こんな感じの写真がよくアルバムに貼ってあった

 またもや思い出話ですが、昭和の頃の、それも1960年代ころまでは家族の記録やスナップはまだモノクロ写真で撮られているのが主流でした。たぶん64年の東京五輪の頃にカラーフィルムが出はじめて、70年の万博の頃から一気に広まって、70年代の後半にはよしだたくろうが「色っぽいということはええことなんよ、ええことはすすんでやってみるもんよ、天然色写真を撮ってみんしゃい、ぼくらはもともと色っぽいはずよ、HAVE A NICE DAY FUJICOLOR」(歌詞はあらためて調べずにわたしの記憶に頼って書いているのでだいぶ違うかも)と歌うCMソングがテレビからお茶の間(!いまは居間とかリビングとか言うのだろう)に繰り返し流れていたから、ネガカラーフィルムはこの頃に右肩上がりで販売量が増えていたんじゃないだろうか?という「歴史」があって、それゆえ、ボール紙を両面ともにちょっと上質にした写真台紙がリングで綴じられ、大層な厚手の表紙を持った「写真用アルバム」に、やはり富士フイルムなどが発売していた写真糊(写真用ボンドって言ってたかも)で、街のDPE店で引き伸ばした名刺判とかサービス版、あるいは手札版、もっと大きいとキャビネ版、に焼いた写真を貼って作られていた家族の記録アルバムをめくると、70年代頃を境にそれ以前はモノクロ主流、それ以降は速やかにカラーばかり、になっていったはず。そして、上の写真は、昨日のブログでも書いた通り1959年発売の標準レンズが結像した像だから、デジタルカメラで撮ってパソコン等のモニターで見ているという大きな違いはあるものの、ピント面に結んだ結像は当時と変わらない像であり、それゆえ、この写真をパソコンモニター上とは言え、見ていると、あぁそうそう!60年代のアルバムにはこういう写真が貼ってあったなぁ、白縁のあるプリントでフェロ掛けにより滑面に仕上げてあった、アルバムを何度も捲っているうちにいつのまにか写真の角が折れ曲がったりしていた。そしてこういう写真は家族が並んで立って笑顔を浮かべていたり、主に子供たちが遊んでいるところをスナップした家族が写っている写真のあいだに、ふと差し込まれて貼られていたなぁ、と思いました。

 当時は今と違って家族の中で男親はおかずを一品多く食べられるといった優位な位置にいて、女親は内助の功で家事にいそしみ子供を育てる、ということがもう生まれたときからそういうものだと洗脳されていて当たり前だった。すいません、私だってそういう常識を当たり前と思って生きてきた。虎子さんの朝ドラを見ているとそこに風穴を開けて行くことがいかに困難だったかわかりますね。そしてその洗脳からの解放が2024年になってもまだ、例えば欧米諸国よりずっと遅れていて、結局いまは経済的には共働きが必須な時代になっているのに、家事は女性がやるものといった、ずっと以前から自動的に植え付けらえた常識のような考え方が消えきってはいないのでしょう。もしかすると地域のいろんな背景によっては、そんなこといきなり出来ないというような社会構造もあるかもしれない。だからいきなり会社のなかの女性管理職の%を上げろとか女性議員が少ないと言っても、それは、過去5年10年20年の意識改革の結果の今なんだから、それを喫緊の早急に解決すべき目標にするのは無理がある気がします。まずこの洗脳されてきた、そしてそれでも当時はちゃんと幸せな家族と社会がある程度回っていたその常識を変えるところから始めないと本質は変わらない。たぶん少子化もそこから変わらないと止まらない。これ、ポッドキャスト番組「オーバー・ザ・サン」をここ数年聞いて来たうちに学んだというかやっと気が付いたようなことなんです。

 と話が急にとんだ感じがありましたが、当時、1960年代、糊を使って写真をアルバムに貼っていた、そのレイアウトに個人の美意識の差が現れたり、手書きの万年筆の字で写真にちょっとしたメモが添えられていた、そんな時代の家族写真は、これまたほとんどの場合は男親が撮っていたんじゃないか、と思うわけです。そういう当時のお父さんたちは、それはそれで高度成長期の、いまほど個人が保護されないいまの基準から言えばハラスメントだらけの会社のなかで必死に働いていました。これはこれですごいことだ。彼らが国の発展、戦後復興を担ってがんばってきました。そういうお父さんが、休日に家族とハレの日を過ごす、その時間のなかで、ふと目を留めた風景/光景が、家族スナップに混じって家族のいない写真が、36枚撮りのフイルムのなかに一枚か二枚かせいぜい三枚残されている。それがこんな写真ではなかったかな?とふと思ったわけです。

 夏の薔薇です。五月連休の頃にこの薔薇園は多くの人でごったがえします。いまは夏になり薔薇園にはほとんど人がいません。それでも薔薇の花は五月連休ほどたくさんの花が、綺麗で大きな花が、たくさん咲き誇っているわけではないです。でも咲いているんですよね、真夏の薔薇園には薔薇の花が。五月の薔薇園は手入れもされているのか、もう盛りを過ぎた枯れつつあるあるいは枯れた花はありませんでしたが、いまは手入れもそれほどされていないのか一つの株には蕾もあれば見ごろもあれば枯れた花もあります。それが自然ということですね。