空には三日月

 川沿いの道、川と歩道を区切る歩道より高い壁があり、壁に寄せて停められた自転車はハンドルと荷物籠が壁より高い。そこに日が差してこんな影が出来ている。淡く淋しいと思うけれど、楽しく愉快でもある。こんなところにカメラを向けるのは一体どんな気分なんだ・・・自分のことなのにわからない。冬になると葉を落とした落葉樹の幹や枝の影が道路や建物の壁に揺らいでいる。そういう影を見ると写真を撮りたくなる。写真を撮るまたは撮った理由を考えたところでどうしようもない。言葉以前のところに理由があるのかもしれないから、文章に出来るようなところに答えはないんじゃないか。

 この川沿いの道にはむかしボウリング場があった。いまはマンションが建っている。長年ボウリング場の支配人だったAさんという人がいたとして、Aさんはプロ並みにボウリングが上手だ。Aさんはボウリング場の閉鎖の日まで務める。最後の客が帰り従業員に最後の挨拶をし、皆が帰宅したあと、支配人は一人でボウリング場最後の客となる・・・なんていう物語があったかもしれないが、多分なかった。でも、そういうことがあったと仮定して、支配人は一ゲームを一人、投げる。250点くらいを出した。そして、ボウリング場の配電盤のスイッチをオフにし、鍵を閉めた。もう二度とボウリングはしないと決めていて、もう長年勤めたボウリング場を振り返ることもなかった。その空には三日月が掛かっている。

 ま、妄想のカケラでした。曖昧な影の写真とともに浮かんだ話の断片。

 忘れていないけれど思い出せない

 12月が始まりました。今日から寒くなるとさかんに天気予報が告げるけれど、確かに昨日までと比べると冷えた朝だったが、それでも覚えている真冬の寒さと比べるとまだ暖かいようだ。通勤のために運転する自家用車は往路は日の出前で暗く、復路は日が沈んだあとでもう夜。赤信号で停められるときに何枚か写真を撮ってみたけれど、ここに載せるような写真ではなかった。だからまたHDDの中へ旅をする。12月になったから12月の写真を辿る。これは2010年10月4日、湘南モノレール西鎌倉駅から広町の森に向かう途中の住宅地。朝日を浴びて、電線が銀色に光っていた・・・と過去形で書くとそのときのことを覚えているみたいだけれど、実際はあまり覚えていない。でもちょっと綺麗な感じ。

 読書中は滝口悠生の「死んでいない者」。昼休みにいつもしゃべっている仲間が来る前に、少し読み進む。文庫のP125『(前略)思い出せないのなら思い出せないでもう構わない。そうやってたくさんのことを忘れてしまって思い出せないのだし、もはや忘れたことすら気づいていない記憶がたくさんある。忘れてはいないのだが、もう死ぬまで思い出せないのかもしれない記憶もあって、考えようによったら忘れるよりもその方が残酷だ。』こういうこと、私もよく考える。こんな風に古い写真を見て、そんな写真を撮ったことを写真を見ても思い出せない。写真の前後を見て、あぁこんなところを歩いた日があったな、と思い出せることが多いが、まるで思い出せないこともなくはない。そうなると写真だけが今新しく眼の前にあって、それは昔そこに自分が行き、自分が撮った写真(ということも忘れているというか判らないから)新しく旅をしているようなものだ。とかなんとか考える。文章にするとどう書くのかよくわからないが、そういう風に写真に出会うのも悪くないし、残酷とは思わない。むしろ楽しみだ。

 ジャズ喫茶の棚に並んだ数万枚のLPレコードがあったとして、でももう何十年もターンテーブルに載せられていないレコードがそのなかにあるんじゃないか?忘れてはいないのだが、もう死ぬまで思い出せないのかもしれない記憶、はそれに似ていないか?重要なのは思い出すことにつながる刺激、トリガーに出会えるかどうかだろう。忘れてはいないが思い出せない記憶は、忘れている記憶と同じことになりはしないか?ただそういう記憶が引き出されずに眠っているということを認識することで、それが残酷になるのだろう。

 滝口悠生の小説を読んでいると、保坂和志の小説を読んでいるときと同じような感覚を覚えることがある。

 

 

夜長を過ごす道具

 11月30日は「オートフォーカスカメラの日」だそう。1977年のこの日に小西六写真工業(のちのコニカ)からコニカC35AF(相性ジャスピンコニカ)が発売された。私は、その年の12月に、通っていた大学のある名古屋市の下宿から神奈川県の実家に帰る新幹線の車中で、カメラ雑誌、たぶんその頃いちばん頻繁に買っていたのはカメラ毎日(通称かめまい)だったから、その雑誌の記事だったんじゃないかな、このカメラのオートフォーカス機構の技術解説が載っていて、ずいぶん真剣に記事を読んだ。新幹線でジャスピンコニカのAFの技術記事を読んだ、ということを覚えているわけだが、なんでそんな一場面だけが夜空にひとつだけある暗い星のようにそこだけ、その断片だけを覚えているのだろうか。

 今日も在宅勤務。一歩も外に出なかった昨日と違って、近所のコンビニとテイクアウトのパスタ屋さんを往復した。部屋のカーテンを閉め、電子レンジで温めたフレッシュトマトと海老とホタテのペペロンチーノスパゲッティを食べながら、またもや(もう日課状態)古い「或る日」を探しにHDDの写真を眺めに行く。これは数年前の11月、群馬県館林市の駅近くの裏通り。男が一人歩いて行く。もうすぐ夜になりそうだ。両方の手にひとつづつ何かを入れた袋を持っている。晩秋の夜長に右手に持った弁当を電子レンジで温めて早々に食べてしまおう、それから左手に持った袋に入っているのは・・・なにか男はその左手に持った道具を使って、何かを作ったり直したりするんじゃないか。そうであるといいと写真を見ながら思った。

 最近、何かを作り出すための道具を買ったことがない。服や本や食べるもの、在宅勤務のために買ったパソコン用の小さなテーブルや椅子、通販で買ったマウントアダプターや中古のレンズ。まぁマウントアダプターやレンズは写真を「作り出す」ためのものでもあるけれど、届いた自室で長い夜に使うようなものじゃない。

 ずいぶん前、ジャンクカメラの籠のなかで1000円や1500円で買ってきたむかしのフイルムカメラ、それこそオートフォーカス機能が入る前の古いカメラを修理した。ほんの二台か三台でやめたけれど。それも自信があって、ここをこうしたから直った、というような修理を施せたわけではない。わけのわからないまま、外観のカバー部品を外していき、わけのわからないまま、どこかをつついたりねじったり、まぁせいぜい油を挿してファインダー光学系を清掃しているうちに、あれ動き出したな・・・という感じだった。それでもオリンパス35DCやECが直ったのでフイルムを入れて何本か写真を撮ることが出来た。そんなとき、会社帰りに半田と半田ごてを買って帰った。写真を見たせいかもしれないが、晩秋のある日だったと思いたい。いじっているうちに電線が半田箇所から外れてしまったので、それを直そうとしたのだが、どうも半田ごてのさきっぽがユラユラ揺れてうまく半田が所望の箇所に付いてくれない。それでそこが高温になっていることを忘れてしまい、親指と人差し指で半田の先を揺れないようにと挟んで抑えてしまったことがあった。もちろん熱くて瞬間的に指を離したのだけれど、あのときの火傷がどの程度だったのか、もう覚えてない。

 なにかそういうことやってみたいな。作ること直すこと、計画を作って、ひとりですこしづつ進めるようなこと。パソコンの前に座ってブログを更新しているのも楽しいけれど・・・プラモを作ろうとは思わないけれど、プラモを秋の夜長にすこしづつ制作を進めているようなことは、いいなと思う。

#2016年11月#館林

 

タッチダウン

 テレワーク。曇天のち雨予報、もう降っているのかな?屋外に一歩も出ず。仕事を終えて、ここに載せる写真を探しに、またもHDDにむかし撮った写真を眺めに行く。2010年の11月3日は良く晴れた日で、私はコンパクトデジタルカメラを持って神奈川県藤沢市を散歩していた。コンパクトデジカメの画素数は700万画素で、アスペクト比は3:2だった。上の写真を撮ったこと、この工場の前を歩いたこと、なにも覚えていなかった。たとえば今の私が編集者だとすれば、12年前の別の私が撮った、見たこともない写真を選んでいる。そういう感じがする。そして編集者は初めての写真を見て、なかなかいいね、と思ったりするから、だから私は楽天家だ。

 昨日は自家用車を運転し会社から帰宅するときに、ボブ・ジェームスの、1978年のアルバム、ジャケットに大きくラグビーボールの写真が使われている「タッチダウン」を聴いて来た。フュージョン全盛期の頃に、日本のバンドだとザ・スクエア松岡直也やネイティブ・サンを、海外ではスタッフやウェザー・リポートや、ずいぶん流行の音楽を聴いたものだったが、ボブ・ジェームスタッチダウンはリアルタイムには聴いていなかった。1990年代に茅ケ崎に遊びに来た高校時代の友人と茅ヶ崎駅の改札で待ち合わせて、当時、茅ケ崎海水浴場の近くにあった、ジャズ喫茶というよりもっと明るい、それこそ(そんな単語はないけれど)フュージョン喫茶に行って、しばらく近況報告や写真や映画についての情報を話していたが、その店のメニューの裏表紙だったか、あるいはコースターに、ボブ・ジェームスのこのアルバムのジャケット写真が使われていた。すると友人が「ボブ・ジェームスタッチダウンか・・・懐かしいな」と言った。彼がそう言ったことを覚えていて、でもそのときもそのあとも聴いていなかった。

 音楽理論的にフュージョンフュージョンに聞こえる理由はなんだろう?リズムに特徴があるのか、コード進行か、あるいは定番のメロディラインがあるのか、使われる楽器構成のせいか。ボブ・ジェームスが使っている楽器は詳細名は知らないが、いわゆるエレピ、エレクトリックピアノの音で、楽器の発展のなかで当時はこの音ばかりをよく聞いたように思う。それにしても70年代80年代のフュージョンを聴くと、いまでも陳腐には聞こえず、やたらひたすらカッコいいのだけれど、そう聴こえるのは私の世代だけで、後の世代の方には古い感じに聴こえるのかな。

 四年か五年前に、とある方に「70年代80年代のフュージョンのCDを持っていたら貸してくれ」と言われたのをきっかけに、一枚だけあらたに買ってみたのが、とうとう聴くことになった「タッチダウン」で、だからいまは持っていてこうして自家用車で聴くこともできる。だけど、はじめて聴くと思ったが、一曲目と二曲目は聞き覚えがあったので、当時あるいはその後に、いろいろな機会に聴いていたのだろう。CMとか?

 写真とは関係のない音楽の話でした。

 

稲村ケ崎の坂道

 写真は2019年の11月。鎌倉市藤沢市を海沿いを走って結ぶ江ノ電稲村ケ崎駅で電車を降りて、海に至る坂道を下る。伊豆半島の向こうに沈む夕日を見る人、撮る人。富士山と箱根山の稜線がシルエットになり、手前の江の島のてっぺんには展望台が光って見える。この写真に写っている海沿いの国道は国道134号線で、この信号を右折してしばらく進むと国道より左側、砂浜に張り出すようにして七里ガ浜の駐車場があり、左折するとすぐに稲村ケ崎だ。十代二十代・・・・いままで何十年にも亘り、年に五回か十回かに過ぎなくても、ずっとこのあたりに写真を撮りに通っている。いや、通うなんて意識はなくて、ただどこかに写真を撮りに行くときに高頻度で選ばれる場所なのだ。ずっとなにも変わらない気がする。信号を左折してすぐのところのバーは建物は同じまま、外観の色や店の名前や、すなわち経営者も出てくる料理も変わっただろう。でもそこにバーがあることが変わらなければ、あるいは建物が変わらなければ、変わったではなく変わらないということだと思える。でもあの店に入ったことは一度しかない。当時(2005年頃)、よくメールやBBS(!懐かしい)の書き込みでやり取りがあったY君と夜遅くに入ったその店で、薄く焼かれたシラスのピッツァを食べてビールを飲んだこと、そのときにビル・エバンスのムーン・ビームスが流れていたこと、なぜだか忘れずにいるものだ。

 あぁ、こんなことを書いていたら、近々に鎌倉を歩いてみたくなった。

ムーンビームス(SHM-CD)

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田園を歩く

 湘南地方はJR東海道線より海側(南側)はサーファーの方が多く住み、サーフショップやカフェも多く、なにより海と海岸の風景が湘南らしさを作っているが、藤沢市茅ケ崎市平塚市も、駅の北口の方に大きな商店街があり市役所も北口側にある。そして、商店街とその周りの住宅街を抜けると、住宅と田畑や工場がまだらにあるような街が広がっている。田園と呼ぶにはその領域がちょっと狭いような感覚もあるけれど、自宅からカメラを持って2時間ほど田園の写真を撮り歩く。家庭菜園と、農家の方の畑と田んぼとビニールハウスで出来ている。小さな田園とでも呼びましょうか。人ひとりが歩ける幅だけ地面が踏み固められていて、その両側は草が生えている川の土手道を歩いていると、立ち枯れた葦?のなかからチチチと小さな鳥の声が聞こえる。細い水の流れには鴨やバンが泳いでいて、そこにコサギゴイサギが降り立つ。同じ土手道から川の流れと反対側を見ると、そこからが小さな田園で、土手沿いの田園の周縁を成す道にはこうして葉を落とした落葉樹の影が曲線を織りなして複雑な模様の影を描いていた。11月の日曜日の午前は暖かい快晴の日だった。

 写真を撮るということは、最後は写真とうアウトプットを作りだすことで、そのために、構図を決めたり、露出を振ったり、ボケ味を絞りとシャッター速度を変えて作ったりする。撮るとは写真を作り出す行為だからそれに夢中になって遊べる。でも写真はこうしてブログに使う(最近は写真展もあまりやってないし、だから、ほかには滅多に使わない)だけで、二百枚か三百枚撮っても、一枚か二枚か、せいぜい数枚を選ぶだけだ。それでもまた撮りに行くのは、実は写真成果を欲するよりも、撮っている行為が楽しいってことなんですね。とくにこういう被写体をゆっくり拾い集めるような散歩カメラにおいては。なんていう当たり前のことをまた思った朝の散歩でした。

赤い実

 秋が深まり冬になっていくこの季節になると赤い実が生っている草や木をよく見かける。硬そうな小さな実が多いが、見た印象だから本当はどうなのかわからない。鈴なりになってものすごい数の実が生っているのを見つけると、驚くけれど、この写真の活けられた枝のように少ない実は儚いけれど、数が少ないことが却って艶やかで、美しい。写真は京都のどこかの道を歩いていて、どこかのショウウインドウに飾ってあった花瓶の赤い実の生る枝。

 赤い鳥小鳥という童謡は北原白秋の作詞。赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた。子供に「なんであの鳥は赤いの?」と聞かれて「なんでだろうねえ・・・赤い実ばっかり食べたのかもしれないねえ」と答え「おじさんの嘘つきー」と言われて、フクフクと笑っている、そんな感じ。白秋自身が笑っている感じ。これは童謡だけど、白秋のそんな思い出の一場面なんじゃないか?とか、なんの根拠もなく、勝手に想像してしまいました。

 干し柿が好きなのに、今年は干し柿を食べていないなと思い、先日駅ビルの食料品売り場に行ってみたら、三個入り600円で売っていたが、干し柿が妙につやつやしていて、粉を吹いたりところどころ硬くなっていたり黒くなっていたり、いかにもどこかに吊るして風と陽射しに当ててひとつひとつ作られたという感じがしない。なんだかなあ・・・と思って食べたら甘くない。地下にある無菌室で人工の光を当てて作られる野菜を思い浮かべてしまいました。お茶でも飲みましょう。