 先日もBSニュースで観た、一般の方々が「檻に閉じ込められて銃弾を乱射されている」ような死にざまで、数万人も亡くなって行く、行った、というニュース。わたしたちは国立競技場やなんとかアリーナに詰めかけて音楽などを楽しむ。そのときに数万人という群衆がどれだけの規模か知っている、それと同じ群衆の命が一日で消えている。空しいっていえば空しいですよ。だけどサンダーロードのライブ映像を観ながら、それでもまだ、まだなんとか、間に合うように・・・と。

 写真は近所の消防署の裏にある駐車場に停めっぱなしになっているはしご車。ナンバーが外れているから廃車なのか、それともこれからナンバーが取得されるのかは、わかりません。

 

相模湾越しの丹沢山地

 相模湾越しに鎌倉や藤沢の街(中央からちょっと左の緑は稲村ケ崎)とその向こうに神奈川県北部に横たわる丹沢山地の山々、うっすらと雪化粧しているので山のでこぼこした形がわかりやすい、そういう風景です。先日、所要で車を運転して出かけたときに、少し早く出て葉山町の某所に立ち寄って撮って来ましたが、いやー風が強くて凍えましたね・・・とは言えこの地方にしては寒い朝だったというだけの話です。

 幼児の頃から18歳までは平塚市に住んでいたので学校行事でこの丹沢山地に行くことがたまにありました。丹沢山地でもいちばん南にある大山(だいせん ではなく おおやま と読みます)には高校時代は大山登山の授業?で登らされました。中学でも一回あった気がする。高校一年の夏には同級生だったAくんと二人で大山のさらに尾根続きの塔が岳まで登って下りた夏の日があって、覚えているのは頂上に立った爽快感などよりも、上り坂の辛さと、降りたところで缶ジュースやかき氷をいったいどんだけ水分が抜けていたんだ!って思うくらい大量に飲んだり食べたりしたことかな。でもいまやもう丹沢山地に行くことなんかなくなってしまったな。大山にはケーブルカーもあり中腹の阿夫利神社までは簡単に上がれますが、それでももう二十年か三十年は行ってない。ときどきどこの街だったろうか?恵比寿?目黒?ラーメン屋で「阿夫利」というのを見かけますが、あの店名は大山の阿夫利神社と関係あるのかな?

 たぶん子供の頃に、いわゆる「ふるさとの風景」にあった山というのは、きっとなにか人の成長に強く関与していると思いますね。その山がいつもあり、その山に包まれて育ち、その山があるなかでさまざまな出来事に遭遇して、そして成長した。その頃にはあって当たり前だった山が、たとえばふるさとを離れて遠い町に住むようになったあとに、たまにふるさとに帰るとあたりまえに迎えてくれる、そういうことが起きたときに山と自分の関係が急にわかる、というようなことはただのおセンチな思い込みなのかな?

 さて上の方向からちょっと左に目を動かすと、海の向こうには富士山も見えるのですよ。上の写真を撮った同じ今年の2月にも富士山の写真を撮りましたが、下の写真はあえて違う日、2018年の6月某日の富士山ですが、えっ?6月でも富士山の冠雪は消えていないんだっけ?と思いました。これだけずっと富士山の見えるところに住んでいても、意外とそんなことは覚えていないものですね。で、一応調べてみたら、たしかに6月頃までは雪を被っているのですね。

 

たぶん今シーズン最後の牡蠣フライ

 今日は3月1日でもう弥生に入りましたね、外・・・といっても家の近所ですが・・・を歩いていると、とてもソメイヨシノに似ている桜の木があって、なんという種類なんだろう?もう満開に近づいていてびっくりしました。それから、ときどき住宅地の中に見掛ける、道幅も広く歩道も付いている道路が、ほんの数百メートルで行き止まりになっている、これは宅地開発の計画が途中で頓挫したとか、不動産屋のあいだの意見の相違とか、後から出てきた別の開発計画の犠牲になる、なんていういくつかの理由が想像できますが、そういう行き止まりの立派な道があり、そこの街路樹が白木蓮なのですが(辛夷ではないと思えます)そのうちの日当たりがいちばん良い場所の一本がもう開花をはじめていました。この開花を確認したのは一昨日だから2月28日のこと。その日は住宅街を歩いていると、ときどき沈丁花が香ってきました。

 今日の昼に、そのソメイヨシノに似た花を見たときには、昼食を食べにその先にあるとんかつの店に「牡蠣フライ定食」を食べにいったのです。冬のあいだにそのSというとんかつ屋と、隣の平塚市にある、やっぱり頭にSが付くカレーの店に行き、とんかつ屋では牡蠣フライ定食を、カレーの店では季節限定牡蠣カレーを、それぞれ最低一回は食べるのがずっと冬の個人的風物詩のようなことなのですが、今年は今日までどちらも食べていなかった。そこで昼食にせめてとんかつのSの牡蠣フライ定食だけでも牡蠣の食べ収めにしておこうと思ったのです。五個のうち二個はとんかつソースで、二個はタルタルソースで、ひとつはソースを付けずに食べてきました。

 ソメイヨシノに似た花を見つけたときはとんかつ屋への往路で、木を間近に見ようと横断歩道を渡って寄り道をしてスマホで写真を撮りました。些細なことだけど、渡って花をみるか、それは帰り道にしてまずはとんかつ屋に行き空腹を満たすかをちょっと迷いました。でも往路に寄り道をした。寄り道ったってほんの1分かそこらの話です。牡蠣フライを食べ終わり、美味しかったけれど、揚げ物は腹にもたれるなぁ・・・としのせいだよなあ・・・と思いながら店の外に出ると、来るときには晴れ渡っていた空に雲が出てきていて、ちょうど太陽が隠されていた。ソメイヨシノみたいな(でも時期的に考えてソメイヨシノじゃない)桜の花を来るときに見ておいてよかったなとちらっと思う。人の心で思っていることなんて、こんなふうなちらっとちらっと思うことの積み重ねばかりなんだろうと思います。

 JR東日本内の東海道線・東京ー熱海の主要駅でいえば、東京・川崎・横浜・平塚・小田原・熱海あたりかな、これならば関東に居住ではない人も知っている地名だと思いますが、その横浜と平塚のあいだは、順に横浜・戸塚・大船・藤沢・辻堂・茅ケ崎・平塚と続きます。もしかすると平塚より藤沢の方が知名度が高いかもしれませんね。サッカー日本代表の現キャプテンのリヴァプール所属の遠藤航選手は上記の駅でいえば横浜市の戸塚出身で、平塚市を本拠地とする湘南ベルマーレのユースからトップチームへ、浦和レッズを経由して、ベルギーからドイツへ、いまはイングランドへと駆け上がって行きました。あるいは茅ケ崎市は、まさに私が住んでいる市ですが、サザンの桑田佳祐加山雄三の出身地で、駅に電車が停まるとサザンの希望の轍のメロディーが流れるし、駅前から海に向かう正面のバス通りは加山雄三通りといい、斜め右の海水浴場へ向かう道はサザン通りと呼ばれます。先日、上記の駅名でいうと辻堂駅のすぐ近くにあるモールにあるURBAN RESEARCH DOORSに行き、黒の襟付きカーディガンを買いました。新しい服を買うのは、それだけでちょっとうきうきするものです。いつ着ようかな?と思ったりしますね。

 写真は上記の白木蓮の花が咲いていたと書いた2月28日の夕方に茅ケ崎中央公園で撮った写真でして、以前もこのブログに書いたけれど、だいぶ前、理髪店で散髪しているときに隣の席に来ていた客(最近に茅ケ崎に越してきたばかりだがこの街は気に入らないという人)が、遊具も売店もアトラクションもないつまらないただの公園、とこきおろしていた公園ですが、遊具も売店もアトラクションもない素晴らしい公園だと思います。この地面の緑、芝かな?それともシロツメクサなどの雑草かな?に大きな欅(らしき)木の影が伸びていて、集まった子供たちの遊ぶ声がたくさん聞こえる・・・この写真には写っていない右側にとくに大勢子供がいてボール遊びをしていました・・・ほのぼの、というのはこういう早春の夕暮れに在るものなのだなと思いました。そして昔と変わらない子供たちの放課後の遊び方がちゃんと出来る街は誇らしいですね。

 聞いている音楽は、前回か前々回にも書きましたが、若いフォークロックバンドのローラ・デイ・ロマンスをいまだによく聴いています。たとえば前回か前々回にも書いた「ウィノナ・ライダー」の歌詞は ♪ 公園 悲しみにさよなら やけに残った乳白色の思いが 味気のない未来の色と混ざって ただ観てるだけで幸せ 傷ついたウィノナライダー 僕らはまだ 仮初にそう歌った 磨いたレンズが 君の姿を映した こんな日には 環状線が運んだ寂しい音楽 ♪ ですが、雰囲気が伝わる、でもよく判らない感じ、もどかしい感じ・・・

とりとめもない

 子供の頃、というのは小学校の低学年の頃だったのかな、冬なのに妙に暖かく風のある日・・・今考えるとそれは春一番の日かもしれない・・・そういう日には、いつもと違って友だちとは遊びたくなくて、一人でとくにこれをやると決めないまま、ただ屋外にいたかった、そんなことを覚えています。だからなのか、そういう個性なのか、いまも一人の時間も好きだし、一人旅もするし、私ではない誰かにそういう気持ちが起きているのなら、好きにするのがいいよ、と思っている。行くと言っていた飲み会に行くのが急に面倒になり、なんやかや理由を捻りだしては欠席してしまい、家で本を読んだりする。 

 月の満ち欠けが早い感じの今日この頃。上のエピソードよりもう少し年を経て、中学の頃には、以前にもこのブログに書いた気もする、しかも何回も、月がいっつもこっちに同じ面しか向けていないのは裏面でなにかが行われているからに違いないと思い始めて、そうしたら自分の気持ちに収拾がつかないくらいの恐怖が数日続いた。裏面で準備されていることが行動に移ると、この地球の人類が滅ぼされるんじゃないか、と思ったのだ。

 春野菜の天ぷらってこの季節になるととっても食べたくなる。菜の花、ふきのとう、たらのめ・・・そういうのの天ぷら。そして、必ずしもというかいつもそれがなかなか叶わない。てんや頼み(笑)

 そうやって春に向かって季節が進みます。いつのまにか気に入っている若いバンドLaura day romanceのウィノナライダーと言う曲の歌詞が気になっているのも今日この頃のこと。

 写真の一番左のビルは60年代に建てられたビルですが、そんなことは帰宅してから調べるわけで、歩いているときは、おっ!かっこいいな、たぶん60年代のビルだな、と思ったりする。でも、ではなにを基準に自分がそう判断しているのか、そのアルゴリズムが自分でもよくわからない。

 以上、とりとめもない今日この頃のことです。