倉敷 大阪中崎町 京都


 昨日、倉敷の蟲文庫というたぶんちょっと本好きのあいだでは知られている古書店に夕方の五時頃に行って見たのだが、早仕舞いしていたから、今日の昼頃に行ってみた。こんにちは、と、引き戸を開けながら言ってみたが、これもたぶんちょっと知られている女性の店主の方は、一心不乱にパソコンでなにやら作業をしていらっしゃって見向きもされなかった。
 あとで妻にこの話をしたら、古本屋に「こんにちは」と言って入ることってあんまりしない、それがまず変である、と指摘された。なるほど、こっちはちょっと知られている店主を雑誌やご当人の書いているブログやらでちょっと知っているから、いつのまにかその気になって友達感覚みたいなことがゼロではないという間違いの結果、こんにちは、なんて言ってしまったということだ。それでもそのときには、見向きもされなかった(もしかしたら第一にこんにちはの声が引き戸を開ける音に掻き消されて届かなかった可能性もあるのだ)のでしゅんとしてしまい、数分だけ棚を見て早々に退散してしまった。それでも善行堂から新しい神林暁の本が出ているのを知ることができた。「昔日の客」が古本で一冊出ていた。新刊本も置いてあって、その差額が600円で、さもありなんという価格設定だという気がする。気を引き締めて我慢して買わなかった。
 この蟲文庫の近くに小物屋とポストカード屋さんがあった。いや、本当はそれだけでなくていろんなものを売っていたのかもしれないがそれだけを覚えているからそう書くしかない。小物屋の方には日本の怪談話に出てくる妖怪の小さな人形(何で出来ているのかな、粘土みたいなものに着色?陶かな?)なんかが置いてあって、見ていったら、少し大きな、七センチメートルか八センチくらいの全長の「件」の人形があった。と、ここまで書いて来てこれが「人形」でいいのか判らない。もしかしたら「フィギュア」というのか。
「件」(くだん)は内田百間(本当は門構えに月)の短編集「冥土」に収録されている「件」の話に出てくる通り、身体は牛で頭は人間だった。人形の件の顔は呆然自失というか達観というか無表情で、その人形は五千円と書いてあった。この人形はこの店のオリジナルなのか、それとも件人形はどこかのおもちゃ屋がそれなり(大量ではないだろう)の数を作って流通しているものなのか?とか、くだんは内田百間の小説で取り上げたられただけでそれ以前にもくだんの話はあったのか?とか、くだんの人形に出会って様々な疑問が出てきてしまった。
 買わないで出る。
 ポストカード屋さんは今年で七十いくつか(そのとき店の人に教えてもらったのにもう忘れてしまっている)になるカメラマン、結婚式とかを撮影していた写真館の主人のような方だろう、そのカメラマンが昭和四十年代や五十年代に趣味で撮ったという鉄道写真や倉敷の町の写真をカードにして並べていた。そのなかにいまの水島臨海鉄道倉敷市駅の、いまはもうなくなった古い木造駅舎の夜の写真、裸電球が待合室にぶら下がっている写真があって、そのポストカードを二枚購入した。吉田篤弘の小説に出てきそうな、見た限りはレトロでメルヘンチックな駅舎。犬がいる。
 倉敷で昼食をとってから在来線と新幹線を乗り継いで大阪へ出る。中崎町のzine専門店のブックスダンタリオンに行ってみる。三つ購入。隣りの革細工とアクセサリーの店にいた革職人の若い男の子としゃべる。この男の子の作る革鞄にはhufenというブランドが付いている。由来は日本語の普遍⇒ローマ字に直してfuhen⇒fuとheを入れ替えてhufenという説明。しかしそのあとhufenというドイツ語の単語があることを知ったそうだ。それで慌ててドイツ語辞書を調べた。いや「慌てて」などと彼は言ってなかったな、慌てなかったかもしれない。そうしたらその意味は変な意味ではなかったから安心したとのこと。
 さて、そこでは彼からその意味を教えてもらったのだが、いまはもう忘れてしまったから、話がうまく落ち着きません。

追記 いまネットの辞書機能で調べたらhufenは蹄となっていた。