
3月の20日頃にフイルムカメラで撮った新緑の写真です。フイルムを四本か五本撮りためてから郵送現像に出し、一週間ほどでデータがダウンロードできるようになり、その数日後に現像あがりのフイルムが送られてきます。撮ってから写真を見るまで、すこし日を経る必要があるわけで、花が咲き散り、裸の枝に新緑が目覚め、あっという間に葉を大きくしていく、その変化が早い春だから、写真を撮ってから見るまでのあいだに、もう季節はさっさと進んでいます。だからフイルムで撮る写真には最初から懐かしさを纏っている感じがするのでしょうか。
写真のことはさておき、自分の感覚として、日々を過ごすなかで、なんだか季節の進みに追いつけない感じがしますが、若いころはそうではなくて、まだかまだかと季節を先取りして、振り返って季節に早く来いよ!って手招きしていたんだっけ?そんな感覚のことは忘れてしまいました。
いつまでも衣替えをしないで、冬服を着ているのが、季節に追いつけない一例。もう夏のような服装でいるのが、季節を先取りしてる。そう考えると分かりやすいけど、そんな簡単な感覚ではなかったのでしょうね。次に何をしたい、何かを手に入れたい、何かを待っている、はやくこうなりたい……計画、それは来月に誰かのライブに行く、でも構わない、計画がたくさんあると、結果として、季節を先取りするようになった?それもなくはないな、だって情報誌はいつもひと月くらい先のことを書いてあり、そこに心躍らせていたんだものね。てことは、最新の流行りを追い掛けることに夢中になってる世代の感覚が、そうでなくなった人たちとは違うって言うだけなのか??若い頃にはヒット曲のベストテンを、日本の状況はテレビのザ・ベストテンで、洋楽はベスト・ヒット・USAで、知ることは楽しみだったし。しかも、初登場のときはすでにその曲が出てることをラジオなどで聴いて知ってるものだった。ジャズの新譜はスゥィングジャーナル誌のディスク紹介コーナーで仕入れて。これはポピュラー音楽の例だけどほかの分野にもそう言うことがあったんだろうな。これっていまのスマホでちゃちゃっと何でも調べられて、なんなら情報が目に留まるよう、向こうから湧いてくるようになってから、むしろ、先取りの情熱が薄れ拡散したってことで希薄になった感覚なのかもしれないな。
でもそういう知りたい欲求は、若い日々の特徴かもしれない。佐野元春の「SOMEDAY」の歌詞に、手遅れと言われても口笛で応えていたあの頃/誰にもしたがわず/傷の手当てもせず/ただ/時の流れに身を任せて、という歌詞があります。そのあとに続く歌詞には、いつかは誰でも愛の謎がとけて/一人きりじゃいられなくなる、と続きます。この歌詞の主人公の言う「あの頃」って例えば19歳のことで、いまひとりきりじゃいられなくなった主人公は、たとえば26歳くらいなんじゃないか。あの頃、と言うということは、自分がすっかり変わってしまったと、愛について知りたいと言う欲求があったかどうかはわかりませんが、否応なく愛の謎が解けた、という感覚になるのに7年。その変化があるから、振り返ってそう思える「昔」ってこと。でも例えば50歳から7年経った57歳までのあいだで、これほどの、愛の謎が解けるほどの精神面での変化って起きることは少ないと思うわけです。57の人が50の頃を振り返って、世の中や自分を取り巻く周りの変わった点を挙げて「あの頃は……」とは幾らでも言える。会社の組織図ややってることやメンバーも7年あればがらっと変わることもある。でも57の人が50の頃の自分を振り返って、あの頃は愛の謎が解けてなかったな、と思うようなことは少ないんじゃないかな。すなわち、若い頃は放っておいても変化せざるを得ないんでしょう。それが放っておいたら変化せず安住するようになる。まぁでも生きてる動物はすべからくそういうもんだからそれでいいのか?
勿論、それでいいんだよ、とも思わないわけでもない。無鉄砲な若者は社会として容認できる弾力性があってもいい気がするけど、無鉄砲な爺さん婆さんは、大抵において迷惑極まりない……のかな。
ちなみに写真は40mmF1.7レンズの着いたnewCanonetQL17を使い開放絞りて撮影。







