花水川


 神奈川県平塚市と大磯町の境に流れる金目川(かなめがわ)は、下流になると花水川(はなみずがわ)と言う方がふつうで、近くの地名や建物の名前にも花水という言葉がよく使われている。「はなみず」とだけ聞けば「鼻水」かと思うがそうではない。
 その花水川の河口は、実家から近いこともあって、よく写真を撮りに行っていた。1980年から1990年代途中までは、三脚と、キヤノンF1や、もっと大きなフイルムサイズのカメラ、うーんとフジフイルムの645の蛇腹じゃないもうちょっとワイドだったやつとかを持って。中にたいていはコダクローム64フイルムを入れていた。そして太陽が伊豆から箱根の山の向こうに沈んだ直後から完全に真っ暗になってしまうまでのあいだに、写真を撮ったものだった。沈む太陽を望遠レンズで狙うひとたちが帰ってしまったあとが、私には撮りたい時間だった。こんな風に「由緒正しく」風景写真を撮りに行っていたんだなあ、と懐かしく思い出す。この写真は手前に海にそそぐ直前に湾曲して右から左に流れる花水川の流れがあり、数メートルの砂浜を隔てた向こうに波が崩れている。大きい波が来ると、その隔てている砂浜部分を波が越えて、川の流れに横から侵入するのだった。

 2014年3月22日土曜の夜には、部屋の片づけを進める。6年間、京都に住んでいた家族のTがもうすぐ戻ってくるので、なし崩し的にTの部屋も使っていた私は、自分の本やCDやらをTの部屋から自室に戻さなければならないが、そのままだと足の踏み場もないほどの大混乱になるので、整理整頓と、同時に思い切って多くのものを処分することを指し迫られている。そこで、たとえば長年のあいだにいつのまにかたくさん溜まっている写真用のさまざまなタイプと大きさの「額」は、痛みのひどいものは捨てたり、ガラスだけは捨てるようにしたりしている。そういう捨てる物の「積み重ね」を結果として量につなげていかねばにっちもさっちもどうしようもないのだった。
 しかし、額は捨てても、その額に入っている写真は救い出したい。捨てちまってもいいのもあるけど、そうでないのもある。
 たとえばこの写真はワイド六つ切りに引き延ばしてあった。元のポジフイルムがどこにあるのか、もう判らない。そこで家庭用MFPで読み取ってみた。

 ほかに誰もいなくなっている砂浜に一人でいるのは、ちょっとした緊張(ほかに誰もいないという本能に基づく恐怖感がゼロではない)と、写真を早く撮ろうとする(時間勝負なのだ)熱中とで、高揚していたのではなかったか。

 私は小学校の低学年のときから、父が趣味で写真を撮るのを見て育ったせいだろう、ずーっと写真趣味を続けていて、最初の個展を2006年にやったときに「四十年以上に亘り写真趣味を続ける」と自己紹介文章に書いていまもそう書いているが、本当はもう五十年になっている。そうなると、自分がむかしむかしあるところで撮った写真を眺めると、そのときどきの「思い出」が、ありきたりのフレーズだけど「よみがえる」。すなわち写真が基本的には過去をとどめたものだということを再認識させてくれる。過去の分量(どれだけ昔に撮られたか)によって、撮った本人にも見え方が違ってきて、だんだん熱を帯びてくる。脳に仕舞われた過去の映像が、だんだんと変容したり溶解して行くのに対して、写真がリアルに変容や溶解前の(少なくとも)視覚に写ったそのままに近いことを「復元」してくれるからね。そうして写真は常に最新のものとしてそういう機能をまとってそこここにあるのだろう。
 なんて、また同じようなことを考えている。どうどうめぐりというか繰り返しているところから発展しないですね。何年も。
 須田さんが昨年秋にたくさんの写真展を同時多発開催していた(というより本人の意思とは別の力が集まったこともあってそうなった?)ころのトークショーで、この「思い出す」ということをよく話していらっしゃった。写真家が力まずにそういうことをさらりと言えるところが、須田さんの場合はおそらく60年に亘り、(ひとまとめで言えばたぶん)ひょうひょうと撮ってきた結果、この「さらり」が出てくるのだろうな。