生きた痕跡 生きている五感

 20日の午後、仕事を抜け出して、上野の国立博物館まで内藤礼「生まれておいで、生きておいで」を観に行きました。二週間か三週間前の日曜美術館を見て行きたくなったミーハー鑑賞です。
 ウェブで日時指定チケットを取るまでが大変でした。予約できたのは水曜日18日。予約にトライし始めたのが火曜日の夜。会期は23日までだからその時点で残り六日。基本は全日完売でした。だけど小さな字で「キャンセルが出た場合に販売することがあります」と書いてある。へぇと思って見ていたらたしかに数十分から一時間に一回くらい、ふっと完売が消えて受付されるんですね。受付されるのはある日のある時刻だけ。その日時に行けなければ諦めるしかない。そんなわけで火曜の深夜と水曜の午後は長い間スマホとにらめっこしていました。最初に行けそうな日が空いたときは、名前を入れ生年月日を入れ、性別や電話番号や郵便番号も入れ、それからクレジット情報も入れ終わり、最後に購入ボタンを押すと、売り切れましたと出て来て買えませんでした。そして、この入力スピード競争に、三連敗くらいしてました。そのうちに買えずともいろいろ入力した画面に留まり、次のキャンセルを待てることを発見しました。それで次に行けそうな日時のキャンセルが、数時間待ち続けてやっと出たときに、記入済画面から購入ボタンを押したら、とうとう予約出来ました!
 不思議な展示でした。人が生きてきた痕跡を丹念に見つけて行くような、人だけでない石の歴史、木々の四季、鑑賞者自身の個人史、そういう時間の中に否応なく残されている些細な生の痕跡を愛おしく見つめ直す動機や機会に気付かされるような。もっと乱暴に言うと、よくわかんないけどいつまでもそこにいたくなる、ほっと出来る、そう言う展示でした。会場にいる人数が決められているので、入場待ち列が、予約した日時であっても出来てしまい、30分くらいじっと静かに、内心は少しいらいらと待っていましたが、会場に入るとそんな待ち時間のいらいら感はすぐに消えてしまい、理由を言葉で説明できないところで、ここにずっと居たい、と思わされるようでした。
 帰り道に上野駅まで上野公園の林の中の道を歩くと、小さな枝や葉が落ちていました。その無数の落葉の一枚一枚や折れた小枝の一つ一つが全部時の流れの痕跡に見える、どの一枚どの一本を拾ってもそれがすべて作品のように思えました。
 会場は撮影禁止なので写真はありません。でもこの展示は世の中の見方、原始的?な見方を示しているので、ここを撮らなくても外を撮ることがここを撮ることと等価だよね、と言う感じがしました。と言うより、写真なんか撮らなくて良い。ただ五感で感じてそこにいる、博物館から地続きで歩いてきた今ここまでの全部で感じたことが、同じく生きてると言うこと、そう言う自覚です。

 話変わって。今朝(9/20)出勤のために車に乗ってエンジンを掛けたらナビの声が今日は空の日だと言いました。そのあとNHKラジオでは今日はバスの日だと言いました。
 空の日を調べると
「1911(明治44)年9月20日に、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空一周飛行をしたのを記念して制定されたものです。」
とありました。そこで山田式飛行船を調べるとそれを写した古写真が出てきます。山田猪三郎は和歌山の人だそう。大崎から品川まで初めての国産飛行船として往復したとか。大崎と品川って徒歩でも30分もかからずに歩けます。それでもちゃんと推進力を生んで方向舵もあったんだよね?と思ってしまいました。
 バスの日を調べると
明治36年1903年)9月20日京都市(堀川中立売(なかたちうり)~七条~祗園)において二井(にい)商会が日本で初めてバス運行を行いました。当時はバス車両がなかったことから蒸気自動車を改造した6人乗り(幌なし)の車両が使われました。これを記念して、厳しい環境の中で地域の足の確保に努めるバスを皆様に見直していただくために、「いつでも、どこでも、みんなのバス」をテーマに、1987年(昭和62年)に日本バス協会は毎年9月20日を「バスの日」に定めました。」
 いま堀川通を下ってきて七条で左折し東進し、途中すこし迂回して京都駅に立ち寄ってもいいけれど、いずれ七条を、東大路通まで進んで左折し、祇園というか八坂神社前に至る系統は、調べたけれどなさそうです。堀川通ではなく千本から下ってくるのならば例の有名な?206の下半分はそんな感じかもしれませんね。
 206番のバスと言えばもうずいぶん前に哲学者の鷲田清一さんの書いた京都の平熱って本を読んだことがありました。読んだことは覚えてるけど中身はまるで覚えてないのです。いつものことです。

 写真は8月上旬に松本市へ行ったときに車を停めた駐車場で、停めた階数を忘れないようにと、スマホで撮ってあった写真です。台形歪は後処理で補正しました。撮るときに、備忘のためだけで、なんの欲もなかった写真。

過去一番遅い猛暑日

 たとえばサッカーの試合が始まったときの、前半のうちの選手の持っている体力と知力って、後半の試合の終盤になると、どれくらい落ちるものなのか?素人がぼんやりと試合を見続けていると、なかなか気が付かないけど、相当へばってしまい、それに伴い瞬時の判断も低下する、失敗が怖いから思い切った、あるいはアイデア溢れるプレーは鳴りをひそめ穏便に時が過ぎるのを、特に勝っているチームの選手は望む。見てる方はその疲れがわかんないから、ミスが見えると「何やってんだ!」と言うし、ましてや誤って相手にパスを出したりすれば「アホか」と言ったりもする。いつまでも体力と知力があまり低下しない選手もいれば、それが漲っているあいだは凄くても、かならずどこかで交代する選手もいる。そういうときの差が、多々ある項目のうちの一つに過ぎないかもしれないが、一流かどうかの分かれ目なのかもしれない。
 なーんてね、サッカーの話を書いてるな、と思いますよね?もちろんそうでもあるけれど、この後半のうちに決着がつかなくて、さらに延長もまだ決着が付かなくて、へとへとになって、動くのは嫌、考えるのも嫌、と言うような状態。これが夏が、猛暑が、去っていかない9月中旬の、いまの私だな。あ、こんなにたくさん文章を書いてしまったけれど、ひとこと、夏バテってやつですね。
 三十代の頃に池波正太郎の本ばかりを、ひたすら読んでいた時期がありました。鬼平犯科帳仕掛人藤枝梅安も、剣客商売も、全冊読んで、そのアナザーストーリーも読んで、そう言うシリーズ物でないものも。江戸の頃の盗賊集団は用意周到に次にお宝を頂戴する大きな商家などに、配下の者を住み込ませて、何か月もときには何年もかけて、情報を集めていく。火付盗賊改方長谷川平蔵は元盗賊から抜擢した密偵などを使い探りを入れていく。これもうほとんど人脈にまつわる仕掛け、まぁ、スパイ合戦の時代小説版。
 また話がそれつつあるのですが、なにが言いたいかと言えば、真夏が終わり真夏に溜まった疲れを取るために使用人たちが眠りを貪るようになった秋口に、盗賊団による練りに練られた押込みが行われるのですね。みなが深い眠りにあるところを眠ったまま片っ端から殺される、みたいなやつ。
 雲霧仁左衛門のような品のある盗賊はあまり普通の使用人を殺すことはやらない話になってたかな?小説は覚えてないけど、何年か前にBSで放送してた、中井貴一主演のNHKのドラマの雰囲気だとそんな感じ?
 9月18日の水曜日は猛暑日になったのか?もし東京の気温が35℃を超えたとすると、観測史上で一番遅い猛暑日だそうです。
 最近やっと、真夜中だけは冷房を付けずとも、窓を全開にすればなんとか眠れる夜もなくはない。こおろぎはたくさん鳴いてます。真夏の疲れから、盗賊に襲われたりせずに、たくさん眠って立ち直りたいものです。
 写真は何年か前の9月に撮ってあった薔薇の花。

小さなこと

 9月12日の木曜日、猛暑続き留まるところなし。午前9時頃にマンション隣のコンビニまで行くときに感じたのは、日差しの強さはなにも衰えてないどころか終わったはずの夏のどの日よりも刺すように厳しいんじゃないか?ということでした。子供の頃に、もう半世紀以上ずっと前に、よく母が、紫外線の量は9月が一番強いって言ってたな。母はそれを新聞か週刊誌記事で読んだのだろうか、テレビやラジオで聞いたのだろうか。それは本当のことなの?

 今日は在宅勤務もなく、夏の初めの頃にはこういう日に張り切って鎌倉中央公園に半夏生を、大船のフラワーセンター早朝開園に蓮の花を見物に行ったりしたが、もう今は涼しくした自室にいることにする。そうやって過ごしていると成程、ここに書くことが手元の足元の小世界の出来事しか浮かばない。荒唐無稽な作り話も自室にいたらかえって浮かばないな。手元の話といえば、ポータブルエアコンの排水用ポリタンクが昼寝をしてるうちに溢れたとか、またもやオールドカメラを修理しようと頑張ったが、最初に外す螺子で固定された部品がゴム製のオープナーで満身の力をこめて回しても外れないからなにも進めないとか。

 先日、朝起きて交通系ICカードやサービスカード何枚かを入れている黒い革の定期入れが見つからない。前の晩に帰宅したときにズボンの右ポケットからキーホルダーを出し、シャツの胸ポケットから定期入れ出し、腕から時計を外し、ズボンの左のポケットからはハンカチを出し、ハンカチは洗濯物入れに、その他はまとめてとりあえずデイバックのメイン収納スペースよりさらに後ろにある、いつも文庫本とスマホを入れてるサブスペースに押し込む。それから手を洗い、シャツを脱いで、と一連の帰宅時行動をこなしたはず。その翌朝、定期券入れが見つからない。あちこち探してもないと、前の晩の行動を思い出す。改札を抜けてるからそのときは持っていた。そのあとチャリで帰ったがその途中に落としたってことあるだろうか?定期券入れが胸ポケットから滑り落ちるほどの前かがみになること、あるだろうか?ちょっと、考えられないなぁ……でも見つからないから……マンションの自転車置き場や階段、管理人室の前に置かれる落とし物コーナーを見るが、やはりない。でもなんとなく家に、自室に、あるよなぁ絶対に、と思う。こんなときには絶対になんて強い単語でそう思う。

 結局その思いの通り、定期券入れは見つかりました。ここまで書いてきて定期券入れなんて古いな、これはきっとパスケースと書くべきだろうと気付きました。

 どこに?と言うと、青いカバーをかけた文庫本のページとページの間に挟まっていて、その文庫本はデスクの端にちょこんと置いてあり、行動導線からは背中側しか見えてなかった。帰宅してパスケースやらキーホルダーやらをごちゃごちゃとサブスペースに入れたときにパスケースは文庫本のページとページのあいだにするりと、いや、すこしだけくしゃっと頁を折り曲げながら、挟まったというわけ。むしろよく気がついたものだ。交通系ICカードは改札を抜けると自動チャージの設定になっていたから、見つからなければいろいろやらなきゃならないと思ってもいたからほっとした。

 パスケースが挟まっていた文庫本は講談社文芸文庫青木淳選「建築文学」で、古本屋で買いました。まだ最初の須賀敦子のエッセイのほんの数ページしか読んでいない本がパスケースを挟んだあたりで数ページくしやくしゃになってしまったということです。

 以上のような小さな出来事を書くことしか思いつかない猛暑の9月。つまらない話ですいません。

 写真はそんな猛暑の日に西の空の雲の間にぼんやりと見えた富士山。600mm相当の望遠レンズで撮りましたが、目で見えてるときの、このぼんやりした中の山の稜線もこの日の、この暑い日の、灼熱の日の、夕方に相応しいなとばかり、写真を撮りました。だけど写真はただぼんやりとそのあたりの雲と稜線を低いコントラストで写してる。それが現実の通りなんだけど、気分はぜんぜん写っていない。

早すぎるかな?秋の夜長

 9月7日土曜日、今日も暑い晴れた日になり、最高気温は31℃だったようです。だったようです、と書いたのは終日家にいたからで、そういえばここ一週間ほどはいちにちの歩数の平均は1000歩にも至ってないんじゃないかな。今日は数百歩だろうし。これはまずいですね、夏の始まりの頃は同じように暑くても、ちゃんと歩かなくては、という思いがあって、意識的に出かけていたと思います。たとえば上の写真は、そんな風に昼間にはどこにも行かなかった休日や在宅勤務の日に、少しからだを動かさなくてはまずいなあと思い、夕暮れ時に相模川河口近くの運動公園、そこまでは車で行くのですが、そのあと7000歩くらいは歩いたと思いますが、そのときに撮った写真です。でももうすぐ秋になるだろう、猛暑ももう少しの我慢だろうな、と思うと、無理して今日外に行かなくてもいいか・・・という意識になっているのかもしれません。いかん、いかん、このブログの文章を書いたら、夜の散歩に行ってこようかな。夏になる前は、休日はだいたいカメラをぶら下げて「あの町、この町、気の向くままに」といちにち20000歩弱、平日も6000-7000歩は歩いていたから、今週はとくにひどいものです。季節のせいならいいんだけど、加齢とか、あるいは色々疲れているとかだといやだな、と思います。あぁもう絶対この文章を書いたら歩いて来ようっと。

 相変わらず季節に敏感でいたい、と、くるり、が「東京」で歌っていたな。その「東京」が発売されたのは1998年、もう26年も前なのか!それでも1998年とか1999年のその数字は世紀末で、その少し前には近未来の代表のように扱われていたから、いまも未来のような錯覚を覚えてしまいます・・・わたしだけですかね。

 もうすぐ秋分の日ですから、昼が短くなる、夜が長くなる、その変化率というのか一日に短くなる(長くなる)時間変化は今ごろがいちばん大きいんでしょう。外は暑くて、相変わらずエアコンを付けているけれど、六月七月にはまだまだ明るかった午後の六時半や七時という時刻に、窓の外はもう夜(関西や九州はまだ明るいかもしれませんが)そうすると秋の夜長なんていう言葉が浮かんでしまいます。秋の夜長になにしようか?と、さきほどから、カッコつけちゃった私はSpotifyブラッド・メルドーを選んでジャズなんか流しています。

 以下またカメラレンズの話なのでご興味のない方にはすいません。

 家にいた今日は、最近アマゾンでオールドカメラやオールドレンズの基本的な修理をする道具、ゴム製のレンズオープナーとかそういうのです、をいくつか買ってみたので、1959年頃に製造されていたSupercanomaticR50mmF1.8と言うレンズを分解してレンズを清掃したり、絞り羽根をきれいにしたり、距離表示位置と実際のピントの合っている距離がずれているのをなおそうと試みたりしていました。実はこのレンズ、ジャンクで買ったカメラにくっついていたり、なんやかや、いつの間にか同じレンズが3本あったのです。3本とも完調ではなく、それぞれ別々の症状を抱えていて、でも致命的じゃないからそれを知って使えば使えるという、なんだか全部がAで問題なしなんて健康診断結果になる人がほとんどいなくなった50代60代の仲間たちみたいです。

 一人、いや一本は、上記のように表示とピントの合う距離がずれていて、無限に合うときに距離リング表示が8mくらいのところになっていました。現れた奥の方のレンズもきれいにしながら、分解していきましたが、表示ずれは上手く直す手が見つからなかったです。ピント調整の0.3mm厚くらいの真鍮のワッシャーが二枚入っていましたが、同じワッシャーがあと一枚か二枚あればそれを敷くことで直る気がしたのですが、そんな調整部品はないし、0.3mm厚くらいのプラ板でもその形にくり抜けばいいんだろうけど、そこまでやらなくてもいいや、写真は距離目盛がずれているだけで、ファインダーでピントを合わせればいいのだから・・・と組み直しました。

 もう一本はF8設定時だけ、シャッター連動自動絞り機構が働かないで開放絞りのまんまになります。ほかの絞り値では正常動作するのに、なぜかF8だけ空振りをするのです。これもばらしていって、それ以上ばらすとやばそうなあたりまでで止めておいて、そこで見える範囲の絞り連動機構を観察してみましたが、原因はわからず、同じく各レンズをきれにして組み直しました。

 最後の一本は絞り込み動作が絞り羽根の動きが渋くて、ゆっくりしか動かないか絞り込まないという症状でした。上記二本目のF8だけというのは難しいけれど、こっちは絞り羽根の汚れや油浮きをシルボン紙で表面をなんとなく拭いて、直った感じなので組みなおしました。ついでに二番レンズの裏側についていた粒状の汚れはきれいに出来ましたが、一番後ろのガラス面の周辺の一部がコート焼けしていて、これはどうしようもない、だけど実際には写真への影響はあまりないでしょう、なのでこの三本目がいちばん元気に戻った感じです。

 健康診断後の要検査で投薬や手術の治療を行い、三本目は元気に全快、他の二本は要観察といったところでしょうかね?

 さて散歩してこよう。

海の家の解体

 9月3日、相模湾沿いの国道134号線、鎌倉付近を東へと走っている右側、海の家は解体作業が始まっていました。海の家は分解されて部品となって倉庫に保管され、来年の夏になるとまた組み立てられる、そういう作りのようです。先週の中から台風に伴う雨が続き、昨日の月曜日こそ晴れ間が見えていたものの、今日はまた雨が降ったり止んだり、だけどもわっと暑いです。ただ、夜になり、いまは22時過ぎですが、だいぶ温度が下がりました、そういえば夕方のテレビの天気予報で、今夜は寝冷えに注意と言ってました。

 先日、箱根のポーラ美術館でフィリップ・パレーノ展を観ました。一昨日の日曜美術館内藤礼の特集を観ました。今日は神奈川県立近代美術館葉山で石田尚志展を観てきました。みっつの展示に共通していたのは(内藤礼展はテレビを観ただけですが)展示スペースに入って来る光、天気によって変わる外の変化が展示物をどう見せるか、その変化を容認し積極的に利用し、もしかするとその自然の変化の方を主にして展示物(作品)はアシストのためにあるかもしれない、そういう展示が多かれ少なかれ含まれていることでした。こんなのはたまたま三つの共通点に気付いたということで、最近はどの展示でもそういうものが多いですよ、ということかもしれない。いまさら気が付いたってだけかもしれません。でもいいですね、空の雲のかたちや、風や光や、すべて一期一会で瞬間瞬間で自分を取り巻く自然は変わっている。そんな当たり前のことに改めて意識的になるような展示を見るのは面白いですね。

 今日は10時頃に美術館につき、二時間ほどかけてゆっくり鑑賞し、どこにも寄らずにとんぼ返り。13:00前に帰宅して、近くの三崎鮪直送の店に行ってマグロカツ小400円を買いましたが、小とは言ってもけっこうでかいです。半分は夜にとっておいて、昼と夜の二回、マグロカツを食べました。

 話しがちょっと戻る感じですが、どこか初めての場所へ旅行に行くとき、それがどの季節で、どういう天候だったかは偶然なんだけど、その一期一会が偶然にはまってとてもいい旅行だと、その町が好印象になりますね。このまえ会社で、鎌倉市は二番目に住んでみたい町だと言っている方がいて、じゃあ一番はどこ?と聞いたら、まだ決まっていない、という答えだったのでずっこけたな。でもそういうことはあるのかもしれないな。好印象の町があって、だけど制約がある。家賃が高いとか地震が来ると津波が怖いとか。会社へ通うのがちょっと遠いかもしれないし。そういう一番になれない点があって、だから二番であって、そこを埋める一番はまだ見つかっていない、と。

 テレビのニュースを観ていると、いろいろなニュースになっている、いろいろな市町村に住んでいる人がインタビューを受けている。あぁ、このおじさんは×県●市でずっと暮らしてきたんだなと当たり前のことを思います。知らない町に大勢の人が生きている、だからなに?そんなの当たり前じゃんってことですが、でもそう言う事実にちょっとびっくりしたりします。

9月になった

 9月になっちゃいました。9月になりました、とか、やっと9月になったぁ、と書かないところに、8月が去ることへの淋しさというのかな、がっかりな感じが滲みます。これは少年の頃の、小学生だったころ中学生だった頃の、夏休みが終わるという、そう思う根拠が明確な頃だったらまだしも、その後に何十年も経っているのにいまだにそう思うのは、小学生中学生のころに刷り込まれた思いなのか。それとも、やはり私自身が季節のなかでは夏が好きだからなのか。

 最近の猛暑の夏は正直きついですね。もう、外を歩いていて、汗がびしょびしょになり、むかしは考えられなかった白い日傘などさして、バッグにはいつもボトルに氷水を入れて持ち、熱中症なんて単語も意識して、それでも電車やバスではマスクをして、寒すぎる場合もあるから薄いカーディガンも持ち。早く涼しくならないものか!とぼやく。だけど、9月になってしまうと、なっちゃいました、と残念がっている。

 部活みたいですね。部活って練習がきびしいと、あーもうやだ、やめてやる!と言うじゃない。だけど本当にやめるかというとやめない。例えばテニス部だとして、部活で練習するのはきつくていやだけど、だけどテニスは嫌いじゃないから、結局はやめずにずっとテニスをやっている。朝練やら休日返上の練習で一日一日は辛くてやめてやれ!と思うことも頻繁にあったけれど、いざ引退の季節になると淋しくなる。それと同様に、夏の一日一日は暑くてたまらなかったけれど、8月が終わって夏が終るのは残念に思う。

 なお、私は運動部に所属していたことはないので、これ想像なんですけどね。

 さて、今晩からNHKのBSで「団地のふたり」のドラマがはじまり、たまたまテレビを付けてみたらやっていたので、見ました。小説をよんだあとにドラマを見ると、小説を読みながら思い浮かべていた人物像と、ドラマで演じる女優さんのズレが感じられて、最初はなじめないですね。そのズレが大きいときと小さいときがあるし、それは鑑賞者の人それぞれだから、よく使われる「個人的感想です」ってことになるんだけど、最初はズレ感は大きかったですね。だけど終わるころにはだいぶ馴染んだから、もし来週もたまたまテレビが付いていたら見るかもしれないな。

 ところで写真は夏の終りではなくて夏のはじまりの頃の茅ケ崎海岸で撮ったものです。

 

雨つづく

 写真はもう12年もまえに撮ってあったなかから選びました。京都の寺町×二条付近だったと思います。

 雨が続きますね。今回の台風は進まないで同じ場所にとどまりながら、いままでの台風の常識的な影響範囲とは全然違う、広範囲に雨を呼び集めるようなふるまいで、これも地球温暖化によって台風の顔つきも変わって来たということなのでしょうかね。ここでサッカーのフォワードに例えるのも荒唐無稽なことですが、いままでの台風が前を向いてドリブルで相手ゴールに向かうようなタイプのフォワードだったとすると、今回の台風十号は相手ゴールに背を向けて、あいてディフェンダーを背負っても倒れず、味方からの縦パスを受けて足元でキープしておいて、味方の選手が駆け上がって来るのを待ち、そこから決定的なパスをアシストするような。ええと、駆け上がって来る味方が雨雲です。その駆け上がって来る味方が一人でなく二人三人になれば、良く言う「湧いてくるように」なるわけですね。すなわち、雨雲を呼ぶ台風本体というわけです。そんなわけで、台風の中心がまだ九州付近にあった昨日30日の朝、私の住む南関東の湘南地方は、ものすごい土砂降りでした。川が氾濫して、ニュースにもなった二宮町平塚市は、すぐ近くです。

 そういうわけで、金曜日と土曜日は自室にこもって過ごしています。金曜は在宅勤務だったから自室からPCをつないで資料を作成したり、会議を聞いていました。土曜日は、昼寝をしたり、本を読んだり、ダゾンでサッカー観戦をしていました。Spotifyで1980年代にずいぶん流行っていたジャズ(フュージョン)ギタリストのアール・クルーを選んで流しながら、ベッドの枕元の読書灯だけをつけて、最近文庫で出た石田千著「あめりかむら」を読み進めました。最近は寡作なのでしょうか?一時期はずいぶん次から次へと本が出ていた印象でしたが。この文庫に収録されている話も、以前文芸誌や単行本で読んだことのある話が多い気がしました。表題作は以前読んだことをなんとなく覚えていました。以前、この人の書く物語はなんとなく、淡々とした日常の小さな幸せを拾っているような話、という印象を持っていたのですが、再読するとそうじゃないですね。主人公は心に傷をおっていて、心の状態も少し世の中に対してとんがっている。とんがっていないと負けてしまうという気分を持って、世の中に対峙している。でもそんな中でも、周りの登場人物がその気分を柔らかく包むような役目を果たしていく。

 たとえば移動中の街の描写を読んでいると、目に入って来る出来事を短い描写で、だけどその場面が目に浮かぶように書き連ねらている。この感じ、このちょっと冷徹な視線は、ちょっと武田百合子のエッセイのようだと感じました。

 最近になり友人に教えてもらい知ったのですが、その武田百合子の娘の写真家の花さんは今年の春に亡くなりました。まだ70代前半だったから、残念です。さかのぼって訃報記事を探して読んでみたら、暗室にも使っていた富士山麓にある、武田百合子富士日記の舞台となった別荘は、数年前に老朽化で取り壊されたと書いてありました。

 ある時期、今もかな、ちょっとお洒落でアーシーな感じの、木の香りがするような、ドライフラワーが飾ってあるような、窓が大きくてそこから庭の緑が見えるような、古いテーブルや椅子やソファーが修理されながらも使われているような、そういうブックカフェなどに富士日記が置かれていることが多かったですね。その山荘がもうないということを、赤の他人のスマホでちゃちゃっとニュース記事を読んでいるだけの第三者が残念がる、そういう残念がるという、まぁ感想を持つこと自体生意気なのかもしれませんが、そうかあなんか残念だなあ、と思いました。

 写真に戻って、深夜、人通りがない道をなにかの集まりから50ccスクーターで帰る二人が赤信号で停められている。さっきまでは大勢の仲間がいて、そこで大声で話したり笑ったりしていた。それがお開きになり、たまたま同じ方向に、同じようなスクーターで帰るふたり。さっきまでの集まりをもう客観的に振り返って、誰かの噂話をしているのでしょうか、あるいは、そこで得たなにかの情報や刺激から、まだ熱量を持って、ああすればいい、こうなればいい、できればこうしてみたい、と、明日以降への期待を話しているのでしょうか。こういう時間て、若い頃にはときどきあったな。集まりそのものより、この「祭りのあと」のような時間が好きだったと思います。