星客集 ラ・ジュルネ


 4/13から4/15のあいだ、夜になるとCDを流しながら、先日、藤沢の古書店ブックサービスの屋外ワゴンから100円で買ってきた大岡信著「星客集 文学的断章」を読んでいた。調べてみたら1970年代に雑誌ユリイカに連載していた随筆を集めたもので、このシリーズで五冊くらいあるうちの一冊のようだ。最初の話は「ゆかり」と「むらさきくさ」の話で、古今和歌集やらからの引用からも多く、高校時代に古文が苦手でそれ以降は古文に親しんだことなど皆無な私なので、完全には理解できない。が、それでも面白い。そのうち古文の出てこない話も多くなり、一層夢中になる。何かを探る、何かと何かの関連を紐解く、誰かの手紙に隠された思いをその他の資料から解き明かす、などという行為は、研究とか言う風にとらえると難しくてとっつき難いものだが、実は推理小説を読むような謎解きや指摘にわくわくしたり驚いたりし、下手なミステリーなんかよりずっと楽しめるものだ。
 そこで4/17の夜に、ほかの何冊かも読んでみたいと思い、ネット通販をやっている古書店をいろいろと調べたら、石川県金沢市郊外にある古書ダックビルに、二冊「狩月記」と「彩耳記」があったので申し込む。ところでこの古書店、郊外の古民家を倉庫と店舗にしているらしく、松浦弥太郎が雑誌ブルータスかなにかで書いていたアメリカの体育館のような巨大古書店まではいかないだろうが、本好きとして高遠経由金沢などという経路で本をめぐる旅をするのもいいなあ、などとセンチな夢を描いたりしてしまう。
 旅の目的に何を置くかは、旅に出る後押しになれば良いわけで、その目的に過度の重きを置かない方がいいんだろうな。いや、それはことと場合によるから一概に決め付けるべきではなくて、例えばサッカーのワールドカップ予選1998の最終代表決定戦を見にマレーシアに行った人たちにそんなことは当てはまらないものね。まあ、何を旅の定義とするかにもよるか・・・
 過度の重きを置くほどのことのないちょっとしたきっかけを、遊び心で設定して、あとは道中の風景や出来事や出会いを楽しむのが実際の重きである、なんてときの「遊び心」にもとづく設定として、普通の観光本には載っていない古書店やカフェや建築物やらを定めておくのはいいかもね、と言いたいのだ。
 なんて「旅」とか書いてしまったけど「しまった」と思うようなところがあって、この単語にまみれた安易なセンチメンタリズムがちょっと鼻に付くことも事実。と書き添えるあたりが私の小心なところか。
 星客集を読んだ夜にかけたCDは、例えばカサンドラ・ウィルソンザ・バンドの「ウェイト」を歌っているアルバムや、ジョー・パスがソロ伴奏しているエラ・フィッツジェラルドのアルバムが一晩目だった。ジョー・パスのギターが柔らかくて、昨年の夏、急に涼しくなった夜、京都先斗町の公園で誰かがぽろんぽろんと弾いていたギターによってすっかり哀しくなったことを思い出す。(こんな風に書くと、ジョー・パスより、名もないストリート・ミュージシャンのが良かったのか!?などと疑問に思う方がいるかもしれないが、人にもたらす音楽の効果なんて瞬間瞬間に変わっていて個の事情とか記憶とかそのときの五感で感じていたさまざまな思いと聞こえてきた音楽との相乗によるのであるのだからそうであっても全然おかしくない。)
 それで一晩目にはジョー・パスのギターのはかない感じが良くて、二晩目にはギターにこだわって増尾好秋岡田徹のデュオアルバムなんかも久々に聴いてみた。
 久々にいい読書の時間が作れた気がする。読書環境が良かったから星客集の印象も高いというか、自分の出来る範囲でけっこういい線まで読みこなせた気がするな。

 4/18、今日は終日晴れだと思っていたが起きてみたら曇天。それでカメラを持って出かける気持ちが失せて、テレビで例えば王様のブランチなどを見る。そうこうしているうちに昼ころに日がさす。それを見て、早速、自転車で出る。海沿いのサイクリング道路を江ノ島の方向に走っていく。快調。先日、サイクル・ボーイで後輪のリムの歪みを直してもらったおかげで、ずっとブレーキがかかったような状態から復活している。だから正常に戻っただけなのだが快調に感じる。いつのまにか近視になっていて、それに気がつかず、ある日眼鏡を始めて作ったら、世の中がこんなに明るくくっきりしていたのか!と驚く、そんな感じ。
 小田急片瀬江ノ島駅近くの駐輪場に自転車を止めて、腰越商店街を歩きはじめたら、ちょうど「義経まつり」のパレードの時間で、鎌倉高校吹奏楽部と腰越中吹奏楽部、それにミス鎌倉三人衆などが進む。鎌高吹奏楽部は「崖の上のポニョ」の曲をマーチ曲調に仕立てて演奏しながら進む。その様子をコンパクトデジカメで撮りながら歩く。中学のときに吹奏楽部だった私も、こういう市の主宰のイベントでパレードに出されたことがあった。そんなことはほとんど消えかかった記憶で、たまたまそのパレードの写真がアルバムに貼ってあるから、それが証拠写真になっていて記憶が消えるのを抑えているだけだ。いや具体的な記憶はもうなくて、証拠写真があるからそうだと認めているだけかもしれない。それなのに、彼等に付いて行くのをやめにして、その遠ざかっていく黒で統一されたジャケットの後ろ姿を見ていたら、自分が自分で思っても見なかったほどに、感動しているのだった。その感動の理由を考えるに、やはり自分が中学のときに吹奏楽部だったということがなんらか影響していると思わないと、ほかに説明が付かないんだなあ・・・

 鎌倉高校前駅から由比ケ浜まで電車に乗る。由比ケ浜駅から少し歩いたところにある「ラ・ジュルネ」へ入る。遅い昼食として「春野菜のナムル丼」を食べる。この店は一年に一回くらい来る。いつも大量の野菜に驚かされる。以前食べた「ベトナム風肉のせごはん」なんか、予想外の大きな皿でしかも中にある肉もご飯も見えず、ひたすら野菜が積み重なっている。しかも美味しい。今日食べたナムル丼にもなんだかたくさんの食材が使われているが、そういうことに疎いので具体的な材料名を列記できない。揚げてあった丸い葉は、あれ?教えてもらったのに・・・セリでしたか?いや蓮でしたか?すいません、すっかり忘れてしまった。カリフラワーも柔らかい。
 ビート?ピート?のジュースをいただき、ごちそうさまでした。

ベトナム風肉のせごはん

ナムル丼
上の花の写真もラ・ジュルネの店内にて