みどりいせき

 2023年のすばる文学賞受賞作だそうです、新しい作家の本も読んでみようかな、と本屋で手にして買ってみたのは、大田ステファニー歓人著「みどりいせき」の文庫本。登場人物たちは今の時代の高校生で、彼等の話してる言葉がまずわからない。三十代の近しい人にいくつかその意味を聞いてみたら、こういうことだよ、と解説してくれました。あとはわからないスラングをネット検索してみたり、適当に解釈して読み進めました。ときにはネット検索したら、違法薬物の吸引に使う道具のなまえだったりして、そう言う検索をすると、ヤフー検索の検索結果ページのいちばん上の方に警告文が出るんですね。
 言語は常に変化しているわけで、この本の文章はわたしにはよく伝わらないところもある。でもはまぁ、枕草子や源氏物語を現代語訳でないと読めない、という状況よりはマシですね。しかも読み進めると馴染んできて、だいたい読み取れるようになりました。

 著者や登場人物よりはるか上の世代の読者である私が、生きてきた時代の価値観を当てはめて、その尺度でまるで上から目線のように感想を言うことが、まず違うと思う。ここに言葉にして行くと、やれ、人の底流にある仲間を大事にする気持ちは不変だとか、形を変えても共感しかない、あるいはどんな悪事をしていてもそこにある純粋な気持ちは変わらない、なんて下らないまとめは嫌ですね。
 文庫解説の高橋源一郎さんの文も、なんか気張っていて、苦笑って感じがしました。
 若い人に流れてる時間の速さ、わずか六年か七年前の日々を、愛おしく振り返り、そこに依存しながら、日々をつなごうとする。たとえば六十才になって懐かしく振り返るのが学生時代とすると四十年前です。六年と四十年、それが日々を受け入れる心の動きの微分値の違いなのだとすると、上から目線ではなく下から見上げるように、彼らを称賛したい。
 頼むよ、未来を。

 

↓ブックカバーのデザインもかっこいい

PとS

 前回のこのブログに、むかしのほうが果物と季節が紐づいていた、なんて書きましたが、最近はヤフー検索でも選択できるAIに「いろいろなフルーツの旬の季節を教えて」と入れてみたAIの回答に読むと、実は、むかしもいまもあまり変わってないかもしれないな、と思いました。もうそんな季節になったかぁ……と、早出の物は、そのシーズンとしてはまだまだ珍しくて、だから高く売れる、と言う市場原理が働くのだとすると、出回り始める時期が、少しづつ前倒された果物はあったとは思います。でも概ねは昔と同じ。キウイフルーツのようにむかしは無くて、いまは通年で買える物が出てきたので、前回のブログのように感じたのかもしれません。苺も林檎もサクランボも葡萄も桃も梨も無花果もちゃんと、今でも旬がありました。

 ところで、いまはずいぶん安価になったバナナ。むかしは高級感ありました。その頃にはバナナ専門店もあったと聞きます。

 柿はナイフでスパッと切ると、あの焦げ茶色の種が断面に来ることがありますね。たまたま断面でふたつにわかれた種の中は白い。それを見て、いい色だ!などとしみじみ思うような子供はあんまりいないでしょう。子供の頃のわたしも、いい色だ…などとは思わなかった。でも、いま思うのは柿を切った断面に現れた種の白は、いい色だ、と言うことです。なにがいいのか?と問われると、よくわからないですが。子供の頃だって、言葉にして認識してはいなくても、いい色だと心の奥では思っていたのかもしれないな。

 鎌倉のとあるカフェ(なのかレストランと言うべきか、その境はなに?)で、ひと月半ほど前の平日の昼下がり、ほかにお客さんのいないこの写真を撮った店で、少し甘いソースの掛かったポークソテーを食べました。ソースにはハチミツと粒マスタードが上手く使われていたのかな。店のテーブルのうえにこのPEPPERとSALTのこの容器が置かれていました。もうちょっと並べ方や、撮るべき位置や、焦点距離を考えないとなぁ、と言うのは写真についての思いですが、それはさておき、PとSで言葉遊びをするとなにが浮かびますかね?追伸の意味のPSでしょ……PSアイ・ラブ・ユーって曲名もありますね。肝心なことは追伸で伝えるってわけなのか。追伸は、書き終えて、書き忘れたことを思い出して、書き足すときのもの?じゃないよね。やはりなにか思いを伝える、言葉は乱暴ですが、ある意味「戦略」のようにそこに書くことを選ぶのでは?そうなるとアイ・ラブ・ユーは、ちょっと照れ臭いし、そこに置く気分は、若いときであれば尚更、あるかもよ、ですね。

 さて、ほかになにが浮かぶか。Pでしょ……ぱぴぷぺぽ、で始まる日本語って浮かびます?カタカナ単語ではない日本語。わたしはなかなか出て来ない。

 日本語は浮かばなかったのですが、海外の言葉のカタカナ表記で、PとSなら、プンクトゥムとスタジウムと言うのがありますね。奇しくもPとS!これもAI検索すると

『ロラン・バルトは『明るい部屋』で、写真を見る経験をこの二つで説明しました。スタジウムは、写真のテーマや社会的意味を読み取る見方です。プンクトゥムは、見る人の心を不意に突く要素です。

具体的イメージ〉

たとえば家族写真を見たとき、「これは記念日の写真だ」と理解するのがスタジウムです。一方で、写っている人の少し傾いた手や背景の古い椅子のような細部に、なぜか胸を打たれるなら、それがプンクトゥムです。これは一般的な意味ではなく、見る人ごとに変わります。』

と説明されました。鵜呑みにして問題ないでしょうかね?

 このプンクトゥムとスタジウムのことを読んだり聞いたりするときに思うのは、その写真が撮られたときと、その写真を見るとき、その間に流れた時間があること、そしてその時間を感じ取れる変化が写真に写っているかどうか?これによって写真の見方の中に、プンクトゥム的な見方とスタジウム的な見方が混在するとして、その発生割合が、時が経てば経つほど、プンクトゥム的な見方が起きる割合が増えて行くのではないだろうか?と言うことです。仮説。

 この話の続きはどこかで書くかもしれないです。長くなるので、このへんで。

 

私の影 柿の白和え

 この写真を撮ったときには自分の影のことなど意識せずに、ただバイクで走っていく人を、なんとなく撮ったってことです。あとから写真を見なおしているときに、自分の影が気になりました。影から推測すると、なんか写真を撮っている姿勢に見えないですね、でも実際には撮ったわけですが。写真が証拠ですね。

 10月10日土曜から三連休がはじまりました。ずっと晴れるらしい。雨ばかりの9月が終わり、やっと日がさす日々になりました。

 

 さて、下の写真は10日の夜にとある店で食べた「柿の白和え」です。

 数十年前にはいまほどたくさんの種類の果物はなかったですね。いまも柿といえば秋の果物で、ほかの季節には(たぶん)食べられませんが、むかしは柿と同じように、季節と果物が、柿以外にも、もっと明確に紐づいていたと思います。

 幼稚園のとき、秋になって、誰か(園児の親でしょうか)にいただいたと言う柿を食べたことがあった気がします。板張りの教室に園児が輪になってすわって、先生が順番に切った柿を配って歩いてくださったような、そういう記憶。種の周りの果肉がぬるっとしたところ、好きなような嫌いなような、どっちかわからないのに、そこに意識的になって食べていました。

 幼稚園の頃って、こういう好きなのか嫌いなのかわからないことがありました。今思うと、それは「好き」だったのだと判りますが。5歳くらいだったでしょうか、祖父がクリスマスカードを送ってきてくれました。きらきらとした美しい、夢のようなカード。これほど美しいものを自分のものにできることが嬉しくて嬉しくて。それなのに、ある日、そのクリスマスカードを見ているうちに、急にそれをクシャクシャに丸めてしまいました。なんか、衝動的に。そしてクシャクシャになったカードが元には戻らないから、すごく泣いたと思います。この話はたぶんこのブログにも何度か書いたんだろうな・・・

 

 

シャッタータイムラグ

 2026年10月4日、南関東は穏やかな日曜日でした。朝5時前に起きたので、とても早い時刻にカメラと文庫本を入れたバッグを持って電車で数駅の散歩?お出掛け?に行きました。ふた月ほど前に修理が上がったワルツというブランドのフイルムカメラにフイルムを入れて、もう一台、APS-Cサイズセンサーの十年ほど前のミラーレスカメラに135フイルム換算35mmの単焦点レンズをくっつけて、JR東日本藤沢駅から江ノ電藤沢駅へ、そこから江ノ電(藤沢駅6:30頃発)で七里ガ浜駅まで行き、七里ガ浜から材木座まで延々と海沿いの国道や砂浜を歩いてきました。家を出たのが6時前でした。明るくなったばかりの時刻。もう秋分も過ぎたのだった。

 10月下旬に新発売になるフルサイズミラーレスカメラを買うことにして、すでにネット通販に予約申し込みをしました。2020年から6年使っていたフルサイズミラーレスカメラを早いうちに下取りに出しました。四捨五入すると新しいカメラが20万円で下取り額が10万円でした。ほかにほとんど稼働していなかった望遠ズームレンズを売ったりもしました。

 というわけで、フルサイズミラーレスカメラがひと月ほど手元にない状態となったので、十年前に発売されたAPS-Cサイズセンサーのカメラを持ち出しました。フルサイズミラーレスカメラを上記のように買い替えることにしたのは、重量を軽くしたかったからです。一日首から下げていると、ひどく肩や首が凝ってしまいます。数年前まではそんなに感じなかったのに。それで買い替えることにしたのです。

 十年前・・・この上の写真は江ノ電の車内から、線路のすぐ海側にある国道134号線を走っていくバイクを撮ったのですが・・・約十年前に買ったのこのカメラは、シャッターを押してからAFが動いてピントを合わせ、その他の露出調整の動作なんかもしているのでしょうか、シャッターが落ちるまでに時間が掛かります。0.3秒のときもあれば1秒以上掛かっていることもある。ここが十年のあいだにカメラが一番に進歩したところなのでしょう。いまのカメラはこんなに時間は掛からない……

 もしこのカメラにオールドレンズを付けてきていたのなら、そもそもマニュアルフォーカスのうえ、被写界深度に鑑みて絞り値と距離位置をあらかじめ設定しておけば、たとえばこの写真を撮るのならF11の1/800秒でISOオートにして距離環を5mくらいにしておけば、だいたいパンフォーカスで手前から無限距離までピントがあい、AFに時間を使わないで済むので、どんどんシャッターが切れますね。電池の減りも遅くできるし。こういう場合は、スクリューマウント時代の小さな28mm(APS-C換算45mmくらい)を付けてきた方が、ずっと快適だったわけです(ただしオールドレンズだと、今度は周辺の光量落ちと色ずれが起きます。解像度も低くなる)。まぁいいや。そんなわけで上の写真のように、シャッターがすこし遅れてしまうことにより、オートバイ位置が画面の右側の方に来てしまいました。

 写真のセオリーでは、画面の右に向かう動体が主被写体の場合、主被写体は中心よりすこし左に置いて、右側、これからその被写体が進んでいく方向を開けることで、そっちに進んでいくという「気分」が明るくなる、と言う場合もありそうです。でも長い編成の列車や電車だったとすると、これまた違う話だったりします。どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、こう写った理由がシャッタータイミングの、それもカメラの鈍重さによる遅れだと思っているがゆえに、なんだか気に食わなくなる。というわけで、こうあるべき写真に直してみました。下の写真がそれなんですけどね。直してみて思いました。なんだ・・・上のオリジナルの方が、なんか、いいんじゃないか?

 朝早く、このあと七里ガ浜の大きな、海に面した駐車場に行ったのですが、オートバイに乗って、中高年を中心とした主に男性のソロライダーの方が、何人もいらっしゃいました。広い駐車場なので、それでもぽつぽつと、ですが、十台かもっと。むかし、自分が二十代の頃には、250ccのオートバイに乗って、ここによく来たものでした。最初23歳ころから26歳頃まではスズキのGSX250T、そのあとホンダのGB250に乗り換えて、33歳くらいまでは持っていた。33歳のころに友人に譲り、以降は一度もオートバイに乗っていません。いまでも運転免許証には中型二輪に1(ゼロではなく1)マーク付いています。でも数年前になにか免許制度が変わって、排気量区分も変わったんだっけ?よく知りませんが。いまでもこの日曜日のような気持ちの良い日、それは五月と十月だけかもしれないのですが、気持ちの良い日にオートバイに乗っている人たちに出会うと、ちょっと乗ってみたくなりますね。むかしあったCB250RSって言ったかな、120Kgくらいの軽量で、単気筒で、シンプルな、いまの言い方だと「ネイキッド」な、オートバイがあればいいのにな。でも排ガス規制とやらで、そういう機種設定も難しいのだろうか。

 シャッターに時間遅れがあるとは言っても、たまに構図がなんとなく教科書的な写真も撮れないわけではないです。↓

顔とナンバープレートをガウスぼかしで潰しました。

 いずれにせよ、たいした写真じゃないですね。

 一つ前に読み終わったのが千早茜著「男ともだち」、いまは柴崎友香著「千の扉」です。そのあと十冊以上控えている・・・

無花果のあった庭

 1960年代から1970年代前半、わたしが2歳から12歳まで住んでいた神奈川県平塚市にあった家は、1920年代か30年代に建てられたんじゃないかと思われる平屋の木造二軒長屋で、今でいえば3Kの間取りでした。南側に廊下があり、庭に面してガラス戸と、その外側に木でできた雨戸がありました。真夏の暑い夜には、雨戸を締めず、窓も開けて風を通し、蚊帳のなかに敷いた布団で寝たものですが、それ以外の季節には、夕方になると、その雨戸を閉めていました。朝、順繰りに滑らせ寄せてきた雨戸を順番に戸袋に入れてしまいます。夕方になると、その戸袋から雨戸を引き出して、閉めていきます。雨戸には車輪?ホイール?なんだ・・・キャスターて言うのかな?そういうようなものはなく、ただ雨戸の底面と、その厚さより少し幅広の凹部からなる木のレールの上を、滑らせていただけでした。転がり摩擦ではなくて滑り摩擦ってやつです。滑りが悪くなると、滑り面を蝋燭でこすり、滑りを直しました。良く滑る雨戸は、思い切ってスライドさせると、しばらくすーっと動いていきました。

 その家は南にも東にも北にも、けっこう広い庭がありました。北東の端っこに無花果(いちじく)の木が二〜三本植わっていました。ところで、最初に書くべきだったかな、この家は父が勤めていた総合病院の職員の社宅で、庭の、草花はともかく、低木ではあったけれど、何本かあった木は、両親が2歳の私を連れて、父の転勤に伴い北陸から引っ越してきたときに、すでに植えられていたものです。

 無花果の木にはシロスジカミキリなどの数種類のカミキリムシが住み着いていて、木そのものが全部枯れるほどではなかったものの、カミキリムシが食い散らかし、枯れてしまっている枝も多く、だいぶ「ぼろぼろ」な感じでした。父も母もその木はほったらかしにしていました。葉をもぐと白い樹液が流れ出て、独特の甘いような匂いが漂います。花のことはなにも覚えていないのですが、実が成ったことは覚えてます。だけど、父も母も、その木で生る無花果の果実を食べてみようとは思ったこともなかったのでしょう。だから私もそれを食べてみようと思ったこともなかったですね。いや、私が知らないところで一度くらいは両親は食べてみたのかもしれませんね。もしそうだったのだとすると、きっと不味かったのでしょう。柿に渋柿があるように食べられたもんじゃない無花果があるのでしょうか。

 先日、スーパーマーケットに行ったら、無花果が売られていました。それでこんなことを思い出しました。最近は、ちょっと洒落たパン屋に行くと、無花果の使われているパンに出会うことがあります。無花果とクリームチーズのなんちゃら、とか。するとなんとなく買ってしまうことが多いのです。庭に生っていた無花果を食べたことがなかった、そのあとも積極的に無花果を食べることもないまま大人になったのに、最近は無花果という字を見ると、なーんか食べたくなる、すこしバイアスが掛かっています。それはここに書いたような子供の頃の記憶があるからでしょうかね。

 枇杷と柘榴と無花果、近所の友だちの家の庭や、小学校通学路の途中の家に成ってました。石榴の実は、誰かの家に植えられている木の実をつけた枝が、ブロック塀の上から市道の歩道まで伸びていたので、学校帰りに友だちと木切れを持ち、ジャンプして叩いて落としました。ひと粒かふた粒食べてみました。味のことは覚えてないです。そんな悪戯をしたことの方を覚えてます。

 上の写真は無花果とは関係ないですね。最近は雨がよく降って、水たまりも見かけます。だけどこの写真は水たまりではなく、いつも水のあるとある公園の池です。

 まるでそこに実景があるかのように、きれいな水鏡になった池や湖に回りの森の木々や向こうの山々や空が映ることがありますね。それをなるべく水面と同じ高さにカメラを置いて撮ると、写真の上半分の実景と、下半分の水鏡に映った景色が、シンメトリーのように見えます。これは今や定番になった風景写真の撮り方のひとつなのでしょうか。定番なんだからすなわち真似っこなんだから、やめた方がいい・・・と思ってしまうわけです、あまのじゃくとしては・・・

 まぁそんなことより、この写真の池に映った木々は、水面が少し汚れて濁っていたから?それとも底が浅くてその泥の色が混じるから?なんだかそれこそ古い退色したフイルム写真のように見えました。それがこの写真を撮った動機だったと思います。もしかすると庭に無花果のあった木造長屋に住んでいた頃のことは、もうこの写真に写した池の水面に映った木々のように退色した記憶になっています。

 そうだった。この手の写真は上下反対にすると面白いんだった(これも定番の手法)でも片隅に手前右にリアルな植物が写っているので、それが反対にするときには邪魔ですかね?定番的には。あるいは画面の真ん中から下半分には水面に落ちている日差しが白っぽくなってます。これは失敗というわけですね、定番的には。

 繰り返しますが、わたしには記憶を揺すぶられた光景です。

 

雨がやんだら

 夜のTVニュースをなんとなくつけっ放しにしていて知ったのですが、東京では21日連続の雨だそうです。しかも台風25号が今日発生し、数日後には関東直撃の可能性もあるようです。あまりに雨が降るので、これは一週間くらい前かな、ふと思い出したのが、椎名誠著「あめがやんだら」というタイトルの、長い雨が降り続ける街の悲惨さを描いたSF短編があったということでした。どこかに向かう電車のなかで読んだと思います。その小説を再度読んでみたくなり、アマゾンの中古で買ってみました。届いたのは昭和62年の発行で、昭和63年には早くも五刷り目となっている新潮文庫版で、定価320円。収録されている短編小説のタイトルは「いそしぎ」「うふ。うふうふ。」「巣走屋本店」「雨がやんだら」「生還」「歩く人」「シークがきた」「急行のりと3号」「栽培講座」の9編。今日、雨のなかを走る電車のなかで、さっそく、「雨がやんだら」を再読しました。途中で窓からこんな光景を撮りました。そのあと、どうせならほかの小説も読んでみようと思い「いそしぎ」から「巣走屋本店」まで読み終えました。するとなんとなく読んだことを微かに思い出す小説もありました。「巣走屋本店」はラストに繋がるクライマックス場面は覚えていなかったものの、書店で客に指名されるブックコンシェルジュがいる設定は覚えていました。わたしがこの本を最初に読んだのも1982年か1983年頃だったのでしょう。あの頃は椎名誠の本は次々と出版され、人気作家のひとりでしたね。だから新しい本が出ると、すぐに読んでいたので。会社で誰かが買った本、たとえば「さらば国分寺書店のオババ」が、回し読みされたりもしていました。「雨がやんだら」は数か月のあいだ、毎日雨が降りやまない街がだんだんと水に取り込まれていき、よく言う比喩を使ってしまえば、どこか遠くへ逃げる判断が遅れた家族には「真綿で首を絞められるように」危機が徐々に迫っていく、その日々を書き残してある少女の日記が、漂流物として、南のよく晴れた島に流れ着く、という物語。怖いです。とくに今読むと怖いです。実は、これも記憶なので、読み直さないとはっきりしないのですが、ブラッドベリの中編に「長い雨」という話があったと思います。SF作家が書いた物語が、いつかリアルに起きることは多々ありますね。

 ところで1983年、わたしは26歳でした。26歳に読んだ本の内容は、それから43年経って再読すると、あぁこれ読んだよなあ、と思うくらいには記憶されているんですねえ。そういう記憶が、もういまはぜんぜん残らない。なんなら同じ短編集の最後の一編を読んでいるときには、数日前に読んだ同じ本の一編目を覚えていない・・・。これは徐々にそうなったのか、ある時から急にそうなったのか、なんてますますわからないですね。

晴れた日に

 南関東では、ずっと雨が降り続いていた、昨日、9月が14日になってやっと晴れました。風が吹いている日で、海はすこし荒れていました。今日、9月15日は曇り。ときどき雨、ときどき晴れ。明日からはまたずっと雨の日になるようです。これが2026年の秋のはじまり。

 7月にテレビ放映されていたNHK夜ドラ「ミッドナイト・タクシー」(全32回)を録画しておきました。一回15分。あるときはいっぺんに三回分か四回分も、あるいは一週間かもっと、ひとつも進めず、それでも前回の話を忘れてしまうことはないように、視聴を続けて、今日になり最後まで見終わりました。深夜の東京、タクシーに乗ってくる乗客、タクシー運転手の象子(しょうこ)と乗客のやり取り、些細か壮大か?の定義なんかない個人の持つ思いが表出しまた静かに沈んでいく、不思議な話でした。象子の肝の据わった冷静さに惹かれました。象子自身の物語もそんなひとつに過ぎない。「過ぎない」と同時に、それが代えがたいアイデンティティになっている(という当たり前)。最後の方、弱いがゆえに、人と人が手をつなぐ、ということの意味を、あらためて。

 写真は江の島の稚児が淵のスナップです。波が荒れている日に、岩場のこんな先端に行くのは危ないですよ。ここから帰るのには、さっき降りた長い階段を、登らなければなりません。行きはよいよい帰りは怖い、です。