写真展の御礼など


 2/4-26まで京都のmocomococafeにて写真展LONG TONE PRACTICEを開催いたしました。その感想ノートが昨晩、手元に戻ってきたのですが、たくさんの感想を書いていただきまして、ありがたく思っています。昨年、TRAVIS LINEという写真展を開催したときに、ご覧いただいたさる方がツイッターで「多くの写真家の作品の影響を受けすぎている気がした」といった感想を挙げてくださっており、それは確かにそうだろうな、と反省というか事実確認というのか、どうしようもない事実だと思ったのですが、今回のノートにも「理策さんや里佳さんの写真を想起する」というコメントを書いていらっしゃる方がいて、それぞれ好きな写真家なので、大家に似ているというのはおこがましいものの、意識してはいなくてもそういう好きな写真家の作品に影響を受けているのだろうことは紛れもない事実なのだろう、と思います。数年前だと、自分らしさが出ていないという指摘だととらえ、そういう感想にがっかりしたり発奮材料にしたりしていたと思うのですが、いまはなんというかな、そうだよなあ、と思うわけで、それって良いのか悪いのか?

 書いていただいた感想からいくつか(そのままの文章ではなくアレンジして)ここに転記すると、
・写っている人物は小さいが、空白が迫力になっている
・トリミングをして1:1や6:7にするとまた違った印象になりそう
・夢の中で見たようななつかしさ
・眺めていると旅に出たくなる
・ノスタルジックで少々悲しい
芭蕉の俳句を連想
・白の力に頼りすぎ
・白のやわらかな光は、人の心のやわらかさと似ている
・何かが始まり出す直前の瞬間のよう
・何かを思い出せそう
・撮影場所データと題があると作者と鑑賞者のあいだに思いの行き来が出来て想像がより膨らむのでは?
等々。写真に写っていることの具体性を見てもらうより、そこから鑑賞者側の記憶なり想像なりを刺激する触媒作用をもたらす写真を作りたいと常々思っているので、いくつかのコメントはその思いがそのまま達成されているようで嬉しいし、一方で、こうした方がよいといった指摘は次回以降への参考となりこれも貴重なコメントです。

 上の写真は、展示した写真の中の一枚で、2010年に阿蘇で撮った写真。今回の写真展の展示作品を選ぶために写真データをずっと遡ってみて行ったときに拾い上げた一枚でした。

 さて、今日3/4、またも朝からどんよりと雲が垂れ込めている寒い日。今日は3/17から鵠沼のあとりえ梅庵で開催するニセアカシア同人によるグループ展のための作品データを作ってネットプリントに送ったりして過ごす。
 未読の本がまたまた溜まってきてしまった。これも円成塔に時間がかかっているせいではないか!って別に趣味の読書で焦って読む必要はないのですが。
 ところで、最近読んだものでは、アサヒカメラのホンマタカシ×木内昇の対談は面白かった。後日その感想を書こう(といまは思っている)