夏の朝


 借りてきたミラーレスのデジタルカメラに、変換アダプターを介して、1960年代のスクリューマウントの19mmレンズを付けたのを持って、朝7時50分に自宅から歩き始め、相模川を国道一号線で渡り、平塚駅まで行き、電車で帰ってきた。家を出る前に新聞を読んでいたら、今日は立秋だと書いてあった。今朝は、特に7時前には、なかなかにすがすがしかった。
 写真は、この画面上でも判るだろうか?、やはりどことなくコントラストが低くてぽわんと柔らかいものだった。

 昨日、知り合いの若い女性のブログのアドレスを教えてもらったので、早速に読んでいたら、PCを使う仕事がしたくない気分だったがコルトレーンのマイ・フェイバリッド・シングズを流したら、なんとか仕事をすることができた、というような記載が7月下旬にあって、私もこのブログの7月の22日だったか23日だったかに、同じ曲にまつわるエピソードを書いたばかりだったので偶然に驚いてしまった。やはりこの曲は夏に似合うということなのだろうか?
 でも、こういう偶然って、書いている本人が一番偶然に驚いていて、読まされる方は本人ほどには驚かないことが多い気がするな。エッセイや日記文学に書かれている「偶然」を読んでも、あまり驚かされず、きっと本人はもっとずっとびっくりしたのだろうな、と思ったりする。

 子供のころ、夏休みのほとんどはセミ採りをしていた。住んでいた某総合病院の職員住宅(父はその病院に勤めていた)は、木造平屋の二軒長屋が、2×4列に並んでいて16世帯が住んでいた。家の前の道なんかは勿論未舗装だった。住宅の地区と病院の敷地の間にはコンクリートの塀があって、その塀は一人でボール遊びをして遊ぶ上で必須だった。自分がピッチャーになり、自分の頭の中で妄想している試合に出場している。ピッチャー一球目投げました!絶妙なカーヴです、とかなんとか妄想しつつションベンカーヴを壁に向けて投げると、A級軟式ボールは壁に当って跳ね返ってくる。跳ね返ったボールは内野ゴロに相当。それをダッシュして、先ほどの「ピッチャーの投球」のときよりも壁にずっと近い位置でキャッチすると、一塁への送球とばかりに再び壁に、今度は比較的壁の高い位置にキャッチしたボールを投げる。すると、壁に当るボールの位置が高いことと自分が前進して壁に近いことにより、送球したボールはノーバウンドでグラブにおさまる。これでワンアウト。ときには、ヒットを打たれたことにして、跳ね返ったボールを見送ったりもする。
 その壁の向こうの病院の敷地にはゆったりと病棟が配置されていて、その病棟間には屋根付きの渡り廊下があった。そして渡り廊下の周辺には、花畑や椎の木の列や、実験動物の飼育施設や広場やテニスコートがあった。椎だけでなく、桜の並木も、同じ敷地内にあった看護婦養成学校の前にあったし、バスどおりを挟んだ反対側の空き地には松の木が生い茂っていたし、病院の玄関前には大きな針葉樹(もみの木?)があった。もみの木はある夏の日に落雷で真っ二つに裂けた。
 そんな風にゆったりとした病棟配置の敷地内にはそこここに木々が植えられていたからセミ取りには格好の場所だったのだ。一番多いのはアブラゼミで次がニイニイゼミだった。アブラゼミが75%、ニイニイゼミが20%、残りの5%がツクツクボウシクマゼミやミンミンゼミだったというくらいの感じだった。
 最初に自分だけでセミを捕まえたのは小学生の一年か二年のときで、職員住宅のヒロタさんだったかイノウエさんだったかのお宅の玄関前にあった桜の樹に止まっていたニイニイゼミだった。ニイニイゼミは羽根が茶色と透明の二色が織り交ぜられてタペストリーみたいになっている粋なデザインだったが、当時は上記の種類別の比率+捕まえることの難易度が「そのセミを捕まえたことの価値」になっていたから、小学校の五年や六年のお兄さんたちから見れば、アブラゼミニイニイゼミは雑魚なのだった。が、もちろん小学校低学年の私にとっては初めて自ら捕まえたセミということですごくすごく嬉しかったのだろう。いや、嬉しかったという記憶はないのだが、捕まえた記憶はしっかり残っているのだから推察するに嬉しかったのではないか?いや、嬉しさというよりも、こんなことができてしまったという驚きと、同時にちょっと泣きたいような複雑な感情があったかもしれないな。そのときの捕虫網は、近所の商店街のどこかの店が販促のためとかに配っていた手ぬぐいと、風呂を沸かすための薪を束ねていた針金を使って母が作ってくれたものだった。買ってもらった網はじきに破けてしまったのでそういう手作りのものになったのだろう。
 当時、クマゼミなんかはその地域に「迷い込んできた」一匹が数日のあいだだけ鳴くことがある、といった子供にとっては貴重なセミで、しかも網では全然届かない、高い樹の上の方にいるものだったから、五年や六年のお兄さんも含めて、誰も捕まえたことがないのだった。ミンミンゼミやツクツクボウシは極まれに誰かが捕まえた。そうするとその子供は鼻高々だった。
 アブラゼミは羽根が茶色でニイニイゼミは上記の通りのまだら模様で、だから、なかなか捕まえられない貴重なセミ達に共通の特徴は「羽根が透き通っている」ということだった。

 そんな風に子供のころにはセミ採りばかりをしていて、いつも羽根の透き通ったセミは憧れだったわけだが、いまから十年くらい前、私の子供達が小学生のころの夏のある日、家族で厚木の方に用事があって出かけたときに、とある小さな公園で、周りの木々からいろんなセミの声が聞こえていた。そのときには網などなかったので、私は子供達に「羽根の透き通ったセミ」の実物を見せてあげたいと思い、果敢にも(?)素手セミを捕まえようと思い立った。その結果、ものの見事に、ミンミンゼミもツクツクボウシもヒグラシも、みな素手で捕まえてしまったのだった。
 セミを捕まえるときに、枝に止まるセミを見つけたら、そっと近付いて、そっと網を持ち上げて・・・とやっても、セミの視界内で人や網が動くわけだから彼らは危険を察知する可能性が高い。すると彼らはまず鳴くのを止めて、様子伺いに出てくる。こういう風に警戒されると大抵は網をかぶせる前に飛び立たれてしまう。
 そこで、手の届く範囲の高さにセミがいるのを見つけたら、そのセミの視界に入らない、そのセミが止まっている枝を挟んだ反対側に回り込むのである。そして枝に隠れるようにして近付いていく。手が届くところまで近付いたら、そっと顔を横にして狙ったセミのいる高さを横からちらりとだけ確認し、また見えない位置に入る。そして、なるべく素早く、えいやっ!とばかり、お椀のようにした掌をにゅっと枝の横から向こうへ差し出し、セミにかぶせるのである。これが下手に網で背中(セミの視界内)から近付くよりよほど不意を付いていて成功確率が高いのであった。

 このようにして私は子供達にとって「セミ採り上手な」お父さんという地位を確立していたわけだが、子供達が虫に興味を持っている年齢なんかすぐに通り過ぎてしまう。そして、いつのまにか、息子も娘も「虫なんか気持ち悪くて大嫌い」になってしまった。だから、このすさまじい(?)素手採りの技も、発揮のチャンスがなくなった。





 さて、今日の夜は茅ヶ崎漁港を中心としてサザンビーチ花火大会。19時半より20時20分まで。始まる一時間も前から砂浜に陣取り、だけど、結局そんなに早くに陣取らなくても全然大丈夫で、しかし海風のなか、どんどん暗くなっていく時間に身を置くのは既に夏の終わりの哀しさがあった。花火が始まると、最初は写真を撮るのに夢中になっていたが、やがてそれにも飽きて、ただ打ちあがる花火を口をぽかんと開けるような感じで、放心するように眺めていると、更にそれもまた哀しいのだった。