横浜


 このGWはずっと好天に恵まれる様子。3日は横浜を歩いてきた。
 JRで桜木町。駅では、今日は混雑が予想されるので帰りの切符を今のうちに買っておいたほうが身のためであるぞ、と放送している。GWだから多くの人出が予想されるからそういう放送をしているのだな、近隣には地下鉄やみなとみらい線とかの競合鉄道も走っているから、最初に切符を買わせて乗客を抱え込もうと言う戦略なのか、とも思ったが、そうではなくて、毎年GWに開催される「横浜みなと祭国際仮装行列」というのが、桜木町の駅のすぐのところを通るそうで、それで放送が掛かっているのだった。
 駅から日本丸の横を通って汽車道(昔の鉄道線路跡を遊歩道にしている)を歩く。両側が海で、横浜ランドマークタワーとかが波のない海面に映っている。船が通ると、船の起した波のせいで映った影がぐにゃぐにゃに姿を変えるのが面白い。私の息子が小学生の低学年だったかの頃、この汽車道が途中まで完成したころに、ここを渡った先は波止場の倉庫街だった。いま、汽車道を渡った先は遊園地とワールドポーターズ(ショッピングビル+シネマプレックス)になっている。子供が子供だったころに、小さなビニールボールを使ってそれを転がして、二人で順に転がったボールを蹴ってパスをして、それでそのボールが海に落ちないように上手くパス交換を続けて汽車道を渡りきったことがあった。勿論、ときどきそのボールは海に落ちそうになり、必死に追いかけてなんとかぎりぎりに足先を間に合わせたりして、そういうことが上手く行くと楽しい。それで、そうだそれは冬だったのだ、すっかり体も暖かくなって、息もあがって、渡りきった倉庫街を歩いて行くと、陶でできた犬のリアルな置物が海の方を向いて置かれていて、その犬の置物の後姿とその向こうに立っているランドマークタワーを写真に収めた。そのあと、五百円玉を拾った。子供はお金を拾うというのが初めてのことで、小学校では、貴重品や人の物を拾ったら交番に届けましょう、と教わっていたのだろうから、私がその五百円を使って誰もいない倉庫街に置かれたジュースの自動販売機で何か飲み物を買ったときに息子はそれがとても悪いことをしていると思ったのか、何度も「いいの?いいの?」と聞いてきたと私は記憶している。しかし、いま、大人になった息子は、そのお金でジュースではなくて、従兄弟にお土産を買ったのだと言っている。
 今思うと、そのとき私は拾った五百円を交番に持って行くべきだったのだろうか?世の中の大人で五百円を拾って交番に持って行く人は果たしているのだろうか?いや、必ずそういう人はいらっしゃって、それが当然だと思っている方は、ここで私が「?」をつけて書いていることに驚くのだろうな。
 この日のことがとても楽しかったので、そのすぐ翌日だったか、あるいは一週間後かもしれないが、今度は家族四人で同じ場所に行ってみた。ところが、最初の楽しかった日が快晴だったのに、あらためて行った日は曇りで、楽しかったことはその通りに再現なんかできないことに、今更ながらに直面した感じだった。何しろそのあらためて行った日には、あれだけ奇跡の連続で海に転げ落ちなかったビニールボールは、すぐに海に落ちてしまったのだった。
 いままで家族で、いろんな場所に、買い物にいったり外食に行ったり、公園に行ったり動物園に行ったり、キャンプに行ったり長い旅行に行ったり、しているわけだが、そういう大きな家族イベントよりも、例えば上に書いたような些細な一日が些細ではない重要な記憶となっている。ほかにも「(そのときは)些細で(今となっては)重要な」記憶はたくさんある。誰でもそうなのだろう。想い出は「想い出作り」で作るものだけではなくて、今になって何が想い出になっているか初めて知るような面があるということだろう。
 というようなことを同じ場所を歩くことで、思い出すわけだった。

 そしてそういう想い出は、そのあと、赤レンガ倉庫を通り、大桟橋へ立ち寄り、山下公園から元町、トンネルを抜けて山手の中華料理「奇珍」に寄って天津丼を食べ、山手の長い直線の商店街を歩き、山元町の森林公園まで坂を上った、そういう今日のコースのそこここに潜んでいて、いちいちここに書いていけばそれだけで厖大になってしまうのだった。

 一つだけ書いておくとすれば、数年前に病気で若くして亡くなった友達のK君は、私が山下公園コンタックスTだかで撮った「海を見る網タイツとタイとスカートを履いた長い髪の女性の後姿」の白黒写真をとても気に入ってくれていたということを思い出した。K君のことは薄情にももうずっと思い出すこともなかったのだが、そのときは、自分勝手になんだかとても悲しくなったのだ。私は、K君の撮った写真を何枚か思い出した。

 写真は横浜大さん橋。おすすめです。