快晴


 快晴。神奈川県立近代美術館鎌倉館で石元泰博桂離宮」展。農協即売所、御成商店街、古書公文堂にて岩波写真文庫の「雪の結晶」「星と宇宙」購入。「雪の結晶」は中谷宇吉郎監修。岩波文庫中谷宇吉郎先生著の「雪」に出てくる人工雪実験装置の写真も載っている。
 公文堂からすぐの由比ヶ浜公民館でブックカーニバルinかまくらが本日開催。余白やさんも出展とのことで行ってみると、すごい人出。満員電車のように混んでいてびっくり。一箱古本市といった感じだが、リトルプレスを売っている方もいらっしゃった。
 茅ヶ崎に戻り、家族と合流して昼食。それから、家族の某が買うものがあるとかで、自家用車で辻堂の湘南モールフィルに行く。家族の某が買い物をしているあいだに歩いて長久保公園へ行ってみる。温室とハーブ園を写真を撮りながら見学。

 先週、サッカーのワールドカップアジア三次予選だかで、日本代表が二試合を戦ったので、テレビ観戦をしたのだが、得点シーンの直前のボールの動き、たとえば今野選手から前田選手に縦パスが入って、それから本田選手と短いパス交換のあいだに、サイドに香川選手が駆け上がり、そこに出たボールがセンタリングされて、最後は本田選手が決めた、みたいな球と選手の連動の動きを、リアルタイムで観戦していて全然覚えてられないことに驚いた。たぶん十年とか十五年くらいまえには、上に書いたようなことをリアルタイムで記憶できていた。それがいまは、スロー再生および解説者の説明がないと理解できなくて、リアルタイムだと「えぐったサイドから誰かがセンタリングを入れて本田選手が決めた」しか判らないのだった。
 それは、ゴールが決まったときが「今のこの瞬間」だとすると、その「今この瞬間」に至るまでの数秒もしくは十数秒の過去からのつながりをどこまでさかのぼって覚えていられるか、という記憶能力だと考えると、加齢とともに記憶能力は衰えていくからしょうがないといえばしょうがないのだが、時間とともに時々刻々と人間の聴覚や視覚や嗅覚や触覚やらの「センサー」が検知していくインプット信号が変化していくことを鑑賞の前提としている、小説や詩、映画、音楽、などほとんどがそういうことで、それらの鑑賞能力は上記の記憶能力によるところが多いのではないか?だから若いときの方が、そういうセンサーとメモリーみたいな部分の鑑賞能力が優れているのではないか。これが感性が豊かということの一面を表しているかもしれない。でも、鑑賞のその全体はそういうふうにインプットされたことを、今度は個人の頭のなかで構成されている価値観みたいなこととかと比較検討されながら消化というか昇華されて、それではじめて鑑賞の感想とかが生まれるわけで、その咀嚼の部分ではもしかしたら経験がものをいう場合もあるから、若い人の方が鑑賞能力が優れているとは言えない。
 とすると、若いころに聞いたり読んだりした音楽や小説があって、それを年を取ってから再度考察するという行為が、いちばんいいのかな?
 とかなんとか、ここ数日考えていることです。サッカーから。

 上の写真は鎌倉農協即売所にて。水色のケースのラインの位置が気に入ったので載せた。下は長久保公園のいついっても誰もいないこじんまりとした温室。