三軒茶屋をうろうろと


 あるちょっとした用事で三軒茶屋まで出かける予定でいたが、その用事がなくなってしまった。予定はなくなってしまったが、三軒茶屋を歩いたことはほとんどないので、行ってみることにする。午後3時少し前に着いて、国道246号と世田谷通りに囲まれた「三角地帯」の迷路のような路地を息をひそめて歩く。まだ明るい時間に開店前の小さな飲み屋やスナックがずらりと軒を並べる街を歩くといつも息をひそめてしまう。尾道でも仙台でも京都でも、昨日の野毛でも、そんな気持ちがあった。
 一時間ほどぐるぐると三角地帯を歩き回り、すずらん通りの入口近くにあったベトナム料理の屋台のような小さな店で鳥と野菜のフォー525円を食べる。あとから隣に来たヒトがトムヤムクンヌードルを頼んでいて、あーそっちの方がよかったなあ、と思う。またいつもの悪い癖、他人が頼んだもの、食べているものの方がよく見えてしまうんですよ。子供みたいでしょ。
 川面に映った骨をくわえた自分の影を見て、そっちの骨の方が大きく思え、思わず吠え掛かり、結果として骨を落としてしまうイソップ童話を思い出す。
 鳥と野菜のフォー、サッパリと食べる。最後のひとくちに、最初にちょこっと投入しておいた青い唐辛子が入り、店を出たあとに口の中一杯が激辛状態になった。シーシーと息を吸いながら、茶沢通り/太子通りを歩いてみる。途中にあったボヌールというパン屋に入って、パン好きの家族への土産にと思い、丸くて小さいパンをいくつか、チョコチップが混ざっていたり、レーズンが入っていたり、硬かったり柔らかかったり、でもみんな丸いパンをいくつか買う。
 暮れ時の通りに八百屋や魚屋が呼び込みをし、そこに集まった主婦達が、新米主婦もベテラン主婦も、品定めをしている。あー懐かしい。郊外の大きなスーパーに車で買出しに行くような暮らしが普通になってしまった町より、そういう大きなスーパーの進出ができるような土地がないごちゃごちゃした場所の方が、こういう懐かしい暮らしを維持しているのか。それが都会に多いということなのか。
 やがて夜になって、栄通り商店街で見つけた開店45年の食事をすると珈琲のおかわりサービスをしているセブンという喫茶店に入る。マンデリン580円。薄いが美味しい。
 座った席の隣の椅子にパンの袋と文庫本を置き、貴重品は持ってトイレへ行くが、使用中だったのですぐに席に戻る。ふと気付くと文庫本がない。椅子から滑り落ちたのだろうと思い、自分の席や隣の席の下を覗き込むが見つからない。可能性としては、その1;通路に滑り落ちた文庫本を店員さんが拾った、その2;誰かに盗まれた・・・。冷静に考えるとその二つ、実際には1しかないはずなのだが、そのときにはなんだかぼんやりとしてしまい、不思議なことが、何か通常ではありえない不思議なことが起きて異次元に「消えてしまった」ような気分になる。周りのお客さんの視線が気になって、椅子の下を再度念入りに調べることが出来ない。
 文庫本はまだ読み終えていなかった島尾敏雄著「続・日々の移ろい」
 珈琲代を払うときに、文庫本が落ちていなかったか?と店員の女性に聞いてみる。ふと気付くと、すんごいきれいな若い女性だった。彼女はとととっと私のいた席に走っていき、というのも奥に長い広い店だったから、私の座っていた席の下からいとも簡単に文庫本を拾い出してくれた。いやはやどうもありがとう。
 いろんな写真を撮ったけれど、フイルムで撮った3本はまだ出来ていなくて、コンデジで撮った100枚の中には小さな店や町行く人や、食べたフォーやら珈琲カップが写っていたが、何故だかこの露出アンダーのぶれた写真が気になってしまう。暮れつつある空をバックにした木造アパートの、建物とトタンの(?)塀のあいだに植えられた木、その木になにか小さな青い実がなっていた。このあとストロボを使って同じ場所を撮ってみたが、これのほうが気に入る。

内田百けん ちくま日本文学全集

内田百けん ちくま日本文学全集

  

ダイジェスト版の内田百輭集。夜が早く来るこのころの気分が移って来る掌編があったのだが、どれだったのか・・・。また読み返してみようっと。