京都旅行 一日目


 (この8/8のことは8/14に書いています)
 茅ヶ崎7時台の東海道線青春18切符を手に京都へ向かう。熱海、静岡、浜松、と乗り換えの度にホームを駆けて、座席を確保していく。鈍行電車の旅もイメージほどのゆったりさもなく、かといって立って行くのもつらいもの。ついつい座席確保のための競争に参戦してしまう。昨晩、旅行に持って行く本を選ぶ。読書中の本をそのまま持っていけば良いものを、よくよく考えるとなんだかおかしいことだが、旅行気分を演出するための本選びのようで・・・。吉田健一「金沢」と小川国夫「アポロンの島」を選び、今朝になり荷物を軽くするために、吉田健一だけにする。今回はコンデジだけでなく、借りてきたEOS5D Mark2+EF17-40/4Lがあるので、荷物を軽くするために、一度入れた荷物を、最後にずいぶんとバッグから出してきた。iPODとか京都の観光本とかも出してしまう。熱海-静岡のあいだの電車の冷房が効きすぎの感あり、薄手の長袖のシャツを着るも、まだ寒い。
 吉田健一はなかなか進まない。吉田健一「らしさ」が確立していて、それを楽しむ面もあるのだから、ここは苦笑いするしかないのだが、同じことを書くにしても、どうしてこうも回りくどいのか?いや、でも吉田健一のことだから、この文体以外に伝えたいことを正しく伝えることはできなくて、ほかの書き方では「同じこと」にはならないのかもしれないな。こちらの読書能力が乏しいだけで。それでいつものとおり、この「金沢」は下手をすると一時間かけて2ページくらいしか進まない。書いてあることを読解しているあいだに、考えが本からはなれてプライベートな他のことを考え始めたりしてしまっている。そこまで含めて吉田健一を読むということなのだ、などと納得してみたり。
 名古屋で途中下車し、林林さんと合流。矢場とんは長蛇の列。そこでさすが林林さんの地元、彼は地下街の曲がり角をひょいひょいと進み、カウンターのみの居酒屋へ。そこで、どてにこみとかつの「どてかつ定食」を食べる。そのあと、さらに喫茶コンパルに移り珈琲。私は最近は携帯電話からウェブにアクセスしてヤフーの路線検索から電車時刻を調べているのだが、林林さんは(紙の、月刊の雑誌(でいいのか?))時刻表を手にしている。紙の時刻表で調べると、当たり前だけれど、時間軸方向で電車の動きを俯瞰できて、一本後だとどうなるか、とか、すぐに判る。ぺらぺらとページを繰る手つきも旅なれた感があって良いものだ。携帯電話をパケット使い放題にしたのはつい二年ほど前で、それまでは私も時刻表を本屋で買って旅行に臨んでいたのだが、すっかり時刻表の良さを忘れていることに気付く。林林さんが「やっぱり、(紙の)時刻表でしょ!」と言う。
 食事と喫茶を終え、ここからは二人道中。名古屋までは一枚も写真を撮っていなかったが、電車も空いていたころもあり、トートバッグからカメラを取り出し、車窓風景を撮ったり、最近再刊されて読んだ(読んでいる途中)のボルヘスの本のことを話したりする。先日この「続々ノボリゾウ日録」にも書いた、大勢の人が写真を撮って時代を記録している、と書いていた、関西の某さんのブログに感じたことなどを話題にする。東京都写真美術館で開催中の「旅へ第二部」では、牛腸茂雄森山大道アラーキー須田一政北井一夫、等々、1940年前後に生まれた日本の写真家の代表作がずらりと並んでいて素晴らしいのだが、それぞれの中の一枚を取り出すと被写体の共通性があることを感じたのでそのことを話す。例えば葉裏を見せている強風の日の街路樹とか、開店前の真っ昼間、晴れの日の歓楽街で伸びをしているバーテンとか、近い図像が複数の写真家にまたがって見受けられ、それらの図像はその後も今でも引き継がれているものもありそうだ。時代の流れという長周期の流行の上に乗ったなかで個の個性がやっと見えてくるということなのか。その長周期までを打破することは出来るのか?アッジェやエバンス、フランクやクライン、はそうだったのか?
 牛腸さんの写真はウィノグランドに似ていると思った。ほかにも誰が誰に似ているというのが少なからずあって、それは上記の時代のうねりが現れているのかもしれないが、でも須田さんの風姿花伝は独立している感が強いのではないか?と投げかける。こんな風に林林さんとの会話が弾む。
 大垣で途中下車。駅前通りをまっすぐ歩きお城のあたりを散策。駅前通りの商店街は三階建てくらいの雑居ビルで出来ていて、このいくつも並ぶビルは相当に古そうだ。昭和40年代くらいのものなのかな?
 それで裏通りからそんなビルの階段をそっと行きを潜めて上がってみる。誰もいない。廊下の片隅にピンクの花を付けた鉢植え(上の写真)。さらに廊下を進むと、洗濯機が並ぶ。一階の通りに面した商店がきらびやかなのとは対照的で、このひっそりとした、時代を経た建物だけがもつ壁や廊下の、年を経た人間の皮膚と同様の、光景がビルの本体を見せている。大垣マッサージなどという看板も掲げてある部屋も。そっと引き返す。振り向くと「あんたらなにしてんの!」といつの間にか登場しているおばちゃんに怒られそうな気がするが、誰もいなくてほっとする。


 大垣商店街のかつらのお店なのか?化粧品屋なのか?の、ショーウィンドウ。すごい。漢方薬のショーウインドウのようだ。


 京都には6時過ぎに到着。堀川五条のビジネスホテルに泊まるという林林さん。彼がチェックインしているあいだ、堀川五条増田ビル三階の「うつわhaku」に立ち寄り、店主であり陶芸作家のヒロスエさんと小一時間話す。淡いクリーム色の煮物などを盛り付ける鉢がとても気に入ってしまう。次に来たときにもあったら買おうと思う。ヒロスエさんは釉薬の研究に非常に熱心に取り組んでいる方で、いつもお話を聞くと感心する。陶芸はやったことがないが、偶然と必然の境界線でどれだけ偶然を必然に取り込めるか、みたいなところが力量になるのか?両の掌にその鉢を載せたときの感触が心地良い。
 ヒロスエさんと別れ、林林さんと五条通を西へ歩く。雲が夕焼け、すぐにその紅色が消える。鴨川を渡ると、堀川通り沿いは陶器祭りでずっと陶器を売る屋台が並ぶ。

 

 陶器市から折れて六波羅蜜寺へ。お盆の精霊をお迎えするための行事がこの六波羅蜜寺と近くの六道珍皇寺で催されていることを事前に調べておいた。六波羅蜜寺のHPによれば「本堂内で灯芯による大文字を点じ、七難即滅・七福即正の祈願が空也上人以来の伝統行事として修ぜられる」とある。夜の八時になるとこの写真のような形(字?)が灯された。近所の方なのか三々五々やってきてはちゃんとこの行事の通りの手順でおまいりをしていく。なんだかカメラを構えて、傍観者的にいるのが居心地が悪い。そう感じるのはこの行事がまったくもっと現在においても市民に溶け込んでいて観光とはかけ離れたことだからなのか。


 六波羅蜜寺から建松商店街を通り、六道珍皇寺へ。お参りを終えたらしい老夫婦が自宅へ帰るために路地を折れて暗い道の奥へと消えていく。ここはあの世への入口だそうだ。お盆の精霊をお迎えするにあたり、エアポートとかターミナル駅とかあるいは外国航路の港のような場所にあたるということだろうか。先祖の霊をお迎えするための迎え鐘は屋内にあって、そこから鐘をつく縄綱だけが外にでており、その縄綱を引っ張ると鐘が鳴る。どういう仕組みなのだろうか?その鐘付きの列が延々と住宅街の遠くまで続いている。ご本人ももう亡くなってしまった高田渡のブラザー軒で、死んだ親父と妹が氷水を食べにブラザー軒に帰ってくるのはやはりお盆のことだったのか?
 林林さんと、幽霊なんかではなく、本当にそこに生きているように、亡くなった人とすれ違うかもしれない、などと話す。

 六道珍皇寺十界曼荼羅の前では子供に地獄の怖さを教えているご家族がいた。小さいころから京都で育つということは、こういうことなのか、と驚く。

 このあと建松商店街のカフェ芝洋でビールを飲みつつ、夕食。カキ氷を作る手回しの器械にはスプートニク号とか天文台の絵が描かれている。昭和40年くらいのものかな・・・。芝洋は高松に本店があるそうで、このお盆のお迎えの行事に合わせ本店からの応援の方も入って接客。次々とカキ氷が売れている。この店は以前は豆腐屋さんだった建物を使っているそうです。
 そののち三条まで写真を撮ったりしながらぶらぶらと歩く。
 私は京都にいるあいだTのマンションに泊めてもらうので、林林さんとは三条の駅で別れて一乗寺へ。天気予報を見たら明日8/9と明後日8/10が雨となっていて驚く。つい数日前まで今週はずっと快晴の予報だったのだが・・・
 明日はどこに行こうか・・・