思いと意見

f:id:misaki-taku:20220116202427j:plain

・・・・

吉田篤弘著中公文庫「ソラシド」P315より

いまはこうして別の方向を向いているけれど、表面的な言葉や、つまらない理屈を取り払ったら、下地にあるのはきっと同じ思いだ。おそらく、みんな同じひとつの思いから出発している。右や左を向いてしまうのは取るに足らない即物的な感情のせいだ。

「どうしてかな」とソラは声に出して言った。

「え?」とカオルとトオルがソラを見る。

「思いはひとつなのに、どうして意見は分かれてゆくんだろう?」

「それはたぶん」

トオルが答えた。

「思いは言葉になりにくいけど、意見は言葉で出来ているからじゃないかな。なにかの本にそう書いてあった。意見はただの言葉だって。でも、このレコードからは言葉を超えた思いが聴こえてきた(後略)

・・・

あなたの考えはどう?どうしてこうなったと考えますか?どれが好きですか?・・・質問をされたときに、言葉で答えなければならず、でも自分の考えや、そうなった理由をどう考えるかや、好きな理由は、その思いを言葉に変換して発しているときに、どれだけ真実性を保っているのか、どれだけ真摯に言葉にしているのか。そして聴く方はその言葉を受けて、そこにまた言葉の解釈のあやふやさがあるときに、どれだけその思いって伝わっているのか?答えを聴いてそれを解釈している段階で、その解釈後の言葉はもう回答を逸脱した勝手な理解にまみれているに違いない。誰かに思いを伝えるときに、それがうまく伝わっていなくて、例えば不安や猜疑心をあおってしまっていると感じたりすると言葉に頼ることの不自由さを感じてしまう。しかし言わないとさらになかなか伝わらない。そんなことをなんとなく感じることが多かったから、この「思いは言葉になりにくい、意見は言葉で出来ている」と言うところを読み、ちょっとページの端っこを折った。もしかしたら吉田篤弘も誰かの言葉を引用したのかもしれないが・・・

写真家のトークショウを聴いていると、写真を撮る行為や動機を聞かれたときに「なんかこう・・・」と言うことが多いと思ったことがある。なんかこう・・・のあとに無理やりその動機を言葉にしようとして四苦八苦していらっしゃる。動機だけでなく、写真を説明したり解説するときにも、同様に。

もしかすると写真を撮るという行為は「思い」に支えられていて、選ぶ行為は「意見」というか「言葉」に支えられがちなのかもしれない。「思い」で選ぶのはどうすれば出来るのか・・・

上の写真は冬の日が回りの建物に遮られるなかでもなんとか届いている小さな公園。子供たちが乗って遊ぶ遊具にキャンディとかクワガタが使われているのは珍しいかもしれない。だけどこの写真を撮るときに、キャンディやクワガタだと一瞬見定めたものの、それをちゃんと残そうとしたわけでもなく、ただ、通り過ぎるときに見定めたその一瞬がそのままシャッターを押すという行為までつながっているだけだ。一瞬の撮影で足を止めないこともある。と言うことは選ぶときも一瞬で選ぶ、目に入った瞬間の画像に「なんかこう・・・」と引っかかるかどうか、それだけで選ぶのがいいのかもしれない。

足も止めずに一瞬で撮るときでもなるべくぶれないように、そういう撮影をするときにはシャッター速度優先モードにして、例えば1/1000秒などにして、そんな撮り方でもぶれないようにしている。

海の向こうの富士山

f:id:misaki-taku:20220115215042j:plain

とくになんの予定もなかった土曜日。自家用車を運転して三浦半島の葉山あたりへ。10時ころに県営立石駐車場に並ばずすんなりと停めることが出来た。すぐ近くのハンバーガーの店でシュリンプアボカドバーカーを食べて珈琲を飲んだり、下の写真の立石公園あたりを散歩したり、車に戻って昼寝をしたり読書をしたり、秋谷漁港のあたりから急坂を上り迷路のような住宅地を歩いてみたり、車に戻ってまた本を読んだり、日の沈む時間を調べ、その三十分くらい前から日が沈むまで海と太陽を眺めたり、そして5時過ぎまですごしてから渋滞の国道134号線をのろのろと走って帰宅した。

三浦半島のこの西側からは、空気の澄んだ冬、相模湾をはさんだ海の向こうに富士山がよく見える。立石に限らず、長者が崎でも森戸でも葉山でも逗子の渚橋あたりでも、ずっと海の向こうに富士山が見えている。駐車場に車を停めた人は、車を降りて、みんなこの下の写真と同じような写真を撮っていく。帰り道、上記に名前を連ねたようなポイントでも富士山を撮っている人が必ずいた。そして写真に写りながら富士山はどんどん暗くなっていく空の中に溶けるようにして見えなくなっていく。

数年前に伊豆フォトミュージアム現代美術家ショーン・タンの富士山を取り上げた作品展を見た。一般の方たちから募集収集した富士山の写真が使われていた。「夕焼け空」とか「雪原」のような場所を特定しないものではなく、富士山や瀬戸の渦潮や函館の夜景や、そういう「具体的」な場所で、日本でいちばんたくさん写真に撮られる場所は富士山なのではないかな。富士山が遠望でも見えない場所の方は富士山を撮ることは出来ないけど、それでも。富士山はコニーデの姿の美しい日本で一番高い山、と言う定義のものだけど、そういう定義の山を撮っているというより、そういう定義の山について子供のころから共通認識された山へ愛情というか崇拝というのか、そういう気持ちが多くの人の心にあって、その心が引き金になって撮っているってことだろう。すなわち日本人がスマホやデジカメで富士山を撮るときにはそういう共通概念に自分も否応なく参加しているという証明写真を撮っているわけだろう。

なんてまたどうも天邪鬼が小難しそうな適当なことを書いて煙に巻いている、かな。

日没の瞬間を見ました。太陽は沈み始め、半分になり、三分の一になり、十分の一になり、そうすると本当にその十分の一がゼロ(日が没する)になるまでの数秒に息を飲んでもなんの躊躇もなく、その瞬間に本当にあっという間に消えるものだ。そのリアルな時間軸に従っている太陽の沈み方に意識的にそういうものだよなと理解したのは中学生のときだった。たぶん一番日の短いころになにかの理由で校庭にいて、すぐ隣にいたクラスメイトに当たっていた日がふっと消えたのを見たときだった。

今日、私の近く(と言っても密距離ではないですが)で日没を見ている家族連れのお母さんだったかな、地球が回っている速度が見えている、と言っているのが聞こえてきた。

f:id:misaki-taku:20220115215059j:plain

 

都会の朝

f:id:misaki-taku:20220114214424j:plain

数年前まで東北新幹線に乗る機会がとても多かった。会社の都内にある本社と栃木県宇都宮市にある事業所を行ったり来たりしていた。東北新幹線の窓から外を見ていて、それが桜が咲く数日の間のことだとすると、住宅街やビル街のなかに桜の花が満開に咲き誇った木がぽつぽつ見える。花の時期以外はそこに桜があったとはわからない。花の咲く数日だけ、桜が一斉に主張してくる。それを見ていて、私は「蜂起」と言う単語を思い出した。「隠れキリシタン」と言う単語を思い出した。花が終わると一斉に新緑が芽吹く。そうなるとそれは「蜂起」とかではなくて「パンデミック」だ。

新幹線の車窓と同じように少し高い窓から東京の街を見ている。朝日が昇り、闇に隠れていた街が大小さまざまな大きさの「建物」と言う「立方体ブロック」の連なりだと言うことが「明かされる」。太陽の方向を向いた建物の壁というのか面、それがきらきら光り始める。そういうダイナミックな光景の変化が起きるのが日の出の前後で、街を見ていて飽きない。でも写真を撮ってその一瞬の街を写真に固定してしまう、すなわち静止画ってことですが、そうすると実際に目で見ていたダイナミックさはなんか写らないですね。いや、風景というのは時間の流れで変化する様子を視覚だけでなく五感全部で感じていて、それが本当の風景なんだろう。静止画にそれを留めることはだから難しい。なのでこんな風にそれっぽく画像処理してしまった。

街を上から見ていると、よく、この街には大勢の人がいて、それぞれがそれぞれの人生の喜怒哀楽を生きているんだなあ・・・なんて感じておセンチになる・・・べき、と言う演出が小説やドラマの定型にある。でもこの街に人がいて・・・なんてことはあまり思えないのが現実。ただ見えてくる街に見とれている。

 

都会の朝 白石ありす作詞 小室等作曲

『厚いガラスのむこうに 白い河のような高速道路

音を刻まない街のかなたに 今日がただ急ぐよ

心のままに愛して 心のままに振舞う

悲しみなんか忘れたように 都会の朝はいきづく』

 

グッドモーニング 岸田繁作詞 岸田繁作曲

『夜行バスは新宿へ向かう 眠気とともに灯りはきえてゆく

君の腕枕で眠る

夜行バスは新宿に着いた 予定より三十分早く

冬の真夜中のようさ』

 

終わりの季節 細野晴臣作詞 細野晴臣作曲

『扉の陰で 息を殺した

かすかな言葉は さようなら

6時発の 貨物列車が

窓の彼方で ガタゴト

朝焼けが燃えているので 窓から招き入れると

笑いながら入り込んで来て 暗い顔を紅く染める

それで 救われる気持』

 

古い曲ばっかりです(笑)

 

東京

東京

Amazon

 

 

HOSONO HOUSE

HOSONO HOUSE

Amazon

 

砂浜の野球

f:id:misaki-taku:20220113222601j:plain

今日も90年代に撮った写真です。平塚市の砂浜。

なんだか昔話ばっかりになってしまいますが、幼稚園生だった4歳か5歳頃。私はもう平仮名は読めたのですが、まだカタカナは読めなかった、だけど虫や動物に興味津々の幼児だったようで、図鑑を見るのが大好きだった。そこで母が「オオスカシバ」とか「アカタテハ」とか「ルリボシカミキリ」とか「ヒラタクワガタ」とか「ムカシトンボ」などカタカナで書かれている虫の名前に、平仮名で「おおすかしば」「あかたては」「るりぼしかみきり」「ひらたくわがた」「むかしとんぼ」と書いてくれたようだ。それで毎日毎日その図鑑を眺めては、ときどき庭に出て、虫を見つけて名前を調べていた。それでもう図鑑に載っていた虫の名前は全部覚えてしまった。そのあと、もうカタカナも読めるようになったから母に振り仮名を振ってもらう必要はなくなったが、図鑑を読むのは相変わらず好きで、貝図鑑、動物図鑑、などなど図鑑は増えて行った。

そんななかにスポーツ図鑑があった。スポーツ図鑑の野球のページには直球と変化球の握り方が図解してあった。変化球は、カーヴ、シュート、ナックル、だったと思う。フォークとかはまだ登場したかしないかの球種だったと思うし、シンカーなんて単語もなかった。いや、少なくとも一般の少年にはまだ届いていない球種だった。チェンジアップも。カーヴを握った手はボールの上側に人差し指と中指が見える。その図鑑によると、シュートは人差し指と中指と薬指と三本が上側に来ていた。ナックルはその三本の爪の先をボールに当てて、あとは指を浮かせて、そんな図だった。私はその図鑑の図しか見たことがないから、これが合っているのかどうかが今でもわからないな。大学生の頃の夏休みにこの写真の向こうにぼけて写っているように砂浜で数人で野球もどき(なにしろ9人✖2チームいないのだから)遊びをしたときも、会社の昼休みになぜかあまり人が来ない広い屋上でキャッチボールをしたときも、図鑑の握りで変化球を投げて、それなりに球筋は変化したものだった。

平塚の海は波打ち際からちょっと海に入るとすぐに深くなり、潮の流れも複雑なのか、海水浴場は開かれずずっと遊泳禁止だったが、90年代になって、ビーチスポーツ(サッカーやバレーボール)で遊べるように整地され、シャワーや更衣室などが作られた。もしかすると狭いけど海にはいっていいスペースも作られたかもしれないけどよく覚えていないです。

まずい珈琲とチョコレート

f:id:misaki-taku:20220113211313j:plain

写真は1990年代に撮った写真です。向ヶ丘遊園地だと思う。12日はほとんど写真を撮らなかったので、こうして古い写真を使ってます。もしかしたらこのブログで以前にも使っているかもしれない。ずいぶん黄色い。どうして黄色いのかはわからないな。この場が黄色いライトで照明されていたのだろうか。このとき私は仕事で向ヶ丘遊園に行き、したがってスケート客などではなく、でもちょっと写真を仕事の合間に撮ったものだろう。カメラはコンタックスTだったのではないか。

読んでいる本は吉田篤弘著の「ソラシド」で、文庫になったばかりだから、当然初読だと思って読み始めたら、すぐに読んだことがあると気が付いた。文庫収録される前に古本屋で買った単行本で読んだってことだろう。既読とわかっても、この先の物語の展開を覚えているかと言えば、なにも覚えていないので、しまった!などと思わず読み進めている。この小説には「まずい珈琲」が出てくるのだった。いまや珈琲はブラックで飲む人がけっこう多いだろう。それって珈琲がブラックで飲んでも美味しいものだからで、むかしは角砂糖やミルクを入れて出来上がる味が美味しいのであって、ブラックの珈琲が美味しい店はそんなにはなかったのかもしれず、必然として普通は砂糖とミルクの少なくともどちらか一つは入れていた。石川セリが歌っていた「ひとり芝居」の歌詞で主人公の女性が別れた男を思い出す歌詞は ♪お砂糖は二つだったでしょ あなたの好み忘れないわ 話しかけても あなたはいない ただ哀しみがこみ上げるだけ♪(最後の歌詞、こみ上げるだったかどうかちょっと自信がないな)。それでもブラックで飲むことが多かったが、味わうというよりブラックで飲むのがかっこいいから味なんてどうであろうがブラックで飲むのだ、という気分でもあった。

いま会社の居室のある階に置いてある自動販売機の紙コップに注がれる珈琲は100円と70円があり、100円には二種類あって、ひとつはエクセルシオールカフェのロゴが使われていて、もう一つはドトールだ。この二つの会社は同じグループなんだろうか。その場で二つを買って飲み比べれば違いがあるのだろうか?そんなことはしないから今日はエクセルシオール、昨日はドトール、と気まぐれでボタンを押すが味の差はそんな風に日を置いてしまうと私にはますますわからない。自動販売機が紙コップに注いでくれるそういう珈琲は、美味しいとも思わない。でも不味いとも思わない。もうなんていうか、どんな味でも、自動販売機で100円使って買った飲み物であって、だから味の意識なんかせずに飲んでいる。飲み切るわけでだから不味いということでもない。そんなものなのに、一日二杯から三杯買ってしまう。

熱い珈琲を口に入れる前にチョコレートを食べ、その甘さが口の中にあるうちに珈琲を入れると口の中では珈琲とチョコレートが溶け合った味が出来る。当たり前の出来事。だけど、そうすると珈琲そのものの味わい方としては邪道かもしれないが、とにもかくにも美味しいんだな!などと気が付いたのはここ数年前のことでそれまでの数十年は知らなかった。自販機の珈琲を飲むときには良き案の一つだろう。だから会社でもときどきダース(チョコレート)の一粒と一緒に飲んだりする。京都のエレファントファクトリーでは小さなチョコの粒が二つだっけか三つかな、珈琲についてくる。

スケートはやらないが、もしスケートをやる人で、疲れたらこういうスケートリンクの見えるあたりの素っ気ない木のベンチに座って、紙コップの珈琲を飲んでみるというのはいいかもしれないな・・・って、これ最初に書いたスケート場の写真のことと、後半に書いた珈琲のことを無理やりくっつけてまとめてみました。

街の灯り

f:id:misaki-taku:20220111205015j:plain

1/11火曜日、雨。冷え込んだ。午前テレワーク、午後は私用で休暇を取得。今日は写真を一枚も撮らなかった。そこでこのブログに載せる写真はどうしようか、と思い、1980年代90年代にポジフイルムで撮った写真を、昨年だったかデジカメで接写して画像ファイルとして保存した、その写真を見直すことにした。銀座にあったキャバレー「白いばら」の写真があった。2018年に閉店したそうだ。ポジフイルムで写真を撮るときには、大抵アンダー気味の露出で撮っていた。だからだろうか、この写真も夜の闇がベースにあって、その暗さを背景にしてネオンサインや黒い車 ~この車の車種はなんだろうか~ が、写っている。最新のデジタルカメラで、最新のLEDランプが多用されているのだろう明るい夜の街を撮ると、夜を背景にした写真にはならないんじゃないか。夜を押しやった明るくて安全でとっても浄化された街が写るんだろう。「清濁併せ呑む」ことが出来る夜と、浄化された安全な夜と。後者を求めることには簡単な理屈で説明がしやすく、定義(規制や規定)に合わないことは排除しても許諾され、説明可能な正義だからよしとされる。でもひとことで言えば「つまんない」かもしれないですね。

谷川俊太郎作詞、小室等作曲、「汽車と川」では、上流では名前もないささやかな川、その川に沿って敷かれた線路を走る汽車に乗っているカップル、その様子が時間(下流に向かう時間)とともに歌われる長い歌だ。

途中抜粋

♪ 汽車は川に沿って走ってゆく 真っ黒な顔をしたちっぽけな汽車だ

 けれど川はだんだんおおきくなってゆく だんだん広くなってゆく

 川はすっかりおとなっぽくなり 流れかたまで悠然としてくる

 おちつきはらってボートを浮かべ 清濁あわせのんでいる

 やがて川は海に出る そのとき汽車は港に着く

 それから先へ汽車は行けない けれど川はどこまでも行ける

 大きくのびをして 川が海へとでてゆくとき

 小さなくしゃみをして 汽車は引き込み線をバックしてゆく ♪

 

「清濁併せ呑む」なんて単語は滅多に見ないし、使ったこともない。谷川俊太郎のこの歌詞では、広く大きくなり、大人っぽくなり悠然とし、おちつきはらって包容力も増し(なにしろボートを浮かべるのだ(笑))、そういう川が清濁併せ呑むのだと。

 

 

私鉄の駅

f:id:misaki-taku:20220110210944j:plain

国民の休日なので、赤い電車の走る私鉄の普通電車しか停まらない駅の前は、冬の早い日暮れの時間で、なんとなく寂しい。写真の右端に写った横断歩道のある通りを、右側に入っていくと、五年くらい前にその時点で会社を定年退職されていた先輩を「囲む会」と言う感じで、飲み会をやった町中華の店があって、この写真を撮ったあとに行ってみたら、その店はちゃんとあったけれど、記憶が正しければ、その道にはもっとずらりと飲食店があった気がするのだが、駐車場になったり貸しビルになったりしただろうか、少し寂しい気がした。しかし、休日だから休業日の店もあるし、帰宅途中のサラリーマンたちも歩いていないから、そう感じるだけかもしれない。この駅から歩いて行く場所にあった(ある?)大きな会社に、その先輩はよく仕事で売り込みに行っていた。そこで理不尽に怒られたり、無理やりの業務を言いつけられたりもしただろう。帰りに大衆中華の店に寄って、先輩とその部下だったT君は、ビールを飲み、餃子や八宝菜やニラレバを突いて、ふざけんな!と息巻いた。その思い出の店を定年後に囲む会の会場として希望して、昔話を楽しそうにしていたものだ。ポストのすぐ先の右側には大きな暖簾を下げている大衆居酒屋の見本のような店がある。今日は開いていなかったが、その店はきっとこの駅前の雰囲気を作るためには絶対必要なランドマークのような、すなわち庶民のランドマークのような店なんじゃないか。赤い電車が撮り過ぎると写真の右側の踏切が上がる。渡るとそこには今度はJRの駅があり、その先にはJRの踏切がある。電車が走っていく音がする。その音はけっこうな轟音だから㏈を測定すると、平日と変わらないかもしれないけれど、だけど一番大きな電車の音が同じなだけで、ここの空気をざわざわと振動させているいつもの音が~人々の声とかもっと多い車の走行音とか~今日は聞こえないんだろうな。その先輩は二年くらい前に急病で亡くなった。その数か月後からコロナ禍がやってきた。もう二十年以上前、私の父はNYでテロが起きる前日に亡くなり、その事件を知ることがなかった。日常の暮らしぶりや、生きている自分の行動や考えることは、テロが起きてもコロナ禍でもあまり変わっていない気もするが、実は同時代で社会として変化している中に属しているからそう感じるだけであって、大変な急激な変化にほんろうされている。亡くなった人たちに、いまはこんな世の中ですよ、と話したくなることも、なくはない。でも心配をかけるばかりの変化なんだとすると、黙っていようとも思う。はっきり言って、その町中華の店の料理は特別に美味しいってわけでもないんだ。だけど先輩にとっては特別な味なんだろうな。