車体色遍歴

 24歳くらいのときに買ったオートバイは青だった。紺ではなく、わずかに緑がかった明るめの青だった。その車体色を選んだのは月刊オートバイかモーターサイクリストの写真からだったが、写真の青はもっと濃くてもっと紺に近かったから、納車されたと聞き、隣駅の丸富オート(というバイク屋さんだったと思う)に受け取りに行き、初めてその色を見たときはちょっとがっかりした。ところがその車体色は晴れた日の真昼間には綺麗に思えなかったのに、夕暮れ時やどんよりとした曇り空の下になるとしっとりと大人っぽく輝いた。そのオートバイに三年くらいだろうか、乗ったあとに、今度は銀色のオートバイにした。このブログにも写真を載せたことのある。車体色は銀と黒と赤があっただろうか?迷わず銀色にした。最初のオートバイのように白昼ではダサく見え、曇天や暮れ時になると色っぽくなるような、そんな色の魔術のようなことは起きず、いつもどこでも普通の塗装された銀色だった。PAOという日産のコンセプトカーを買ったことがあった。当時住んでいた東急田園都市線のI駅が最寄り駅のマンションは国道246号線沿いにあって、マンションのすぐ隣が日産の販売店だった。あるとき都内に写真を撮りに行き(当時は近代建築探偵の本がちょっとブームになっていて、例えばまだ建物が残っていた東洋キネマを撮りに行ったりしていた)その帰りに隣の日産でPAOが本日より展示というイベント(初日)をやっていて、散歩帰りの疲れたままふらふらと見に行って、妙に気に入ってその場で申し込んだ。衝動的に車を買った。もちろんこのときだけだ。会社でデザインの仕事をやっている連中はそういうコンセプトカーでレトロっぽさを無理やり演出した車の在り方が許せないらしく、さんざん、あんな車を買うなんてダサい、と言われた。でももしあなた方が日産のデザイナーでコンセプトカーのチームに引っ張り込まれたら嬉々としてデザインするでしょ?と言いたかった。コンセプトカーの初代はBe1という車でそれが話題になったこともあり、その後数年のあいだに4種類くらい、コンセプトカーが売り出されたと思う。受注に応じて少量だけ手作り感満載で組み立てる、みたいなことだったのか。色は牛乳多めのカフェオレのような薄いベージュ色だった。一年乗って、ほとんど買ったときと同じ価格で売れた。そのあとのレガシィツーリングワゴンがメタリックな紺だったかな、そこから青のホンダステップワゴンをはさんで、Mazdaのトリビュートは臙脂色というのかワインレッド?・・・まぁとにかくちょっと濃い目の赤だった。上の写真に写った車の赤より濃い赤。車の色は、買うときはああだこうだと悩むがいざ買ってしまったあとは、まぁそんなもんだ、イイもワルイもないや・・・という感じになる。いまの車は・・・電源が切れている液晶の色とか、蟹みその色とか、そんな感じです。こうして書くと、最初のオートバイの色が、普通はイマイチで曇天や暮れ時にすごく美しくなるという不思議というか色の見え方に大きな差があって、そのときは正直「失敗したぁ」と思っていたが、いちばん面白かったわけだ。

 ある長い休みに、たぶんGWだった、横浜の寮をオートバイで一人出発し、松本まで行き松本城を見たりなんとか学校を見て、ビジネスホテルに泊まる。翌日は記憶があいまいだけれど、木曽を観光しながらいわゆる中山道を下って名古屋に行ったんじゃなかったろうか。途中でもう一泊どこかに泊ったのかな。名古屋で二泊かそこら過ごしてから、夕方に名古屋を出発し、東名高速をずっと走って23時頃に寮にたどり着くというツーリングをやったことがあった。この帰り道の東名が雨でね。雨男だから、その前にも東名をずっと雨に打たれて下ったこともあったのだが。この雨の上りの東名高速では、途中でものすごく身体がだるくなり真っ当に100k/hで運転をすることが不可能になった。あれは体温が奪われてしまったのかな、とにかく疲れていたんだろう、眠気もあったのか。そこで路肩を50k/hくらいでノロノロと進み、最初にあったSAかPAに死にそうな思いで辿り着いた。そういう路肩の低速運転で辿り着かないと危ないぞと自分で判断出来て良かったと思う。そして辿り着いたSAだかPAで、カレーライスを食べたのだった。このカレーの味など、なにも覚えていないが、しかしこのカレーライスを胃に入れたあと少しだけ休んでいると、みるみると身体が回復して行くのだった。自分でも驚いてしまった。疲れは消えた。ほうれん草の缶詰めを食べた直後に突然元気になるポパイみたいだ。そこでそのあとは雨もなんのその100k/h(以上?)で突っ走った。あの頃よく聴いていたのが井上鑑のリンドバークのことを歌った曲の入っているアルバムだった。翼よあれがパリの日だ、という部分のメロディは今も歌えるが、そのときはたぶん最初から最後まで覚えていて、カレーライスで元気になったあと、ずっとその曲を頭のなかで歌いながら運転したと思う。とここまで書いて調べたら井上鑑のその曲名は「リンドバーグ物語」。パリじゃなく愛なのでした。

翼よ、あれが愛の灯だ

朝焼けの彼方に浮かび

宝石のように輝いて

孤独なナイトフライト

みまもる君の夢のかけらさ

高速の光をタンクに反射させながら元気になった私と青いオートバイ、夜の光のなかで真昼間とは全く違って艶っぽく反射するタンクを両足で挟みながら突っ走ったとき、それはオートバイと私がいわゆる「人馬一体」になっていた瞬間だった。

 あの雨のSAのカレーライスは、おおげさにいえば命を救ってくれたカレーライスだった(あのままふらふら運転していたらいつか転倒したんじゃないだろうか・・・)

全体を見て目で考える

 昨年の7月に金沢在住の叔父が亡くなり、その葬儀のために久しぶりに金沢まで出掛けた。通夜式に出て、ホテルに泊まり、告別式に出席したのち北陸新幹線で帰った。帰りにほんの少しだけ時間に余裕があったので、21世紀美術館鈴木大拙館に、大急ぎの短時間だったけれど、寄ることが出来た。写真は21世紀美術館(上)と鈴木大拙館(下)。大拙の言葉(結局はスマホで調べた)に「西洋人は物事を頭で考えて分析・比較・対照するが、東洋人は全体を見て目で考える」というのがあるそうだ。あるいは「科学が万能だというのは近代人の一つのミス」とも。

 引用した前者の「西洋人は・・・」を読んでいると、例えば写真作品を作るときに明文化したコンセプトを書き上げ、それに沿って撮影を実行するような作品作りの手法が西洋的なのかもしれないなと思った。東洋人というか日本人は、言葉に現わせてなくても直感的に写真を撮る場合もあり、その直感はそのカメラマンという今の個を形成している過去に根ざしていて、否応なく写真に現れる。その「否応なく」を、今度は(ときには第三者に委ねて)選択者フェーズとなって、うまくかつ大量に選別して、その大量の写真を何度も何度も見直すことで「これを撮ったという意味はこういうことだったのか」とそこであとから明文化する(後付けコンセプト)。後者のやり方の方が偶然の要素が強く、受け身の撮影が多くなり、音楽でいえばジャズの即興演奏やフリージャズのようじゃないだろうか。一方コンセプチュアルな作品作りは、譜面という全体で一つの曲(というコンセプト)を実現するために、分解された指示書が構成されているような感じで、これはオーケストラの演奏のようだ。

 だいぶ前、作家の小島信夫さんが亡くなる二年くらい前だろうか、作家の保坂和志さんとの公開対談を聞きに行ったことがあった。あのとき小島さんは、この先この文章が一体どこに向かってどうなって行くのかなんてわからない。わからないが、ただ捻り出るままに書き連ねていく、そういうことが小説なのだ、といったことを言っていた気がする。西洋の小説家がどういう風に作品を作るのか、こんなのは二者択一ではなく、また、西洋と東洋で分けるべきことでもなく、その中間的なやり方も一杯あるだろうが、もしかすると書き出す事前に準備と物語の構成を細かく設計して書くことをするのは東洋人より西洋人が割合的には少し多かったりするのだろうか?

 昨年と今年読んだ小説のうち畑野智美と滝口悠生が、新たに読んだ作家のなかでは面白かった。面白かったけれど、ラストはなんとなく流行りの伏線回収をして、物語に落ち度がなく、綺麗に整えようとしている感がして、惜しい!と思ってしまう。もっと適当にばさりと終わる方を期待してしまった。あるいはあえて伏線を回収せずに放っておくことでうるさいコメント民の読者に不満を言わせて放っておくような豪放さを期待する。

 ところで、科学が万能だというのは近代人の一つのミス、は身に沁みる。それは一つはいまのウクライナの戦争の悲劇を見て思うことであり、もう一つは科学で説明が付かないことを見えなくして安心するような世界に警鐘しているんじゃないだろうか。

 

60年代のオフィスビルが消えようとしている

新橋の駅前にあるビル(新橋駅前ビル一号館)の地階に古くからある食堂街では、年に二度か三度くらい土曜日の昼を食べる。都内のギャラリーで写真展を巡るときに、東京都写真美術館東京国立近代美術館は10時には始まるが、六本木や銀座のギャラリー(WAKOとかシュウゴアーツとか禅フォトとかAKIO NAGASAWAとかTOMIO KOYAMA)は開廊がもう少し遅いので、その前に昼食を食べるのに、じゃぁ新橋で食べよう、と思い立つのだ。このブログにもそんな地下の店で海鮮丼を食べた日のことにちょこっと触れていた。

新橋 - 続々・ノボリゾウ日録 by 岬 たく (hatenablog.com)

この地下街にある鰻屋さんもときどき行く。相場より1000円か1500円安価なのではないかな。そして美味しい。浜名湖などから運んできた鰻を店で焼いている。店内の小さな黒板に、本日の鰻は浜名湖産、とか書いてある。

 昨日、ネットサーフィン(なんと古い言葉だろう!もはや死語なのか・・・)していたら、この新橋駅前ビルは2022年(今年ではないか!)に解体予定と書いてあった。コロナ禍で少し計画が後ろ倒しになっているのかもしれないが、風前の灯だ。この新橋駅前ビル一号館(二号館と三号館もあるらしい)はゆりかもめの乗り場のある方の口の正面にある。ビルの外観は上記私のブログのページに載せてあります。駅をはさんで反対側にあるSL広場に面したニュー新橋ビルも取り壊しが検討されているらしい。

 あのビルはチケットショップがたくさんあり、喫茶店やレストランも入ってますね。紳士服の店も。むかしは中古カメラ店があったけど今はどうなんだろう?いちどTOPCOFLEX、二眼の6×6フイルム用カメラを買おうかどうしようか迷ったことがあったからそんな店があったことも覚えている。このカメラはよく見かける東京光学のプリモフレックスと同じらしいがTOPCOFLEX銘のカメラは台数がとても少ないらしい。あのとき数日後に買おうと思って行ってみたら売り切れていた。古本屋で出会って悩んでそのときは買わなかった本にもそういうことがあるが、中古カメラも古本も一期一会でそのときに買わないと、大抵後日には消えている。私のカメラ防湿庫の中には、ライツミノルタCLやキヤノン6LやマミヤRB67やミノルタオートコードや稼働しないCONTAX Tなんかが入っているが、フイルムカメラ再燃というニュースを見るものの、一方でフイルム販売の終了は相次いでいて、フイルムも高騰していて、数年前よりいっそうフイルム使用の環境は厳しそうだ。もしかすると、もうこれらのカメラも使わないかもしれない。レンズはマウントアダプターで使えるけれど、むかしのレンジファインダーカメラ用の交換レンズはフイルムに光が向かう角度が急峻でも良かったが、デジカメはあまり急峻だと色がおかしくなったり周辺光量が低下してしまうから、使えるとは言っても実際は制約が多い場合もある(とくにワイドレンズ)。

 カメラの話に脱線してしまったけれど、新橋駅前ビル一号館は1966年に、ニュー新橋ビルは1971年に竣工。そしてちょうどいま1960年代に建てられたこうしたビルが次々に建て替え計画を迎えていると思われる。上の写真は有楽町駅近くの新有楽町ビルヂング。上すぼまりの窓の形とその形を強調しているステンレスの窓枠がかっこいい(と私は感じる)し、この紺色のタイル張りの外観も粋だと思う。竣工を調べると1967年だそう。この新有楽町ビルと隣の有楽町ビルにも建て替え計画があり、2023年には閉館というニュース記事が(ネットを調べると)あった。このビルのある通りは丸の内仲通りと言うらしい。ほかにも国際ビルなどもいい感じがする(ちょいレトロ)。

 建て替えの理由は脱炭素社会と災害時防災機能強化なのだが、同時に高層ビル化してテナントを増やそうというM地所グループの戦略もあるのだろうか、ないのだろうか。だけどコロナ禍というのが社会を変えて来ていて、最近ではIT系の会社を中心にオフィスレス勤務、地方というよりどこでも好きなとこからの在宅勤務、に変わりつつある。いまは率にするとまだごくわずかかもしれないが、経営者の代替わりと就職人気条件の変化が進めば、もう丸の内やら新橋や新富町兜町日本橋八重洲にでっかいオフィスビルを建ててもペイしないんじゃないか?と何の資料も調べずに感覚で言ってるだけですが・・・なので建物は今のまんま、脱炭素エネルギー化は出来ないんですかね?そう言えば横浜の市役所は移転して、旧市役所は星野リゾートのレガシーホテルになるんだっけ?そしてその奥には、やっぱりそうなのか、高層ビルが建つそうです。

 下の写真は東京駅八重洲北口のバスターミナルから正面に見えるパソナが入っているビル「日本ビルヂング」で竣工は1962年。このパソナのビルも一部取り壊しが始まっているんだろうか?そんなネット記事もあったけど、よくわからない。この横線が重なっているようなビルデザインが美しいと私は感じる。きっと当時1960年代には最先端のなんらかの理屈(建材やガラス強度やそういう1960年における最先端技術の理屈)に依っていた結果なんだろうな。それが年月を経て、なんだか懐かしさを纏ってくるのが面白い。

 と、最近1960年代に竣工したビルが次々と老朽化(インフラ改革)のために建て替えを迎えているが、今朝、録画しておいたNHKの「映像の世紀プレミアム第15集、1964年の東京」というのを見たら、これらのビルが建った時代の代表だった東京オリンピック1964を成功させるために民意とは別のところで政治家たちが奔走して新たな町作りを強引に進め、だけど反対してた知識人たちも、いざオリンピックの開会式、男子マラソン、女子バレーボール、閉会式とテレビの前で釘付けになったのちには、皆そのオリンピックを開催したことによる効果を評価していたようだった。日本橋の上に首都高が通り、江戸時代には水の都市と言われたいくつもの川が首都高に取って代わり、東海道新幹線が通り(開通発車式はオリンピックの数日前)、水不足に備えて荒川から水を引いてくる突貫工事が行われ(鶴の一声を発したのはいまの河野大臣のお父さん?おじいちゃんか・・・?)、YS11が開発され・・・多くの矛盾と多くの犠牲と多くの被害者を生みながらも総じてこのイベントをもってして日本の国際的地位が認められていくという結果を得て行く。その年の陽の部分と影の部分が番組になっていた。こんなのは本当にその時代のことを知っている人から見ると、NHKのあの番組も結構作為的で強引なんだよなあ・・・なんてことになるんだろうが、なにも知らないからよく出来た番組だと思った。

 だからこのブログにこうして取り壊されるのが惜しいなあということを私が書いた「新橋駅前ビル」「ニュー新橋ビル」「新有楽町ビル」「日本ビル」も、1960年代には、今新しく出来上がっている高層ビルたちと同様に時代の最先端の象徴であって、それまでの都市風景を蹂躙し強引に変更したビルだったのだろう。だからこんな風に私が思っていることを60年代に戻って当てはめたら、これらのビルは新参者であって、それによって消えてしまったいまは見ることが出来ない当時の東京を愛しむ声があったに違いないのだ。時代は回るというか栄枯盛衰ですね。

 

謎かけだらけかもしれない

 日があるうちはずっと南からの海風が吹き続けているこの町でさえ最高気温が33℃を越えたから、東京や埼玉はさらに3℃も4℃も高い気温になったに違いない。そんな日は南の窓も北の窓も開け放てば、海風はいつでも家の中を通り抜けているから、冷房装置を付けずとも、なんとか過ごすことが出来る。だから窓辺に座って読書をしたり、しばらく手にしていなかった弦が錆びたフォークギターをケースから取り出して、ちょっと爪弾いてみる。指は、毎日のようにギターを抱えていたむかしに暗記していた通りに動く曲もあれば、もう忘れてしまって途中で次の指の動きがわからなくなってしまうこともある。何度も最初からやり直してみる。産卵のために遡上する魚が、小さな段差を何度も何度もジャンプしては結局上流に行けずに戻されているが、そのうち十回目か五十回目がもっと何度もジャンプすることもあるのだろうか、結果が出て、堰を越えることが出来たときのように、指が次の動きを思い出して躓いたところを乗り越えるかもしれない。だけど、結局その次の指の動きは思い出せないまま、ギターを本棚に立てかける。500ccペットボトルのガス入り水を冷蔵庫から持ってきて、モロゾフと書いてあるガラスのコップに注いで、一気に飲みほした。コップと書いたが、コップとして使っているのは元はプリンのガラス容器だった。コードの抑え方は概ねぜんぶ忘れずにいた。C、D、E、F、G、A、A♭、B♭、Am、Em、Dm、C7、E7、A7、D7、G7、このくらい覚えていれば、だいたいなんとかなる。しかしすぐに弦を抑える左手の指先が痛くなった。

 それからソファーに寝転がって、文庫本を手にする。今日から読みだした小説は3月の寒い雨の日から最初のページが始まった。この暑い7月に、5月のことはかろうじて思い出せる。だけど3月っていったいどんなだったのだろうか?梅の花は終わり、桜はこれから咲こうと蕾を膨らませている。そういうことなら知識として言えるだろう、ほかにもいくつか。だけど、3月が舞台の小説は3月に読んだ方がリアルな感じがするんじゃないだろうか?そう思ったら、ちょっと読み続けるのが嫌になって、本を閉じてしまったようだ。本当は眠かっただけかもしれない。

 ほんの10分のうたたね。それでも夢を見ていた。起きた瞬間には覚えていた夢の中身は、覚えていたことを覚えているだけで中身がするっと消えていることが多く、すなわちそれは忘れているわけだけど、起きた瞬間に覚えていたから残念な感じがする。それでその感じが、寄せた波が引きながら同時に砂にどんどん吸い込まれてしまう、あの吸い込まれてしまう波に似ていると思っている。今日も波が思い浮かび、うたたねの夢の中身は忘れてしまった。ただ、なんかちょっと「宇宙」って感じがする夢だった。

 そのあと買っておいたコンビニのサンドイッチを食べたり、テレビでサッカー観戦をしたりして、23:00、今日は一歩も外に出ていないから、近くの自動販売機まで清涼飲料水を買いに行こうかなと思い立つ。昼に一本開けたガス入りの水のペットボトルはもう数本あるけれど、なんだかとてもコーラが飲みたいから。

 深夜になり、さすがに少しは涼しくなっただろうと思って外に出たが、空気は火照ったまま町をすっぽり覆いつくしていた。家のすぐ前のバス通り沿い商店街に、十メートルおきくらいに笹飾りが何本か立てられているが、昼にあれだけ吹いていた海風は夜には止まっているから、誰かが願いを書いた短冊や笹の葉が揺れてサワサワ鳴ることもない。体感温度は風がないせいで夜の方がよほど暑いんじゃないか。そしてサンダルのかかとを歩道にずるずる擦り音を立てながら、目当ての自動販売機のあるタイムズ駐車場、家から100mくらいの場所にある、そこまでゆっくり歩いた。ゆっくり歩いて汗をかかないようにするが暑いのだからゆっくりでもそのうち汗が出てくる。そしてゆっくりだから時間がかかる。それだけ長く暑い中にいると、結局汗はたくさん出る。では走った方がいいのか、走ると身体はますます熱くなり、汗がたくさん出てしまう。だけど時間は短くて済むんだけど・・・どっちがいいのか。街は静かで、自動車もオートバイも何故か通らない。

 深夜の自動販売機は、2001年宇宙の旅に出てくる石板のよう、と思ったことがあった。夜の闇のなかに、誰も来ないのに煌々と輝いている直方体。もし自動販売機という物品だけが過去にタイムスリップしたらある日それを見つけたクロマニヨン人は販売機を取り囲み、恐れながらもそれに触れる。その指先から知恵を感じ取るだろう。これからそういうフェーズを迎える星があったら、その未来に知恵や知識が核兵器を産まないことが望ましい。あるいは宇宙戦艦ヤマトに出てきたコスモクリーナーを産んでほしい。コスモクリーナーは核汚染を綺麗にしてくれる装置だった。

 などと思いながら、歩いて行く。自動販売機に先客がいる・・・ことにしよう。まだ自動販売機が見えないところを歩きながら、想像する。先客は魅力的な・・・具体的になにを魅力的と感じるのかはわからないが・・・女性だとしよう。そして、私が自動販売機に到着するとき、彼女はコーラを一本手に持っている。こんばんは、と私が言うと、彼女はちょっとおびえるようにして小さくこんばんはと言う。それから自動販売機に百円硬貨を入れようとする私を少し離れた場所からじっと見ている。私がコーラのボタンを探していると、彼女が言った「あの、いま私が買ったこのコーラがどうやら最後の一本らしくて、ほら、全部の商品のボタンに「売り切れ」って字が光っているでしょう」

 そのあと、①なにも言わずに彼女は逃げるように去って行く、②ごめんなさい、と言ってから去って行く、現実にはまずこの①か②のどちらかしか起きないのではないだろうか。その他の③のようなことはまずあり得ない妄想なんだろう。その妄想の③は「③彼女は、ここでこのコーラを二人で半分づつ飲みましょう、と提案してくる」だ。もちろんコップなんかないから、それはラッパ飲みの回し飲みだった。そしてコーラを順に飲みながら、なんでこんな深夜に自動販売機に来たのか、その状況をお互いに話すんだ。その理由がすぐには理解できないような話だと面白いんじゃないか。彼女の話。彼女の部屋の窓を開けると隣の家のサボテンが一本高く伸びて眼の前に届いている。そのサボテンから蕾が突き出てきてとうとう花が咲いた。一晩だけでしおれてしまう花だ。咲いている短い時間、花はなんだか狂乱して爆発寸前のように咲き狂って見える。彼女はなんだか花に覗かれているみたいで、花が怖くなり窓を閉める。すると今度は蒸し暑い。扇風機が風を切る音っが途切れずに一律にずっと鳴っている、そのさーっという音に気が付いてしまうと、うるさくて眠れない。それで気晴らしにここにコーラを買いに来ました・・・。そんな話。

 角を折れたら自動販売機がいつものように光って立っているのが見えた。そして、いま妄想していたようなことは起きていない。そこに女性がいることはなくて、光に寄せられた蛾が数匹舞っているだけだった。

 缶コーラはゴロリと出て来た。自動販売機の下の方にある取り出し口から屈んで缶を取り出すと、その時点ですでに缶の表面が結露して濡れている。ここで飲むか、歩きながら飲むか、持って帰ってモロゾフのコップに氷を入れてから注いで飲もうか。自動販売機はコーラを一本買ったところで売り切れになんかならないな。だからもしこのあとに女性が来ても、もう全部売り切れですよ、だからこのコーラ一本を二人で分けましょう、遭難者が残った水を分け合うように、とは言えないな。


 なんて感じの作り話をスタバでコーヒーを飲みながら考えている人がいるかもしれません。

 この自動販売機の話は、私が二十歳の頃に書いたショートショートをもとにしている。その文章はあまりに稚拙なので、そのまま転記はできなくて中身もだいぶ変えましたが、自動販売機で出会いがあって商品は売り切れている、という話が、万年筆で原稿用紙に書いてあった。上の文章では「妄想」としたことが、その原稿用紙に手書きされたショートショートでは現実の出来事として起きていて、女性(ショートショートでは「女の子」と記してある)と主人公の「僕」は自動販売機の横でコーラを飲むようになっている。コーラじゃなくてサイダーだったかな。少なくとも水ではないです。

 しかも奇妙なことに、その二十歳の頃に書いたショートショートでは、深夜の自動販売機で「僕」と「女の子」が出会って、最後の缶コーラをもらうもらわないというやり取りがあったあとに、これは(誰も観客なんていないのに)事前に示し合わせた芝居だと書かれているのだ。「女の子」は自動販売機の前で二人芝居を終えると「演技って疲れる」と言うのだ。さらに読者に対する謎かけがあって、ここに書いた文章のどこまでが芝居でしょう?と書かれていて、それでショートショートが終わっているのだった。

 やれやれ、夏は謎かけだらけかもしれない。

飲んだ後に遠くへ行きたくなる街

 ここのところコロナ感染者数が前週同曜日比でプラスになっているが、職場での雰囲気はだいぶ緩和ムードで、週に一度くらい四人以内の飲み会が続いていたが、今晩は六人で一間貸し切りでの飲み会があった。場所は都内は自由が丘の、戦前から営業が続いている名の知れた居酒屋で、自家製のちりめんじゃこ、万願寺唐辛子、鱧の天ぷら、だし巻き、お造り、焼き茄子、鱧とじゅん菜の吸い物、小鯵のフライ、などなど。自分はメニューを見ないで、頼むものは誰かに任せ、出てくるものを順に食べていたが、季節感もあり、流石の美味しだった。

 飲み会のあと、駅の改札を通って振り返ると若い方から四人は、このあと軽くラーメンでも食べに行こうという算段らしく、笑顔を浮かべて手を降ってくれていた。わたしは、渋谷の方に向かう電車に乗るひとつ下のI君と握手をして別れ、横浜方面に向かう電車に乗った。急ぐ必要はないから、普通に乗って座って行った。途中駅で二回、快速か快速特急か特急か、どの順番で早いのかも知らない種類の各駅停車ではない電車に抜かれた。

 この路線のもっと東京寄りの駅にある事業所に通っていたことがあって、あの日々は片道1.5時間の通勤がそんなに長いとも思わず、満員電車に立っていても、ぎりぎりの隙間で読書をしたり、途中駅で気まぐれに降りて、フイルムカメラで駅の周りをスナップしたりした。今日は、あぁ、こんなに遠かったか・・・と思った。

 自由が丘の駅前で、今日のような飲み会のあとに、アルコールで火照った顔や身体でふらついているその前を、印象としては無音な中、すーっとレガシーツーリングワゴンが通過していく、その荷室には渓流釣りの竿が置かれていた。それが30年近く前のことで、街を歩いていてふと出会った車に、ひとめぼれしたのはそのときが初めてで、そのあとレガシーツーリングワゴンを手に入れて数年のあいだ乗っていた。(この話はこのブログに何回か書いただろう)

 映画の(小説の原作もそうだったかな?)「きょうのできごと」では、京都の一人の学生の家に仲間が集まって飲んだりしゃべったりし一日を過ごしていき、真夜中近くになってから、砂浜に乗り上げた鯨を見に行こうということになって自動車に乗り込み、夜を徹して日本海まで運転していく。そのメインストーリーに、建物の隙間に挟まってしまったチンピラ風の兄さんの話や、すぐにお腹が痛くなる男の子と気が強そうな女の子のカップルの動物園デートの話が関連して、ある日のできごとを辿っていく映画だが、あの飲んだあとに見たレガシーは、映画の中の仲間が日本海に向かうように、飲んで騒いだこの場所はこれはこれで楽しく、仲間の集う安心のホームタウンだけれど、さて、レガシーが通り過ぎたことをきっかけにして、そこから猛烈にここではないどこかに行きたい、というような心の動きがある、という体験だった。

 どこにでもある同じような私鉄沿線のちょっと大きなターミナル駅の駅の周りの飲食街だけれど、自由が丘には、ここではないどこかへ誘われるような気分が起きるなにかがあるかもしれない。

 

宵の口、一廻りした街歩き

 夏はいつからこんなに暑くなってしまったのか。朝早く、まだ気温が30℃になる前に出勤し、日が暮れて少しは気温が下がったかなと思える頃まで、冷房の効いた会社に居続けてから、さて帰るか……とバッグを肩にぶら下げて、エレベーターに乗ると、エレベーター内が最早少し暑い。外に出るための自動ドアが開くときには、覚悟がいる。まだ我慢できないくらい暑ければ、もういちど居室に戻ろうか?作成中の資料はまだまだ未完だから、戻ったらばそれでやることはあるのだ。でも、思ったほどではなかったので駅に向かって歩き始めた。ここのところ、自家用車ではなく電車通勤にしているから、乗換駅ですぐに改札を潜らず、まだ空が黒になりきる前の街を一廻りして見る。飲み屋は、満席とまでは行かないが、そこそこ客がいるようだ。やけに立ち飲み屋が多くなってる。鰻串の立ち飲み屋、焼鳥の立ち飲み屋、などなど。立ち飲みにしたほうが、客の回転が良く、コロナリスクも少ないのかな?と思う。ミンガスの名盤タイトルと同じ名前のジャズ喫茶、古いビルの四階か五階か、もうとっくに無くなったと思っていたらネオンが灯っていた。あるいは別のビルの二階の喫煙可能な喫茶店も、まだあるのか!と思う。前者は以前行ったときにカインド・オブ・ブルーが回った。後者は、70年代と思しきクロスオーバー音楽が流れてた。クルセイダーズとか、そんなのが。そんなふうに店が残っているのに驚いてしまうことがある一方で、以前は駅から一廻り、数百メーターの中に4軒あった古本屋は一つもなかった。以前と書いたのは10から20年くらい前のことです。買った本、例えば小沼丹、小川國男、辻邦生永井龍男。まだ海外旅行が簡単ではなかった頃のヨーロッパを舞台にした短編には、異邦人の戸惑いと緊張と、一方で冒険心に突き動かされるような、そしてそれが、多分当時の日本の常識よりずっと自由、と言うか、個人のやることやれることの制限がぐっと広い、そういう背景から生み出される瑞々しさが短編にも感じられた。それが好きでよく読んだものだった。パリでマロニエの葉を拾って来たが、持ち帰ってわかったのは、東京にもそこここにマロニエがあったということだった、と書いたのは小沼丹だったろうか。一廻りの散歩を終えて帰ることにする。
 写真は自家用車通勤の朝、赤信号で列の先頭になったとき、昇ったばかりの横からの日の光を浴びている、葉がすっかり大人になり勢いよく繁った街路樹。
 

移ろっていく人生

 三郎がいたから歩がああいう人になって、だから私も歩のことを好きになって、そうやって元のところに留まらないで、次々動いて移動していくようなものなんだな、人が生きるということは、と今はそんなふうに考えています。では私は最近そういう生き方とか、世界とかいうことを考えがちというか言いがちで、歩には、もっと具体的なことを話したり、考えたりしているときの方が奈緒ちゃんらしくておもしろい、と言われるんですが、年齢とか、体調とか、季節によってそういう変化もまた避けられない、移ろっていくものだから自分ではどうしようもないですよね。
滝口悠生著「高架線」講談社文庫151ページ
 移ろっていく……そうだよな、読書をしながら共感する。若き頃なら本に線を引いて、ページの端をちょっと折ったかもしれない。何度かこのブログにも書いたけど、必然的に起きた感じることも、起きることは、なんでも、偶然と感じることも含めて、すべて起きる可能性のあるうちから選択された一つの出来事で、だから偶然も確率の低い必然であり、時間の流れの中で一人の個が生きるのは、その選択の積み重ねであって即ち移ろうものだと思う。
 今朝、通勤電車の中でここを読んで、風が吹けば桶屋が儲かる、という常套句を思い出したが、風が吹いてから、桶屋が儲かるまでのあいだにどんな物語が挟まってるか知りたくなり調べてみたが、ちょっと今では差別的だったり動物虐待のようなことも含まれていたから、むかしはなにも問題なくても、いまは例えばここに書き写すには躊躇する様なところもあった。
 会社で課題解決手法に関する研修なんかがあると、何故を遡ろうとか、因果関係のツリーを描こうとか、手法を習うけど、桶屋が儲かった事実から真因を探り、常に儲かるように施策を考えるわけだから、答えはいつも風が吹き続けるよう、風神と仲良くなるよう風神を接待するってことだ(笑)
 雷神と風神がいつも仲良しペアだとすると厄介だな。風神が風を起こして砂煙が立ち目を痛める、筈が、雷を伴うと、おへそが取られるぞ!と家に引っ込むから、目が傷まない、なので桶屋は儲からない。
 むかし、妄想しりとりとか言って、ある単語から妄想を連鎖させ、ストップが掛かったときに思い浮かんでいた単語を言ってもらい、最初のある単語から浮かんでいた単語のあいだにどんなに単語を経由してたかを当てる、というゲームが流行った。最初の単語がエビチリだとして、誰かは頭の中で、エビチリ→中華→飲茶→シュウマイ→駅弁→旅行→お伊勢参りと連鎖して、お伊勢参りだけ答える、すると他の誰かは考える。エビチリ→辛い→カレー→インド→巡礼→お伊勢参り、と答える。ハズレですね。エビチリ→取り分けて食べた→中華街の秋→あなたは疲れていて→僕は心配で→その心配をよそに急にあなたはお伊勢参りに行きたいと言った。そんな悲しき中華街。こんなのは、プライベートな出来事の思い出連鎖で、妄想しりとりとしてはちとちがう。失格だな。でも新たに思い出しりとりというゲームを作ればよいか?人の心の中はたいてい妄想しりとりか思い出しりとりをしてるだけなのかもしれないし。

 エビチリは食べなかったけど、先日中華街に言った帰り道に寄った食材の店で買ったキャンディーです。懐かしかった。コロナ前に海外出張が頻繁だった頃、誰かがお土産にくれたものと同じものを売ってた。包んだ紙には兎の絵です。お菓子はオブラートに包まれてる。

 では妄想もしくは思い出しりとりをはじめます。スタートは「兎」。