今年一番の強烈な寒波が来ているそうだ。茅ヶ崎でさえ最低気温が零下まで下がった。南関東には雪は降っていないが、テレビのニュースを見ていると広島や京都が、それぞれの都市にとっては何年ぶりかの大雪になり、交通が混乱している様子が放送されていた。都内では隅田川に川霧が立ったことが報じられた。今朝は5時半に目が覚めた。6時半頃に自家用車を運転して家を出て、最近よく行く湘南平まで上がる。
途中、車の運転でヒヤリとすることがあって気が動転した。バスの後ろに付いて走っていた。バスは停留所で停まった。バスがウインカーを出した時点で反対車線をバスの右サイドから首を捻って見通したら、向こうからやはりバスを先頭に数台の車がこちらに走ってくる。すなわち前に停まったバスを追い抜くことは出来ないな、と判断してバスの後ろで停車した。ところが反対車線のバスが少し向こうで停まった。私の前のバスの最前部と、反対車線に停まったバスの最前部のあいだには五メーターくらいの間がある。反対車線のバスが停まったのは反対車線にもバス停留所があるのかな、と思って、べつだん気にもせず、私はただ停まっていた。ところが、反対車線のバスがパッシングをしたのである。例えば右折待ちのときに向こうからの直進車が、減速しつつパッシングをすれば、先に右折していいよと言う合図である。たぶん運転法令上はこんなような車同志のライトを使った、アイコンタクトばりの意思交換は許されてないんじゃないかな。二車線が一車線になる合流のところや、細い路地から大通りに入ってくる場面で、前に入った車は御礼に一秒か二秒かハザードランプをつけたりする。あれもなんだか常識のような行為で、ハザードがつかないと、なんだよ入れてやったのに、と憤慨することもある。が、あれだって本当はダメなのではないのか。ハザードの正しい使い方ではない。
反対車線の停まったバスが、私の前に停まっているバスにパッシングをする理由が思い付かない。パッシングは普通は対向車になにかの意思を伝える。すなわち反対車線に停まったバスは私になにかの合図を送ったのか?でも、なに?と思っていたら、またもやパッシングをしたのだ。それで、あのバスは私が前のバスを追い抜くように待っているのと勘違いして、追い越しをかけるため動き始めたのだった。しかしかのバスのパッシングの相手は私ではなくて、前のバスの先で、私から見て左側にある駐車場から右折して反対車線に入りたい車に、入りなさい、停まっててあげるから、と言うことを知らせるパッシングだったのだ。
ほんの数秒かコンマ何秒で、わたしが前のバスを追い越し終えた先で出てくる車とぶつからずに鼻先をかすめて、私は無事に前のバスの前に出て、駐車場から出てきた車も反対車線のバスの前に入ることができたが、紙一重の違いで私は出てきた車とぶつかったか、あるいは前のバスに並んで反対車線で立ち往生していたことだろう。
何十年も自家用車や若い頃はオートバイを運転してきて、間一髪で事故を免れた感じで冷や汗が出たことが4回くらいある。どれもリアルに覚えていて、何年経ってもドキドキする。
私が自家用車で音楽を聴くためにたくさんの音楽ファイルをいれた16GくらいのUSBメモリーを車に差し込むと、あまりにデータが大きすぎるらしく、読み込み作業に20分くらいかかる。なんだかアナログチックなのは、その日によって読み込むまでの車のオーディオの反応が、なんの条件が異なるからか全く不明だが、違うのだ。車に乗ると、オーディオ装置が、勝手に、今日は何月何日で何の日だ、と話す。もちろんOFFにもできるのだろうが嫌とか良いとか、どちらでもないくらい些細なことで放ってある。ほかにも運転の状況や外気温データを参考にするのか、急加速は燃料を消費するから気を付けろ、とか、暖気運転は何分で何リットルの燃料を消費する。なんてことまで言ってくる。これはちと煩い感じだが、滅多に言わないのでやっぱり放ってある。USBを、差し込むと、こう言うことが何回も繰り返される。今日は、暖気運転の件を何度も繰り返された。読んでるなと思うと不意にモニターが初期表示になり、暖気運転の件をしゃべる。それからまた読み込み始めるが途中でまたリセットされて。正月には、「明けましておめでとうございます。今日は1月3日、瞳の日です」と言うのを何回も繰り返された。何の日のご報告を繰り返す条件と、運転の指南を繰り返す条件は、どこが違うのか。
今日はまた寒いせいか?とうとう湘南平に到着しても読み込みが終わらない。写真を撮って(上の写真)から、帰路に坂道をエンジンブレーキで降りていっても終わらない。それでもうこのメモリーは詰め込みすぎでNGってことにしてバッグにしまった。男性アイドルグループの曲ばかりの入った家族の女性陣のメモリーは聴きたくない。それで久々にFMヨコハマにした。磯絵里子と言うヴォイオリニストがパーソナリティをつとめる15分程度のクラシックのかかる番組。チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレと言う弦楽四重奏が流れた。磯絵里子と言う方が曲のあとに曲にまつわるエピソードとして、トルストイがこの曲を聴いて泣いたことを話していた。
調べるととっても有名な曲らしいが、私は知らなかった。
アブナカッタ運転の話と、このラジオ放送の話に、特に関係はないですよ。同じ朝の出来事ってだけ。
写真は平塚の馬入漁港からでしょうか漁場に向かう漁船が数隻、写っています。
今日はイチゴの日だそうです。車に教わった。