海を見る後姿


 正午過ぎに家を出て、JRと満員の江ノ電を乗り継いで由比ガ浜へ。乗り換え時間が多く、13時20分ころに着く。駅から歩いてラ・ジュルネへ。満席に近いがなんとか家族連れに相席させていただき、やがてカウンター席が空いたのでそちらに移動。カウンターは山のようにボールに積まれた野菜とか、その他の調味料やらに占領されていて一席分しかない。そのカウンターに座っていると、厨房内のものすごい忙しさ、効率的立ち回り、どんなに忙しくても笑顔の絶えない明るいやりとり、といった様子が手に取るように判る。あれはもうスポーツだね。様子が判るが、それをじっと見ているっていうのもなんだか覗き魔みたいだから、なるべくしらっとした感じで読書などをしている。そのうち青木淳悟の「クレーターのほとりで」の残り30ページくらいを読み終わったのだが、これは読み終わったと言えるのか?そもそも保坂さんの解説にもあるように「なんだかよく判らない」というところを基点としての読書を仕掛けてくるような小説であるところに持ってきて、厨房の様子に興味津々で心ここにあらずなので、一体何が書いてあったのか?もうこれはただ視線が字を辿って行ったに過ぎない。

 で食べたのがこのチキンカレー(スペシャル)。ライス、チキンがゴロゴロ入っているカレー、ものすごい量の葉っぱ系サラダ、目玉焼き。にこにこ笑って食べているとayaさんにまたぞろ笑われそうなので、ちょっと仏頂面をしてみたり。でもカレー、大満足でございました。今日はカレーが食べたくて、何軒か候補が浮かんだのだったがジュルネにして正解だった。写真にすると量の多さがイマイチ伝わらないが、相当の量です。
 11月に行なう写真展のDMを何枚か置かせてもらう。DMに使った手ぶれしている月の写真、手振れの軌跡がアルファベットの「W」に見えると思っていたのだが、ayaさんがDMを見て即そう指摘したから、やっぱりそう見えるのだな。
 写真展のタイトルscratch noise connectionにはちゃんと理由があるのだが、小難しい理由を考えるより、単純に「W moon/二つの月」とかいう目くらましタイトルの方が良かったかな・・・などと考えたりした。

 ジュルネの後、由比ガ浜に出る。昨日の花水川河口の海に比べるとやはり鎌倉の海は人が大勢。砂浜で写真を撮るとなると、結局は昨日の日記の写真みたいな海を見ている人の後姿みたいなのが雰囲気もあってイージーでそれなりな感じ。そんなのをまた何枚か撮ったけれど、どってことないから今日は載せない。
 だいたい撮っているときから、そんな写真しか撮れない状況がイマイチ感で写真を撮ろうという気持ちが盛り上がらない。これもまた相変わらずの曇天のせいもあるのだろうな。あるいはもっと暮れ時になると風景も違って見えてくるのか・・・。しかし、そんな風に天気や時刻のせいにすること自体、写真に関して、ここでなにやら偉そうに書いてきていることと矛盾している気がする。

 坂ノ下の狭い路地をうろうろして、力餅屋が混んでいるのにびっくりして、御霊神社を通り、長谷寺の駐車場裏から長谷駅から大仏に向かうバス通りに出たら、これまた歩道から溢れそうな人波。江ノ電は満員で下手をすると乗り込めないのではないか?と懸念し、由比ガ浜商店街を歩いて鎌倉駅まで。上の写真はその途中にどこぞの雑居ビルの階段を撮ったものです。なんで階段に置かれたスピーカーなどを撮るのか?自分でも判らない。自分でも判らないが、でも撮っている。そういう判らない写真を集積して何かが見えるか見えないか、うねうねとそれを考えつつもまたぞろ写真を撮る、という行為があえて言えばテーマだったりするのではないか。

 茅ヶ崎に戻ってから、出来てきたDMを渡しにカフェ・ハッチへ。窓を開け放ち、外が暮れ時になり、そういう状況の店内はいい感じだった。そういう中で珈琲を飲みながら、店に置いてあった2000年ころに開催されたらしい細江英公写真展の図録をめくる。その作品をせいぜい薔薇刑くらいしか見たことがなかったのだな、私は。それで鎌鼬シリーズとかを初めてみたのだが、印象深い。