決めている


 川上弘美著「どこから行っても遠い町」(新潮文庫P318)
『おれは何も決めなかったと思っていた。決めているのは、おれ以外の者たちなのだと思っていた。でもそれは、違っていた。
 おれは、生きてきたというそのことだけで、つねに事を決めていたのだ。決定をする、というわかりやすいところだけでなく、ただ誰かと知りあうだけで、ただ誰かとすれちがうだけで、ただそこにいるだけで、ただ息をするだけで、何かを決めつづけていきたのだ。
 おれが決め、誰かが決め、女たちが決め、男たちが決め、この地球をとりまく幾千万もの因果が決め、そうやっておれはここにいるのだった。』

 吉田拓郎春を待つ手紙
『誰もが誰かを 恋しているんだね
それは当てのない はるかな旅なんだね
旅する人には 人生の文字似合うけど
人生だからこそ 一人になるんだね
ここでも春を待つ 人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人』

 昨日の金曜日は電車の中で川上弘美のこの本を読んでいた。最初はよくある商店街を舞台にした連作物でほのぼのと話が続くものだとタカをくくっていた。とんでもなかった。2011年の、この特別に悲しい年にこの本を読むと、低温火傷のように心の奥底に浸み込んでしまったさまざまな傷を、その表面だけを繕うことなく認識し、そこから立ち上がる勇気の芽吹きを感じることができる・・・かも。
 元気をくれるとかの直裁なことではなくて、浸み込んでしまった火傷を奥底からそっと治すような。
 それで、あるはなしと次のはなしのあいまに吉田拓郎なんかも久しぶりに聞いたわけです。すると本からも歌からも、時間の流れる、という当たり前のことが、どかんと迫ってくる。
 写真が流れる時間の中に存在していた一瞬の光景を、視覚を使ってのみの不明瞭で不完全なものであっても、とにかく少しはとどめてくれるのならば、それは深呼吸のようなことかもしれない。

どこから行っても遠い町 (新潮文庫)

どこから行っても遠い町 (新潮文庫)


 土曜日、22日。午後、恵比寿の東京都写真美術館にて畠山直哉展。恵比寿駅からスナップ写真を撮りながら都写美に行こうとカメラを取り出して、最初の一枚を撮ったら「メモリーカードが入っていません」と出る。げげっ!しばらく恵比寿駅周辺をうろついてコンビニやら無印良品やらを探したがメモリーカードを売っている場所が見つからない。そのかわり、駅ビルの本屋に長い列ができているのに出くわし、誰がサイン会をやっているのだろうか?と野次馬根性で見に行ったら、川上未映子氏がいらっしゃった。わっ!川上未映子だ!と思う。テレビや雑誌で見たとおりのご本人だった。
 結局、SDメモリーカードは恵比寿のあとに渋谷に行って、ビックカメラで購入。その後しばらく渋谷の街をスナップ。
 7時より、ニセアカシア会議。そのビックカメラの隣の書店のあるビルの二階のカフェにて。