金次郎

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9月20日に30℃を越えて陽射しが強い月曜日(敬老の日)になり、残暑と言っていいのかわからないけど(残暑の定義を知らない)とにかく暑かった。いま調べてみたら残暑は8/7から9/8(白露)前後までの暑い日をそう呼ぶそうなので、今日はもう残暑ではないのですね。ではなに?ただ「9月も下旬に差し掛かるところなのに真夏のように暑い日」ということか。久しぶりに小田原の町をコンデジを持って散歩してみました。二宮金次郎小田原市(正確には足柄上郡栢山町でいまは小田原市)出身だからだろう、なんとなく二宮金次郎銅像などを見ることが少し多い気がします。宮小路と呼ばれるあたりの飲み屋街というのかもうちょっと怪しい感じの町だけど真昼間にはしんとしている。そのあたりをちょっと緊張しながら歩いてたら店の前に金次郎さんの銅像がありました。よく見るとホテイアオイの花が咲いていて、さらに写真の右の方にはサボテンの鉢が写っている。撮った時には銅像と花までは認識していたけれど帰宅して写真を見たらサボテンに気が付いて、なんだか面白いなと。下の写真は黄色いシャツの男性の後ろ姿が真ん中に。左の建物の影が作るギザギザ模様と、駐車場のスペースを示す白く区切られたギザギザ模様が両側からそれぞれせり出した真ん中を黄色いシャツの男性が歩いていて、黄色はシャツ以外にはほとんどない(唯一青い壁のところに黄色があるがこれはなんだろう?)。コーンの赤もあって、奥のコーン二つのあいだにちょうど黒猫が白い壁をバックに写っている。黒猫が写っているのはやはり撮ったときには気が付かず、帰宅して写真をPCモニターに映してみて気が付きました。

近くのコンビニで黄色い缶の「僕ビール君ビール」というのを買ってきて飲みましたが、缶に「ビアスタイル「セゾン」」とあって、残暑に続いてまたもや調べてみたらベルギーのビールで柑橘系の香りとスパイシーな香りが一体となったようなビールを言うらしい。セゾンてカードがあったこともありセゾンと聞くと、西武のことかとか漠然と思うけど、調べるとセゾンという流通のグループは2001年くらいに解散しているんですね。このビールの缶に書いてあることを読んで、西武系の仕掛けたビールか?などと思うのはもうある一定の年齢以上の人に限られるのだろうか・・・。ビールの缶には擬人化したような蛙のイラストが描かれている。これはまたなんで蛙なんだ。こういう擬人化した蛙の絵を見てしまうと村上春樹の短編「かえるくん東京を救う」をどうしても思い出してしまう。なにか関係あるんだろうか?これはよなよなエールを出している会社と同じ会社の商品らしい。1990年代かな地ビールブームがあって、それに対抗して大手ビールブランドもいろんなビールを出してきて、ちょっと面白かったなぁ。このあたりだと茅ケ崎の湘南ビールとか厚木のサンクトなんとかってビールとか伊豆の韮山あたりにも地ビール醸造所があったっけ?あと鎌倉ビールってのもあったけどあれの醸造所はどこだったんだ?というか皆いまもあるのかもしれないですね。このまえ辻堂駅の近くを歩いてたら小さなビール醸造をやっている、その場所ですぐに飲めるような店が新しく出来ていましたね。

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月がついてくる

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東海道線の下り電車のグリーン車二階、進行方向に向かって左側の窓側席に座って車窓から写真を撮ること。グリーン代金、休日だと距離によって800円か580円だか560円だか、撮影場所代と思えばよい、というか納得できるというのか腑に落ちる・・・ちょっと違うか・・・(笑)だいぶ暗くなるのが早くなったけど秋分の日の頃だから、一番日が長かった6月下旬と一番暗くなるのが早い12月のまだちょうど真ん中あたりなんだな。レイ・ブラッドベリの短編集に「十月は黄昏の国」というのがありますが、原題はもっと単純に「ザ・オクトーバー・カントリー」なのでこういうのは翻訳した方の手腕というか名訳だと思いますね。日本人的な感性で原題や中身をうまく伝えることを踏み込み過ぎずに実現しているんじゃないか。最近でいえば、映画のタイトルの日本語置き換えにおいて、ちょうど良いのや踏み込み過ぎや、ときに全然ちゃうやん、みたいなこともあるのかしら、具体的な例示は出来ないけど。日の沈む時間でも上る時間でもその一日あたりの時間変化が一番大きい、すなわち横軸に日をとって、縦軸に日没または日昇時刻をとって、そのグラフの傾きイコール微分値がいちばん大きくなっているのが春分秋分の頃だろうから、その差が感じやすく、とくに冬に向かう今頃から十月にかけてを「黄昏の国」というちょっと哀しみを含んだ言葉のように感じるのは、当然なんだろう。そしてそういう日が暮れるのが早くなったなあ・・・なんて感じているときにふとそこにこれはたぶん十三夜くらい?の月が昇ったばかりで大きく見えるとちょっとおっ!と感じる。なんでおっ!と感じるのか?いずれにせよ中秋の名月がいちばん月を愛でる日として残っているというか認識されているわけで秋と月は相性が良いのだろう。でも車窓から見る月はビルの隙間に見え隠れしてなかなか写真に撮れない。標準~望遠にしてもぶれてしまうだろうから、こうしてワイドで橋梁を走っているときに撮ったコマだけにちゃんと写っていました。上の写真は最近横浜から海老名の方に行く相模鉄道が横浜から先、どこまで?湘南新宿ラインの線路に乗り入れて、渋谷とか池袋通って、その先のどこかまで、最近でもないかなここ一年か二年、そういう乗り入れが始まって、わたしは使ったことがないけれど、その車両と思います。並走している紺色の電車。月は東に登り、すなわちこの写真の反対側に日が沈んだばかりで、車両は西の空の残照を映している。ブログの解像度ではわからないけど乗客も(もちろん顔認識できるほどではないが)座っているのが写っている。きっと撮り鉄的にはこんな車両の先頭も入ってないような写真は碌なもんじゃないんだろうけれど、自分としてはいいんじゃないか?これ、と思い載せました。下の写真はくるりが「赤い電車」で歌っている京急線の電車が多摩川鉄橋を渡っているところ。ちょうど赤い電車が来た偶然。人の目の感覚だと月だけはこの三倍とか五倍の大きさの印象で見ているがこんなものです。この三棟のマンションは私のなかではちょっと多摩川のランドマークのようになっている。以前はここにコロンビアの工場があって音符のネオンサインがあった。この写真にその工場とネオンサインがあるとそっちの方が十月(まだ九月だけどね)は黄昏の国って感じかもしれない。でもデジカメがまだ現れていないネオンサインがあった頃には車中からこんな写真をちゃちゃっと撮ることはフイルムのISO感度やカメラの機能からしても難しいことだったろう。月はいつまでも付いてくる。この先、東海道線が南東向きから西向きに変わって行ってとうとう車窓から見るのは困難になった。

下の写真、河川敷にキャッチボールをしている親子とか電車に手を振る子供たちとかがいるともっとキャッチーでフォトジェニックな写真になってしまう。そうでなくて良かったな。だって黄昏の国じゃなくなるから、なんてのはシニカルな感想か。

黄昏の国・・・人恋しくなる季節ですからコロナが終息して宣言が解除されることを期待したいですねえ。

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15年くらいまえによく撮っていた6×6

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2005年前後に生家のあった辺りをアルバムに貼られていた写真をたよりに行ってみたという話は数回前のブログに書いた通りで、生家かもしれない家も見つけたけれど、そこで過ごした記憶がひとつもないので(1歳までしか住んでいなかったはず)懐かしさのようなことはなにも感じなかった。その日は東舞鶴駅でレンタサイクルを借りて、生家のあったあたりまで行ってみたのだが、その途中にあった自衛隊の学校?基地?の運動場がこの写真です。フイルムはフイルムスキャン機能があったフラットベッドスキャナーで読んだのだが、やはりフイルム面についていたゴミが写ってしまってますね。左よりの空のところなど。フォトショできれいにすればよいのだが・・・まぁいいか・・・

2005年前後には借りたニューマミヤ6か友人に譲ってもらって使っていたミノルタオートコードのどちらかのカメラにネガカラーフイルムを入れて写真を撮っていた。人が撮る写真はその人の「らしさ」が出るからカメラを変えても変わらない「らしさ」がある、というのも本当だが、一方でカメラが変わると撮るものが変わるのも事実だと思う。こんなのはよくよく考えると当然ですね。ある一人の男(でも女でも)があるカメラを使って撮った写真、その男(でも女でも)が別のカメラを使って撮った写真は、写真の群としてみればカメラの差による違いが現れるが、でもその男とは違う別の男(でも女でも)が同じ風に二台のカメラで撮った写真と比べれば、やはりその男たる「らしさ」が両方の写真の群に共通に出ているものだろう。当時6×6で自分が撮っていた写真は少なくともいまのデジカメよりはじっくりと構えて時間を掛けて撮ることを必要とする分、瞬間の動きを止めた(数秒~数百分の一秒のあいだに状況がどんどん変化する場面である一瞬を止めた)写真というよりもっと動きのない(数秒~数百分の一秒だとなにも変わらない)写真が多いから、そういう意味ではカメラによって撮る写真の中心位置みたいなことは変わっているけれど、どこを撮ろうという見方の大枠は変わっていないんじゃないか。

昨日のブログにも書いたように「湘南」で撮った写真を集めた写真集を作って、一昨日に三冊だけ発注した。そのあとに、どうせなら2005年前後に6×6のネガで撮った写真も同様にまとめておこうと思った。それで古いHDDをパソコンにつなげて起動させてそのファイルを探してみる。けっこうな本数が撮ってあったので、そこから「一次セレクト」として150枚くらいを選んだ。母数はどうだろうその三倍くらいに過ぎないかな・・・なにしろ一本のフイルムで12枚だっけ、それしか撮れないので、石川直樹がテレビで言っていた「枚数が撮れないぶん一枚に集中して入魂して撮る」といったようなことはよくわかる。たしかにそういう感じで撮っていました。マニュアルの中版カメラということ自体で、撮るための準備とかピント合わせに慎重になるとか、いろいろ面倒で、なのでそんなこと(入魂とか・・・)をその撮る現場で考えなくても、いやおうなく集中するように、そう仕向けられているとも言えますね。ところがそうやって今朝、セレクトした150枚の入ったフォルダーをあらたに作ったあとに気が付いたのだが、以前京都の同時代ギャラリーで仲間とグループ展をやったときにこの頃の6×6を展示したとき、事前審査というのが一応、形ばかり?あって、そのときにも同様にこの頃のネガフイルムからのセレクト作業をしていたわけで、そのときのセレクトした写真(画像データ)がまとめてあるフォルダーが見つかった。それで本当に驚いてしまったのだが、たぶん十年くらい前に同時代ギャラリーで写真展をやるためにセレクトした写真と本日そんなことはすっかり忘れてセレクトした写真が、ほぼ完全一致していて、すなわち、あの頃(十年くらい前)に自分が写真を選ぶ基準といま写真を選ぶ基準がほとんどなにも変化していないという事実を知ってしまいました。変わらずに確固たる基準があるからすごい、ということではなく、ぜんぜん変わっていない、ということに少しがっかりしたのでありました。

朝早くちょっと隣のコンビニエンスストアに行こうと外に出たら、雨男の神髄発揮!でちょうどその瞬間から雨が降り始めた。今朝のことです。9/18の。そのときに雨粒が乾いた土をたたいたせいで少し土臭さが匂った。この匂い、小学生の頃に好きだったな、と思い出す。校庭に通り雨が来たり、あめでなくても風が吹き抜けて校庭の砂というか土が舞い上がって・・・そういう強い風や雨の日って、少年の心としてなにかザワザワとした、どちらかというと内向きでなく外向きな、旅に出たいと思うような気持ちを(そういう「旅」みたいに、自分でその気持ちを言葉に置き換えてはなかった(出来なかった)けれど)覚えていた、それが今となって土の匂いに連動して思い出される・・・のかな?小学校の給食室から第二校舎の方に行くには渡り廊下が少し下り坂になっていてそこが風の通り道でよく土の匂いがしたものです。そんなことはよく覚えている。覚えているというより覚えてしまってある(いるじゃなくてある)、って感じですかね。

 

What's New?

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三回くらい前のブログに少し書いたようにここ五年か十年くらい前まで私が住んでいる茅ケ崎市もある相模湾に面した葉山町から大磯町のあいだにある市や町で撮った写真から百数十枚を選んでネット写真集を一冊作っておこうと思って作業をここ数日進めてきて、本日金曜日にほぼ完成したので発注しました。一冊3600円だったかな、204ページ、そのサービスの最大枚数を目いっぱい使って。発注前に最後に入れた文章をさんざんチェックしたのに、その後にもう一度読んだら、脱字が一つ見つかりちょっとがっかりしました。この写真は今年の梅の頃に鎌倉で撮ったまだオープン前のカフェの店内がガラス越しに見えた光景。このブログに使ったか使ってないか、ほんの半年くらい前のことなのによく覚えてないんだけど、たぶん使っていないと思います。上記の撮影エリアは「湘南」と言われるところだけど「湘南」という単語から連想するイメージってひとそれぞれかもしれないけど、ある一定量の固定されたイメージが多くの人に共通にあって、だからタイトルに「湘南」なんて使いたくない。湘南四季折々なんて花鳥風月をきれいに撮る写真家が使うべきタイトルだし、湘南の風はもはやガテン系っぽい熱いお兄さんの感じだし、湘南ボーイならぬ湘南坊やはちょっとすかしていていやな奴っぽい。あ、誰も「湘南坊や」なんて思いつかないか・・・湘南ボーイか・・・

写真集や写真展の作品タイトルを決めるときはささっと決まることもあり、ささっと決まる方がしっくりくるのだが、なかなか決まらないと迷走状態になってしまう。過去私の個展で「流星」というのはささっと決まったが、「LAST LULLABY」とか「TRAVIS LINE」とかは迷走の結果だ。ほかには「LONG TONE PRACTICE」なんかはささっと決まった方だ。ニセアカシアに掲載した作品も「音のない天気雨」なんかはささっと決まり「かさぶたと目薬」は迷って最後に差し替えたタイトルだったか元のタイトル候補が何だったかは忘れてしまった。

それで今回のタイトルは「What's New?」です。大したタイトルではない。もっといいのがあるだろうに思い浮かばない。ジャズのスタンダード曲の題名とおんなじで、日々のあいさつの一種で「どう最近?なんかあった?」みたいに使うらしい。じゃぁこの際写真集のタイトルを「どう最近?」にすればいいのにかっこつけて英語にしてしまうのが世代的にダサいのかもしれない。写真集を作るといっても一応予備的に一冊ではないでしょう・・・ということで三冊だけ発注しました。ラストセール割引中だけどたった三冊で一万円を越えちゃうわけです。

 

部屋の北側の窓を数週間前までは開けて、気温によって全開だったり細めだったりだけど、開けて寝ていたが、もうここのところはほぼ閉めています。閉める前に、夜、外の音を聞くとコオロギの声がもうだいぶ少ない。朝は朝で初夏にはあんなに聞こえていた鳥の声がほとんど聞こえなくなって、ベースに暗騒音として流れているような町の音、マンションのなにかの機械のモーターの音とかそういうのが交じり合ってたぶん耳に通奏的に聞こえているんじゃないか、そういう音の上にときどきバス通りを走っていく車の音がするだけだ。出勤のために5:20頃に家を自家用車で出発すると、日の出直前な感じで、新湘南バイパスから国道一号線の藤沢バイパスの途中くらいまで真正面に太陽が昇ってくる。ここのところ天気が悪かったから眩しくなかったが、今日は久々にまぶしくて苦労しました。眼鏡の上からかぶせるサングラスをあわてて掛けました。ラジオでは相変わらず今日は何の日をやっている。数日前に昭和20年代前半?に関東にカスリーンだかカスリーヌだかカトリーヌだったかな、調べればすぐわかるんだけどまぁいいや・・・そういう名前の台風がやってきて、甚大な被害が出たということが今日は何の日で紹介されていたが、それで私の母が前橋市に住んでいて台風の日、利根川に家ごと流されていく友達がいて必死に手を振ったことがあった、なんて話をしていたのを思い出した。子供の私にはそれはスリリングな冒険の始まりのように感じたのだが、いま思えば当然悲惨な災害であって、母の友達はもしかしたら亡くなったのかもしれない。私が五歳か六歳のころに、私の夏休みの期間の数日、母が実家に帰る用事があるとかで不在になったときに、すなわち1960年代前半のことですが、その時点で60年配のおばあさんがお手伝いというのかちょっと家にいてくれた(夕方に父が仕事から戻ると帰って行った)。その人は倒れる家から間一髪外に逃げ出して助かったという関東大震災の話をしてくれて、それも子供にはちょっとワクワクした冒険譚のように聞こえてしまっていた。ラジオを聞きながらそんなことを思い出した。

銭湯

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写真は昨日のウォーキングで久々に行ってみた(なかには入らないけれど)辻堂にある銭湯です。

もう二十~二十五年前、すでに世の中には銭湯が少なくなっていて、それでも神奈川県茅ケ崎市の自宅からだと、気が付いてかつ入湯しに行ってみた銭湯が、茅ケ崎に二軒、平塚に三軒あった。たしか鎌倉の御成通り商店街にも一軒の銭湯があったし、会社の最寄り駅(都内の東急某線)から会社に向かう途中にも一軒。いまから思うとまだまだ銭湯はたくさんあった。それでおたぶん全盛期の五分の一とか十分の一に減っていたのだろう。それからまた二十年以上経って、上に書いた銭湯はたぶん全部なくなって、駐車場とかアパートとかがその土地に出来た。茅ケ崎に二軒は数年前までは営業していたのだが。茅ケ崎にしても平塚にしても鎌倉にしても、もちろん私が知らないだけでまだ営業している銭湯があるのかもしれない。

ちょうどその二十年かもう少し手前の十~十五年前かもしれないけど、インターネット2.0だったかウェブ2.0だったか、2.0の前がなんという単語だったかよく覚えてないけれど、そういう言葉が現れて、そのなかにロングテールという言葉があり、流通量が少ないものもネット上なら流通出来るし手に入れることも簡単になり、もう大量生産だけでなく多品種少量も生き残れる可能性があることが書かれていた。けれど銭湯はネット注文して配達できないからロングテールの尾の方にあって生き残ることも難しいだろう。ただ需要供給のバランスがどこかで成り立てば、最後に生き残った数少ない銭湯はこのあと残れるのかもしれないですね。

こう書いていたら、赤瀬川原平さんが作家になったときの名前尾辻克彦が書いた短編「お湯の音」は銭湯の配達の話だったから、考えてみればすごい発想力だったんだな。

と話が脱線しましたが、辻堂の銭湯は健在でした!ちょうど14:50頃にこの前を通ったら15:00開店を待つ一番湯の客が三人か四人、入り口前で待っていました。そのあと十分くらいしてまた銭湯の前に行ったら、もう開店したらしく待っている人たちはもう中に入っていなくなり、こうして写真を撮りました。いい風情です。この松の木は年々、右に傾いて行っている気がしないでもないです。支えを一本入れたほうがいいんじゃないだろうか?などと常連客でもなんでもないのにそんなことを思ったりしました。

本日の日曜日は曇りときどき雨。二つ前のブログに書いたようにフォトブックを作るための写真の選択と並び順の検討を朝から晩までずーっとやっていました。

テレビでは養老先生とベニシアさんの番組(それぞれ違う番組)が流れていましたが、愛猫まるを亡くした養老先生と、視力が厳しくなってきたベニシアさんと、お二人とも当たり前だけれどそれぞれの番組が始まったころの元気な感じからだんだんとお年を召されて、衰えていくのが気になるのだった。それと同時に人というのは個だけではなく属している仲間や社会の中にあることで個が維持されているってことも番組を観ていると感じます。

 

緑の蜜柑

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土曜日、たくさん歩きました。藤沢駅から辻堂駅まで歩く途中に道に面した一般住宅の玄関先にこの緑の実がだいぶ大きくなった蜜柑の木を見つけた。このとき気温は久しぶりの日差しもあったからか体感的には30℃を優に超えて、汗がだらだら流れていた。そういうこの現場で見た蜜柑の木がとても輝いてかつ立体感を持って美しく見えた。でも写真にはその美しさがあまりちゃんと写らなかったな・・・。コンデジで撮ったからだろうか?

長久保公園の真ん中にユーカリの樹があって、あまり手入れされていない、だけどある程度はもちろん手入れされているハーブ園が好きだったのだが、行ってみたら樹はなくなっていて敷地内も新しいレイアウトに沿ってタイル風張りの区分けの小路なんかも出来ていて、簡単に言えばこざっぱりとしてしまい、ちょっと残念至極だったな。

どこの駅だろう

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東海道線の進行方向に向かって左側の窓から後ろに飛び去って行く風景を、一応なにか気になる被写体を一瞬で見極めてはシャッターを押して、でもその場でその写りがどうだったかなんていちいち拘泥している時間はないから、すぐにまた次のシャッターに備えて車窓から外を睨んでいる。なので例えば30分電車に乗っているだけで多いときには100枚を優に超える写真を撮るから、どこをどう撮ったかなんてすぐに忘れてしまい、なので後日になり写真を見るときにはそれはもう、後ろに飛び去って行った風景を見ていたときと同様に初めて見るようなものなのだ。この写真は自転車に乗ったおじさんが一瞬見えてそれが理由でシャッターを押したと思うのだが、すぐに手前に柱とかフェンスが風景を遮ったからなにも写っていないと思ったのをかすかに覚えているが、偶然というかこうして写っていた。それでその写真をしげしげと見ると、写真の右端の家というか店舗にはゴリラの人形が壁に張り付いている。クリーニング屋の古い看板は錆びているが向こうに新しい看板が見える。駅の改札に続くらしい階段はずいぶんとその「幅」が広い。朝晩の通勤時間にはけっこうな人数の乗降客がいるのだろうか。一体どこの駅なのだろう?

いままでほんの四冊か五冊だけど、一冊1000円から分厚くても数千円でフォトブックが作れる某社のフォトブックサービスが9月で終了となるそうで、ラストセールをやっていることに気が付いたので、茅ケ崎や平塚や藤沢や鎌倉や大磯や逗子や、いわゆる世の中で「湘南」と呼ばれる場所で十年くらいのあいだに撮った大量の写真から百五十枚くらいを選んでフォトブックを作ろうかなと思いついた。そこで写真のセレクトを加速する(というのも数年前から漠然とそういうことをやってみようと思っていたので少しだけセレクト作業は始めていたのです)。

グーグルストリートマップからある一場面を選ぶことと、自分が撮ったとはいえもうずっと見ないでなにを撮ったのか、こんなの撮ったのか!すっかり忘れている写真からある写真を選ぶことは、選ぶという段階の行為において何も違いがない。

前週比60%くらいでコロナ陽性者数が減り始めました。どうしてこんなに急に減るんだろう、とも思うが・・・。きっと感染を拡げるスプレッダーとか言うんでしたっけ、そういう行動(マスクをせず手も洗わず大声で話して密になることをいとわない)をする人がいままで100人中5人いたとして、その5人が3人になって、2人がちょっと気にし始めた・・・・これで60%(5から3)だから世の中全体の残り95人とか97人とかの「ほぼほぼちゃんと行動している人」には行動の差が大差なく感じるけれど(なにしろ95:97なんだから差がわからない)きっとそういうことなんじゃないか?とか思ったりするがこんなのはなんの裏付けもない類推でございます。

レッド・ガーランドのニアネス・オブ・ユーのCDを含む7枚のアルバムを3枚のCDに突っ込んで安価に売っているボックスを通販で買いました。