横浜をTイトウさんと歩きつつ写真展を振り返る


 今から思えば四月中に終わった個展「TRAVIS LINE」を創るのは、ハードワークだった。正解がわからないことの積み重ねは不安定で、自分なりのときには勝手極まりない納得を手掛かりにしていかなければ進まない。写真を撮る意味、というか発意の源、やら、展示することへの同様の疑問から始まり、それぞれに口上または口実を作ってはまがりなりにも進めて行く。
 最初は写真の選択。いやその前に、自分の写真の特徴をなんとなくはなんとか把握し、どこまで狭く、どこまで広く、写真を選ぶかを想定や妄想し、それに相応しい会場を探すのだけれど、当然ながらお小遣の貯まり具合も条件になるしピッタリの会場もなかなか見つからない。
 一方で写真の選択。しかしこういうのは順番をちゃんと踏んでは行けないから、ある日突然に、選択していた候補写真が入れ代わることもあるだろう。例えば誰かの写真集や展示や展示方法が、何か…自分の気持ちに?少なからず作用して、その効果が「一から見直す」ということになるかもしれないし。タイトルを決め、DMを作り、プレス文を考え、万が一でも写真展に合わせて写真を掲載してくれることを期待して数十枚のポートフォリオを雑誌社に送ってみたり、そういう実務が進むと、後戻りの余地はどんどん狭まる。それなのに毎日「今、現在」は変化して、震災が起きたことを初め、いろんな「今」が揺すぶりをかけて来る。
 だから須田先生や、ニセアカシア同人に意見を聞いてはそれをよりどころに、小さなプリントを自宅の床に並べては、「今」に左右されない「勝手な納得」に補強された選択と順番を決めて、ある日にもうこれで決めると決心して、迷いの部屋のドアに鍵をかけてしまえ。
 そんなこんなで常にはない頭の使い方をするからふと気付くと疲れている。そうそう、あと額をどうするかやサイズも、逡巡を乗り越えるのにパワーが必要。
 例えば須田塾グループ展ならば先生のセレクト、並べ順の指示、サイズや額装方法のコメントに従えば良いのだけれど、個展を創るのはかくのごとく厳しい。

 その疲労と引き換えに達成感が得られたとか、良い評価が得られたとかの成果がほんの少しだけあればやったかいがあるというもの。今回も一人一人への御礼はできていませんが、このブログの写真を見て会場に足を運んだとノーツに書き残して行って下さった面識のない方もいらっしゃって有り難い限りでした。仕事の依頼が来たとか、写真が売れて儲かったとか…たまたまギャラリーに来た異性とジョンとヨーコみたいな世紀の恋が始まるとか…まさかね、そんなことは起きないのだ。そして、こうして疲労困憊して創った写真展は、若く感性豊かな写真家が、直感に基づいて理屈抜きで、身軽にひょいとだったり、悠々とだったりしつつ見せてくれる、斬新性や攻撃力や、適度なラフさや連動が奏でる音楽(のようなもの)には敵わない。
 すなわちそういう直感や感性が年とともに否応なしにがんじがらめになっているから少しでもそこから抜け出すために理屈や納得を一つづつ積み重ねざるを得ず、その重さが疲労になるのだった。

 以上、本日、Tイトウさんと野毛、日ノ出町、横浜橋、伊勢佐木町、などを散歩した途中に寄った喫茶店で写真展について、いろいろとしゃべったので、こうして振り返ってみました。 イトウさんと合流する前に一人で森林公園にも行った。芝生のそこここに遊ぶ人たちが写真の画面の中に散らばるその散らばり具合に「写真的な」妙味が出る一瞬を探しているのだが、ふと思えばそんなことはくだらない。

 自分の写真展のことは自分ではよくわからないが、今年になってから写真仲間の個展やらグループ展がたくさんあって、全部は無理でもなるべく見に行く。リーマンショック後にはあまりやる人がいなかった気がするから二年経って反動が来たのかな?
それらの全体的感想は、展示される前に小さなプリントやセレクト前の写真の束を見せてもらったときに受けるその人「らしさ」、インパクトの強さを出しきれずに、どちらかと言えば「小さく無難に」まとめてしまったな、と思ってしまうことが多かった。ときにはその写真家の特徴とこちらが思っていたことが、すっかり抜け落ちてしまっていて、あれれ?と思ったりもした。(そんな中で、千葉紀子写真展「はろばろ」、平田麻衣子写真展「 息すること」、田中優美写真展「LIFE」が印象として残っているが、なぜかみな女流ばかりだ・・・)

 横浜橋のアーケード街はいつも活気にあふれている。近所の方が例えばジャージ姿で惣菜なんかを買っていく。Tイトウさんは、近くにこんな商店街のある町に住んで、休日の午後にふらふら歩いては美味しそうな惣菜をひとつふたつ買い求め、部屋に戻って安酒を飲みながら、やっと暖かくなって開け放たれた窓から聞こえる町のざわめきに耳を澄ませつつ、味の濃い惣菜を食べる、そんなのが「いいなぁ、憧れるなぁ」と妄想していらっしゃる。
 アーケードを抜けて、演芸場も通り越すと古いパン屋を見つけた。イトウさんはピーナッツパンを私はハムパンを、歩きながら食べた。なんのことはない、ありきたりの甘めのコッペパンにバターと芥子を塗った、そこの構成による味が最高なのだった。

 夜には渋谷へ移動。須田塾修了展「デンドロカカリア」を見る。宮本さんのウルトラマンフィギュアシリーズの異様な迫力は写真が大きくなると更に増していた。
 その後、ニセアカシア同人で久々に編集会議。第二号に向けて話し合う予定でいたが、別の話題ばかりになった。