いせぶら


 19日、土曜。中華街近くのギャラリー・パストレイズに須田一政写真展「恐山へ」を見に行く。恐山というのはなんだかおどろおどろしい場所なのかと思っていたが、写真に写っているその場所は、そういう面もあるけれど、もっとあっけらかんとして、かつ、にっぽんの観光地に共通の「殺風景な天然色」のような空気も漂っているようにも見えて(写真はすべてモノクロですが・・・)面白い。

 そのあと、中華街からずっと歩いて馬車道から夜の伊勢佐木町へとふらふらと歩いてみる。1980年代だったと思うけれど、いまはすっかり新しい町になったみなとみらい地区は、まだむかしながらの、たとえば蒸気機関車の扇型倉庫が残っていたり、赤レンガ倉庫は落書きと石畳の間から生えてきた雑草たちに覆われていて、夏のあいだのある期間だけライトアップされていたときにそこにいた係員の方が「二階の廊下で何度か幽霊を見た」と言っていたし、ほかにも古めかしい倉庫とか操車場の錆びた線路と黒い貨車とか、そういうのがある場所だったが、その一方でみなとみらいへと生まれ変わるための工事がそこここで始まっていた。横浜美術館なんかは整地されただだっぴろい用地のなかにぽつんと最初に出来た建物だったのではなかったか。ヨコハマBJブルースなんていう映画があった(あるいはテレビ番組だったっけか?)が、そのロケ地なんかは、そういう「みなとみらい以前」の横浜港湾地区だったかもしれない。
 当時、ずっと横浜育ちだった会社の後輩のAくんと京浜東北線に並んでつり革につかまって乗っていて、工事がさかんなみなとみらい地区を見えたとき、Aくんが「横浜で育ったボクなんかからすると、新しく開発なんかしないでほしいんですよね」と言っていた。バタくさい、という単語でうまく通じないとは思うけど、横浜が消化した横浜風西洋色があって、それがそういう港湾地区の殺風景を覆って独特の横浜らしさがあったように思う。

 それから数十年経って、みなとみらい地区がきれいな町として出来上がったが、馬車道伊勢佐木町にはいまでもあのころの横浜らしさの残り香があるように感じる。黒いバイクが似合っています。