春らしい日曜日


 3/10以降、休日は梅庵に行っていたので、この土日は久々のフリーだった。土曜日3/31はまたもや荒天。自宅のあるマンションは築20年目の大規模修繕工事に入っていて、建物全体を足場とネットに覆われている。そうなってからずっと日がささないし、そのうえ工事の方の目を気にしてたいていはカーテンを閉めてしまっている。そういう状況なので、外は春めいてきていても、室内はずっと寒く暗い。冬の中に置き去りにされたみたいだ。土曜日は、一日中、ふとんの中にくるまって、読書とテレビに明け暮れていた。そして夜になって家族のSとMと、一年振りらしい外食焼肉にでかけた。私はすっかり忘れてしまっていたが、一年くらい前に、計画停電の日に、停電時間中に焼肉を食べに行ったらしいのだ。ところが焼肉はここと決めていた、H市のKという店まで車で行ってみたら、なんと焼肉店だった店舗をそのまま使って焼き鳥+釜飯の店に様変わりしていたのである。しかし、今晩は焼肉、と決めていたので、同じ国道沿いにある別の焼肉店に入って一年振りの焼肉を食べてきた。
 行きつけの店が、ここのところ次々に閉店している。茅ヶ崎営業所神奈川中央交通バスの乗り方が中ドア乗車に全面変更になった。たまに使っていた朝6:16茅ヶ崎発の下り静岡行はなくなった。暮らしの中にあって、変わらずあってほしいものが、いくつか重なって変化すると、望まないのに変わることを余儀なくされるようで、なんか溜息が出つつも「しゃあないなあ」と言って、別の対応を考えねばならないですね。
 年齢とともに、飛蚊症が急に発生したり、アルコールがダメになったり、夕飯をたくさん食べると朝に胃がひどくもたれるようになったり、そういうのも近いかもしれない。「しゃあない」と言って、重い腰をあげ、めんどくさいけどとにかく別の対応を考えねばならない。
 でも部屋が寒くても、今日の日曜日のような快晴の日が来ると、ほっとしますね。今日は、下北沢→南青山→有楽町→日々谷→銀座と散歩。前半は一人、後半はMが合流。下北沢はただの散歩。青山はナダールでニセアカシア仲間の松本さんが参加している写真展を見学。有楽町で昼食。日比谷公園は大勢の人が集まって読書したりぶらぶらしたり弁当を食べたりしていた。座ったベンチの隣のベンチには、四〜五人の会社の仲間で集まって、買ってきた弁当とビールで、あとはなんとか君はどこぞの出身だったっけか、とか、私最近目がかすむんだよね、とか、たらたらとしゃべっているのが聞こえてくる。これがなんだかすごく微笑ましいのだった。
 銀座では歩行者天国を歩く。こんなに人がたくさんいる銀座の歩行者天国を歩いたのは初めてかもしれない。途中パンのきむらやで買ったアンパンを、置かれたベンチに座って食べたりしたな。

 下北に行く途中、藤沢から乗った小田急線は途中で止まってしまった。十分ほど。いやにクリアな声の車内放送が流れた。「町田相模大野間で動物が線路内に立ち入ったために車両検査をしています」
 動物も春に浮かれ出たか!よくよく思い出しても、動物立ち入りで電車が止った経験は初めてではないか?エイプリルフールなので、小田急も冗談を言っているのかしらん。動物は猫だったのか犬だったのか、タヌキやキツネや、サルやイノシシが出てくるような場所ではないだろう。

 ときどき、このブログとかの「ネタ」になりそうなことを、聞いたり思いついたりすると、携帯のメモ欄にちょこちょこっと覚書を残す。しかしそのまま放っておくと、それを読んでもなんおことだったかわからなかったりするのだった。だから忘れないうちに書いておこう。
 先日Yさんに聞いたはなし。ジャズアルトサックスのチャーリー・パーカーはあるときまで凡庸なプレイヤーだったが、あるとき、山にこもってしまい、山から下りてきたら天才プレイヤーに変貌していた。彼は山で、33と1/3回転のレスター・ヤングのLPレコードを45回転で再生し、それをコピーしていた・・・なんて噂というのか伝説というのか、そういう逸話があるそうだ。この話を聞いたときに、なんだか村上春樹の小説みたいな話だなと思った。凡庸という単語が春樹的なのでそう感じたのではないか。

 ブローティガンが好きだと言いながら、まだ読んでいない「ビッグサーの南軍将軍」を読み始めた。昨日は「愛しの座敷わらし」読了。
 今晩は、レンタルDVDで「大鹿村騒動記」を観ました。

 写真は上が表参道。下が下北沢。先日のブログで「写真は、常に新しい」というようなことを書いたが、その後、そうではない場合もあるな、と考えていたりしていますが、今度考えがまとまったら、書くことにトライしてみる、かも。