思い込む


 通販で買った、フリースを起毛させたデニム地の冬用ジーンズは、通販カタログの写真の背の高いイケメンモデル君が着ているとそうでもないように写っていたが、いざ届いたものを私が履くと、かつて自分のものだったどのブルージーンズよりもだぶだぶと太かった。ウェストはぴったりだけど。ジーンズはリーバイスに決めているなんてほざいて、本当にリーバイス以外のものは買わずに、二十代から五十才くらいまで過ごしていたが、そんなこだわりなんかきれいさっぱりなくなっている。こだわりの発端になにかこだわるべき理由があったのだろう、使っていたのはずっとスリムだったのだが、その理由も覚えていない。それで、届いただぶだぶと太いジーンズは着心地が良いのだった。足の短さを露呈して、足先はくるくると二回くらい織り込まないと長すぎるから、同じ通販サイトの春〜秋(というか当たり前にふつうのデニム地の)ジーンズはそうやって使っていたが、フリース起毛というのはそれだけちょっと生地が厚いらしく、くるくるとするとそこがまた太くなる。思うに、上記のリーバイス×スリムにこだわっていた理由というのは、70年代後半あたりに音楽雑誌や男性総合雑誌的なのに載っていた、誰か忘れたけどロック歌手のインタビュー記事を読んでいるうちに、その誰かがそうじゃなきゃだめとか言っていたからのような気もする。あるいは新書サイズのジーンズの歴史を書いた本を読んだことがあったかもしれないな、そこに書いてあったなにかが、若かりし私に「そうあるべし」と思い込ませたのかもしれない。まあ、いいや、もう忘れちゃったし。当面の問題は通販で買っただぶだぶの暖かジーンズの裾をくるくるまくのをやめたい、やめるには裾上げをしなければならない、ということなのである。
 いや、なに、そんなことは「問題」ですらなくて、まず裾上げする長さを自分で決めて折り込んだ裾をクリップで留めて、あとは洋服直しの店に持っていくのであります。ただそれだけのこと。
 茅ヶ崎の駅前イトーヨーカドーの洋服直しは三階にある。そこでクリップで裾を留めたジーンズをトートバックに入れて、今日の日曜日は曇天でうすら寒い、その午後に駅の方へ歩いて行く。イトーヨーカドーに着く。私はその時点で洋服直しは四階だと思っているのだが、それはなにか確固たる確信があるわけでも、よくよく思い返すに自信があるわけではない。それなのに、四階だと決めつけている。入口の各解案内ボードをチェックするわけでもなく、自信も確信もないまま、それをくるんで別の自信があるといったような、冷静に分析するとこれは一体なになのか、という裏付けのないまま、そこに洋服直しがないなどとは考えもせず、四階に上がって、フロアをぐるぐるとまわり、どうやらどこにも洋服直しの店がないぞ、と気が付いてはじめて、四階ではなかったのではないのだろうか?と疑問を持つのだった。そこで初めて各階案内ボードをチェック。あれま、四階じゃなくって三階じゃないか!と間違いに気付かされるのだった。
 そんな風に間違えたのだから、おおいに当然でもあり、反省すべき行動なのであるが、これがまたその時に自分の気持ちに発生する「がっかり感」が半端ない。げーっ!これで時間を数分間も!無駄にしたぞ、という状況や原因から考えるに明らかに不相応な落胆が生じたりするのだった。
 以上のようなのが「事例」であって、最近はこういう、思い込みというかテキトーなのにテキトーとは思わない裏付けのない確信によって、行動にムダを生じている回数が増えているのだ。これは老人力なのか。不相応な落胆であるのに、三階に降りて、洋服直しの店でジーンズを提出してお金を払って、交換券を受け取ってしまえば、もうこの「今日やるべきことの一つ」は無事完了したわけであり、早々にその落胆は消滅する。
 やれやれ。

 昨日は久々のニセアカシア会議+忘年会だった。明日12/7からプレイスM2ギャラリーでは伊藤将太写真展「ピールアパート」が始まる。http://m2.placem.com/schedule/2013/20131209/131209.php
 ニセアカシアの松本さんがこの展示に合わせて、伊藤君のzine写真集を作成。それを見せてもらう。いままでで一番分厚いzineで見応え十分。こういう風に自分の写真が高次元でまとまるといいだろうな。最近の私の写真はどうなのよ?とりとめもなく力もなく、右往左往しているのは、上記の洋服直しにたどり着くまでのような思い込みの空回り。

 昨日、珈琲園の二階でニセアカシア会議中に、近くの席で、ずっと年上らしきお爺さん四人組が熱論を展開している。いったい何の話をしているのかは判らなかったが、いきなり「水掛け論」という単語が耳に飛び込んできた。だから何?なのだが「水掛け論」というキーワードで写真を選別したらどうだろうか、などと思ったりしているのだった。