大磯左義長


 二年ぶりか、三年ぶりかな、大磯町の砂浜で行われる左義長祭に行ってきました。毎回毎回、同じような写真ばかり撮っているので、今回は火花の軌跡を長く写し止めようと、三脚にカメラを据えて、3〜10秒程度の長時間露光をやっていたのだが、火が付いた当初は、とくに今年は風もあったせいか、人の動きやサイトの燃え尽きていく変化が早くて、こんな悠長なことはしていられないとばかり、早々に手持ち撮影に変え、ISO感度を5000まで上げて、絞り開放2.8の手振れ補正ONで、1/4秒から1/10秒あたりでシャッター速度を同じ場面で細かく変えて四コマか五コマかを撮っていった。結果、いつもと似たような写真ばかりになってしまったが。1時間強で700枚弱。いつものストリート・スナップ撮影と比べると、時間制限のなかでああだこうだと素早く考えていることを試しながら撮っていくのは、小気味よくて気持ち良い。なんか時間が決まっているスポーツみたいだった。むかし、浅井慎平だっけ?カメラはスポーツだ、って言ってたような。24mmで手振れ補正ありとは言え、1/4秒で撮るときは相当しっかり構えてぶれないようにする必要がある。あまり意識していなかったが、そういうときには息を止めて、心臓の鼓動と鼓動のあいだを狙ってシャッターを押しているようだ。帰り道に胸の筋肉が疲れている。大声で歌を歌ったあとのように。それで何度も呼吸を止めていたんだなと理解した。
 写真を選ぶときには、燃え盛るピークのときよりも上の写真のような、火を観ながらいろんなことに思いを馳せているようなおセンチな場面の方を好んで選んでしまう。実際はみなさん竹の先にぶらさげたお餅などを焼いているので「いろんなこと」ではなくて「もう焼けたかな?」ってことになるのかな。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/matsuri_event/matsuri/sagichou.html




 今日は、夜に左義長を撮りに行くまえ、横浜美術館で巡回中の篠山紀信展+収蔵作品写真特集展を見てきた。篠山紀信展は一昨年だったか松本市美術館で見たことがあったから二度目なので、主目的は後者の方だった。松本で見たときもそうだったけれど、篠山展ではスターの大型プリントがたくさん展示されているのだが、その中で私は、蒼井優が黒い喪服のような服を着て微笑むでもなく泣くわけもなく、だけど意思をもってカメラを見据えているような写真が、ほとんど唯一その写真だけがスター編のなかでは目を見張るのだった。解説によるとスターの本当の姿をあばくというような意図はなくスターのスター性を撮っているとのことだが、と言うことは、それぞれのスターや著名人を鑑賞する日本人たる我々はどういう人物かある程度共通認識があって、それを前提に見ることを写真家は前提としているのか。それともスターが普遍的に持つスターとしてのパワーを見せることで個の無名性を超越したなにかを撮ろうとするのか。。。ってわかりにくいことを書きましたが、例えばこれらのスターのことを全く知らない外国の人が写真を見たときにもそこにスター性をちゃんと感じられるかってことです。
 ところで東日本大震災の被災地で撮った一般の方のポートレートは、ちょっと不意を突かれたように胸を付かれた。篠山紀信が被災地を撮ったけれど、結局は被災地を前にして写真家の特別ななにかを出せてはいなかった、と言うような否定的な感想は何度か聞いたか読んだかしたものだったが。ポートレート全部と言うよりそこに写っている人たちの中の何人かの人に、射すくめられた感じがしたのだった。

 収蔵品写真展では、中平卓馬のアレブレのころの写真は、何とも言えずかっこいい。あれをかっこいいと思ってしまう世代ってことでしょうか。

 収蔵写真展の方は撮影自由だった。これは「中平卓馬の写真に写っている飛行機とその写真の下の壁と壁の下の写真の上部の黒」です。スマホで撮りました。