2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

宵の口、一廻りした街歩き

夏はいつからこんなに暑くなってしまったのか。朝早く、まだ気温が30℃になる前に出勤し、日が暮れて少しは気温が下がったかなと思える頃まで、冷房の効いた会社に居続けてから、さて帰るか……とバッグを肩にぶら下げて、エレベーターに乗ると、エレベーター内…

移ろっていく人生

三郎がいたから歩がああいう人になって、だから私も歩のことを好きになって、そうやって元のところに留まらないで、次々動いて移動していくようなものなんだな、人が生きるということは、と今はそんなふうに考えています。では私は最近そういう生き方とか、…

子供自転車と言えども力強い

ウィリアム・エグルストン写真集「ウィリアム・エグルストンズ・ガイド」の表紙および80ページ目のメンフィスの三輪車を下から見上げたような写真。赤いハンドルグリップ、錆びたハンドル緑のフレームとサドル、黒く太いタイヤ、白いタイヤフレーム。三輪車…

夏の思い出を話すのはちょっとダサい

写真は一昨日行ったリヒター展です。 今日、早くも関東地方は梅雨明け宣言が出た。それこそ一昨日のこのブログに真夏のように暑く晴れ渡った日だけれど、きっとまだ梅雨前線は南にあって、梅雨明け後の真夏の日とは気象図から見ると違うんだろう、なんてこと…

金魚がいて、ペーパーバックライターが流れている

日曜日。この文章を書いているパソコン机のすぐ横の本棚に写真集が何冊も並んでいて、そこからひょいと一冊を取り出し、久しぶりに捲った写真集をネタにこのブログになにか書いたことは、最近だけでも二~三回あった。武田泰淳と武田百合子の娘の木村伊兵衛…

梅雨の中休みの真夏のような日にリヒター展に行く

東京国立近代美術館は竹橋にある。目の前を皇居周回を走っているランナーが通る場所だ。東京駅丸の内地下道を辿って大手町の地下鉄駅まで歩き、一駅だけ地下鉄に乗る。竹橋には毎日新聞社のビルとして認識されているパレスサイドビル(竣工1966)があり、ま…

木の中の秘密基地に関する想像

会社からの帰り道、車を運転して都内の片側二車線の幹線道路を北上している。ポッドキャスト番組を流しながら、青を三回通り抜けて、次は赤信号で停められる、そんな感じの繰り返しで進む。車が停まる位置は選べない。停まった前の車にあるべき車間距離を置…

通り過ぎる荒野

23日木曜日、仕事仲間四人で日本酒&魚料理の居酒屋で19:00から22:10まで飲み会。ここひと月くらいで四人までの飲み会がぽつぽつと復活してきた、良きこと。 飲み会の前に少し時間があったので駅ビルの書店に行ってみたら閉店のお知らせが出ていた。文庫本コ…

蝋燭の光

写真は京都六角堂です。 蝋燭・・・誰かの誕生日に蝋燭を立てて、ハッピィバースデイの歌を歌ってから、ふぅーって息を吹いて火を消す、という定番の行為も、もう私はここのところ、そんなことをする機会に参加することもない。ところでそんな誕生日の習慣の…

梅雨の東京のありふれた朝

昨日の月曜日、会社の最寄りの私鉄の小さな駅を降りて、駅前のセブンイレブンで会社に着いたら食べる朝食用にと、白飯に目玉焼きと刻んだ叉焼を掛けて食べる一膳飯と、昼に食べる海老かつサンドイッチ、それから少し迷ったあとに野菜ジュース一パックを買う…

木々は黒くうねりつづけ

昨日のブログに勿忘草のことを書いてアップしたあとに、レベッカ解散後のシンガーNOKKOが、平仮名ののっこ名義で出した「わすれな草」という佳曲があったことを思い出して、久しぶりにその曲の収録されている「ベダンダの岸辺」を流しています。このアルバム…

わすれなぐさ色の富士

青富士という単語があるものなのか?と例によってちゃちゃっとスマホで調べたら、どうやらあるらしく、しかもよく使われていると書いてあるサイトもあった。6月17日に新幹線の車窓から撮った富士山はくすんだ水色とでも言うのだろうか。日本の色の名前はたく…

踏切を走って渡る理由

深夜の踏切。電車が通り過ぎ、遮断器が上がった途端に、大股で走り始めた。終電に間に合うために大急ぎで走っているのかもしれないが、もっと別の理由があるのかもしれない。誰かを助けに行く、誰かを迎えに行く・・・深夜に急いでいる人は、自分もしくは誰…

ケネディ暗殺ニュースはAMラジオで聞いた。

小学生高学年の頃に京都や奈良や鎌倉のお寺巡りや仏像見物が好きだった。その頃に見た夢でよく覚えているのは、法隆寺まで一人で旅をするのだが、やっとたどり着いたその時に、閉門時刻となり、小学校とおんなじ終業のチャイム、それはたとえばドボルザーク…

むかし、二輪の教習所で転倒した

明日の朝一番の新幹線に乗るために、都内のビジネスホテルに泊まることにした。28階のシングルルームのベッドのヘッドボードに寄り掛かりながらスマホの画面を見ている。近くのJR京浜東北線が走っていく音が聞こえる。踏切のカンカンカンという音も聞こえる…

あの日は風が強い日だった

写真を見直していると、風が強く吹いていた日があったことがわかる。街路樹が表よりも白っぽい葉の裏側を明るく見せながら大きくしなっていると、カメラを向けたくなる。そういう写真は実際にそこに立って、木を見ていたときほどには風が写っていない。あぁ…

南極の氷から に書かれていることの検証

1977年に私が書いた「南極の氷から」と題した文章を、若気の至りで、あまりに稚拙に思えた部分は加筆修正して昨日のブログにアップしました。この文章の中ではポール・サイモンのアルバムが流れている。1977年の春のプロ野球が始まった日のことで、その文章…

1977年、ノートに書いてあった南極の氷のこと

写真は昨日、大船フラワーセンターで撮ったユリの花の写真。単純にとてもきれいでした。 という話はさておき、むかしむかし、学生時代に書いた文章が出て来たので一部修正してからここに載せておきます。こんなふうなショートショート風の文章が23篇綴じられ…

大船フラワーセンターのヤマアジサイ

とある書店の漫画コーナーで表紙を表にして置かれていた高妍という台湾の方の「緑の歌」という上下2巻の漫画を買った。今朝も5時前に目覚めたのでベッドの上に折り畳みの座椅子を置き、そこに座って読み始めた。途中、昨晩駅ビルの惣菜売場で買って食べきれ…

模型のような実景

湘南新宿ラインの車窓から撮った五反田あたりの交差点。たまたま通過した瞬間、こんな風景が写りました。なにがそう見せるのかわからないけれど、この歩いている人たちが、時間が凍結されてこの身体の姿勢のままここに固定されているように感じてしまった。…

中華街からの帰り道

久しぶりに横浜中華街で夕食を食べた。コロナ前には年に一度くらいは行っていただろうか。2005年か2006年頃に、当時参加していた須田一政写真塾のグループ展で、横浜中華街で撮った写真で展示をする、というのがあり、6×6のミノルタオートコード(二眼レフフ…

朝のスタバ

写真は5年くらい前に、もっと前かな、中目黒駅あたりで撮った夜の写真だけど、以降は朝の風景です。 朝の駅前のスターバックスコーヒー。壁沿いの長く低いベンチシート席に座り、ティーラテ・アールグレイを飲んでいる。眼の前に高めの椅子5個が囲んだ大テー…

うしみつどきに起きてしまった

朝、3時台に目が覚めてしまった。もう一度眠れば良いのに、目を閉じても眠りがやってこなかった。4時には眠るのをあきらめて、部屋の電灯を付けて、ベッドの上に胡坐をかいて座って、スマホを付けてみる。深夜、誰かからメールやラインが届いていることも…

街は変わるべきか残すべきか

これは都内京橋あたりの新しいビルでひと月くらい前に撮った写真。二人の若い男女が階段を登って行く。この後ろ姿だけからも女性が何かを話していて、男性がそれを聞いているように見える。木々の葉はまだ若葉だ。たぶん同じ場所に今行けば、緑はもっと濃く…

偶然の低画質至上主義

長いあいだこのブログを書いているなかで、以前に書いたことは忘れたりうろ覚えのまま、繰り返し同じような写真のことをつらつらと考えていて、ときには同じことが繰り返され、ときには以前とは真逆のことを感じて書いているんじゃないだろうか。 この写真は…

その町だけでしか手に入らない価値

日曜日。散髪に行く。いつも行く茅ヶ崎駅近く北口側の床屋は自動受付機で番号の印刷された紙を受け取り、6人か7人いる理髪師の誰かが、担当していた一人の客の散髪と洗髪と髭剃りと整髪が終わり送り出して手が空くと、次の番号を持っている客を呼ぶというシ…

写真になってそこに見えるものは、その場では全部は見えない

ファッションにはほとんど興味がなかったが、大学生になり名古屋で一人暮らしを始めた頃、日本のフォークブーム(いちばんはまってしまったのは吉田拓郎だった)と、西海岸のSSW(いちばんはまってしまったのはジャクソン・ブラウンだった)を聴くことが、大…

とりあえず

金曜日。長野県小布施に出張。空気澄んでいて青空が見えるのに、大粒の雨が降ってきたり、不安定な天気。夜には随分と冷えこんでくる。 写真は長野ではないです。とりあえずってやつ。とりあえずってなんだろう。何らかの課題に対して深く考え、他の案との比…

一つとして同じものがない

養老孟子著「まる ありがとう」は一昨年末に亡くなった愛猫まるについて養老先生が語ったことが本になっている。P147に(まるは)感覚の世界で生きているから春夏秋冬は新鮮だったはず、とあり、「目に映る花鳥風月は一つとして同じものがない」からまるにと…

しまっておくもの、愛しきもの

環八沿いのトランクルームのビル。なんだか現実とは思えない、すなわちイラスト画のように、汚れなくピュアで、明るく無機質で、幾何学的で余白がなく、もしかすると底知れず怖い。 某さんと話していて、私は石川啄木の代表作をなんも知らないことを痛感した…