渋谷へ 写真展と映画と


 渋谷のBUNKAMURA MUSEUMへ、始まったばかりの写真家ソール・ライター展を見に行ったら、ル・シネマでロバート・フランクドキュメンタリー映画をやっていることに気が付いた。到着したのが10時半頃で、映画が始めるのは11時15分とのこと。ソール・ライターの写真展をじっくり見るのは若干時間が不足するが、映画がどうしても見たい。ではソール・ライター展を映画のあとにすればいいのだが、そこまでゆっくり過ごす心の余裕がない。急いで映画の前に見てしまおうと決めて写真展会場に入る。結果、最後のヌード写真を集めた部屋に入ったあたりで時間切れとなり、最後の部屋はじっくり見ることができなくなった。

5月13日に追記)
5月6日の土曜日には渋谷のBunkamuraミュージアムにソール・ライターの展示を見に行く。これは東急電鉄線の各駅に置かれる月刊の情報誌で知ったのではなかったか。昨年かな、一昨年かな、ソール・ライターのドキュメンタリー映画を見たことがあった。最近は写真家のドキュメンタリーがたくさん作られてるんじゃないか?気のせい?
そう言うわけでBunkamuraに行って、そこではじめてロバート・フランクドキュメンタリー映画Bunkamuraの映画館でかかっていることを知った。
ロバート・フランクのことはもちろん知っている。写真集「アメリカ人」は1980年代に銀座の書店の洋書コーナーで見付けて買った。自分で買った写真集の五冊目か六冊目だった。買った写真集を何度も捲っては、ちゃんと写真の力を受けて、影響を受けていた。影響を受けたと言う言い方ではなく「糧になった」と自信を持って言えれば格好いいがそうストレートではないかもしれないが。最近は写真集を買っても、手に入れたことに満足して、中身はささっと見るだけで終わることが多い。良くない傾向だ。
90年代だったかな横浜美術館ロバート・フランク展にも行った。
しかし、この映画のことは知らなかった。当然、事前に予告を見たり、よくある著名人のひとこと感想集やあらすじや解説を読んでもなかった。そうすると、自分の中で勝手な予想が、無自覚のもとでも生まれるらしい。ロバート・フランクと言えば写真集「アメリカ人」に他を圧する代表作だろう。だからあの写真集が作られたところに、それがどんな時代でどうしてエポックになったのかに焦点が当てられるに違いない。写真史の中で既に確立している評価に基づき、その評価の根拠を、言い尽くされた安心のもとに誰やら彼やらが語るとか?そんな感じかな。そんな風に映画の中身を予想していた。
ところが、こんな予想は覆され、その分相当に面白かったのである。
まず思いの外大音量のロックが流れる(ストーンズかな?)なか、映画がはじまる。前半はたしかに「アメリカ人」にスポットが当たっている。すぐに、アメリカ人よりは数十年時代が進んだ頃、とは言えこれ自体だいふ昔の(70年代?80年代?)インタビューを受けるロバート・フランクが出てくるが、インタビューアーに対してなかなかに挑発的に答える。五十代頃なのかな。
時間軸が重層的に描かれつつ、その後の写真集、極めて私的な隠遁から生まれた(と言われているだけ?)「私の手の皺」や、多分たくさん作られた8mmフイルムによる映画の数々からの場面が差し込まれ、今度は90歳を越えた現在のフランクが、映画の上映を背景に立って喋るのは嫌だと言ったりしながら時間を振り返る。ストーンズの「メインストリートのならず者」のジャケットは、スチルフイルムが紛失し、8mmの駒から引き伸ばした、と言ったエピソードもあった。
家族を次々に亡くした物語も安易な悲しみを演出していない。しかし起きたことから想像するに、壮絶な悲しみだったろう。
同時代を駆け抜けて今もそこに属する、なんて言うことではなく、好きなことを自分の思いのままに残してきた。結果、ロバート・フランクだけが残せたものがある。フイルムに傷を付けてテキストを入れたり、着色したり、それもみな私写真の創作の結果なのだった。
すなわち「フランクと言えば「アメリカ人」」と言う評価に沿わないで、沿わないで自らの作家活動を続けてきたフランクの生きてきた軌跡を、その通りに汲み取り作られた映画であった。そういう作りが予想や期待と違うがゆえに余計に面白かったのである。


http://robertfrank-movie.jp/