倉敷


新幹線で小田原から岡山、途中、名古屋でひかりからのぞみに乗り換える。岡山から在来線で倉敷。新大阪から先を新幹線に乗って行ったことは、十二年前に家族で四国旅行に行ったとき以来かもしれない。そのあと、(当時)もうすぐなくなるから一度は乗っておこうと思ってブルートレイン出雲号に乗って倉敷から伯備線経由で鳥取に行ったことがあるがもちろん新幹線ではない。小学校のときに中国山地は古い山であるがゆえにもうその山容は丸いのです、なんてことを習った気がする。いつもと同じく「気がする」だけが根拠で危なっかしいのだが。それなのでちょっと窓の外の景色を熱心に見てみる。夏の緑に覆われた山の斜面が新幹線のすぐ脇から、スキー場くらいの角度のスロープを作って立ち上がっているような場所がしばらく続いた。でもその山容に特徴があるとも思えない。ただ、その山には人家や道らしきものがほとんど見えない。新幹線のすぐ脇の森の中に人の目の全く届いたことのない一角があって、その一角にももちろんのことかぶと虫やカナブンや蛇の目蝶やゲジゲジが生きているわけで、そんな「わけ」の当り前が不思議に思える。もちろん新種の何かがしゃあしゃあと生きている可能性だってある。いや、しゃあしゃあなんて単語が出てくる自体、人間さまの傲慢なのだが。世界レベルの深海の奥とか高山の上とか、果てにある離島とか、南極や北極とか、アマゾンの奥地とか、そんなところに行くのは億劫だし普通はできないけれど、できなくてもロマンは追いたいなんて思うから、それでこそのツチノコ騒動だったのか。いやなに、昔にツチノコ騒動というのがありまして、そこいらのちょっとした山や谷に道のヘビまがいの生物がいるという騒動で、都市伝説ならぬちょっとした山伝説といったところ。
 でもそのうちにすぐに山沿いから町の中を新幹線は走っている。姫路通過のあたりでは、姫路城って新幹線からも見えるのかな?とふと思ってきょろきょろしたがそれらしきものは何も見えなかった。暖かい空気とつめたい空気が日本列島の真上でぶつかっているために不安定な天気になっていて快晴になったかと思うと豪雨になったり、それが狭い領域で猫の目のように変わるらしい。(と、書いて猫の目って何がそんなにくるくると変わるのか知らないなと思った)
 昨日は、横浜美術館のあとにM本さんご夫妻と下北沢の、ミュージシャンのそかべさんのやっているというカフェで会って話した。最初はM本さんとニセアカシア発行所で作るzineの件を話していて、奥さんが合流してから、昨日のブログに書いた大きなハイジの話をした。大きなハイジの話は、私はそんな風に夜の山を見て思ったことがないからびっくりしたり面白かったという以前にぽかんとしてしまったように思う。もう三十年も前のことだけど。だけどそのあとときどき思い出したときに誰かにこの話をしてその反応を見ているうちに、夜の山の向こうから大きなハイジが現れる妄想を「わかる」、すなわち「共感する」人も結構いるのかもしれないと思うようになった。M本さんの奥さんも、全てぽかんではなく若干の「わかる」がプラスされていたようにも見えたがどうなのだろう。
 そかべさんのカフェに行く前に新しくできたビーアンドビーという本屋さんをM本さんに教えてもらって行った。そこで白水ブックスの××(いまこれを書いているときに手元にないのでタイトルがすでにわからない)というアメリカの作家の本を、新幹線の中で読もうと思って買っていた。そかべさんのカフェで、松M三五夫妻に、旅行に行くときには旅行の電車の中や旅行先の宿や、そんな場所で素敵な読書をしようと夢想して二冊三冊、ときには四冊と本を持って行くが結局持っていって持って帰ってくるだけに終わることばかりだ、ときには旅先でさらに本を買ってしまって、冷静に分析すれば重い本を持ち運ぶだけの旅行になったりしているがそれでもそれが本好きの旅行の楽しみではあるのだ、と力説した。力説したら、うんわかります、と言われたから力説のかいがあった。
 そのビーアンドビーでM本さんはちょっとおしゃれなノートを買った。おしゃれというのは例えばノートの綴じが糸でかがってあるその感じがちょっとおしゃれだったりするのだがうまく説明できない。とにかくおしゃれなノートがあって、さっそくそのノートに製作するzineの構想をメモっている。私の写真でもまた一冊、作ってもらおうと思っているので、数日前に七十枚か八十枚の写真のデータを送っておいた。そのなかの一枚に、もう五年か六年か前にテレビの画面を撮った写真があった。まだハイビジョンテレビに買い換えるまえのテレビでチャンネルをぐるぐると回していたら、ジャマイカを舞台にした主題歌がジミー・クリフハーダー・ゼイ・カムという映画をやっていた。これまた個人的記憶に遡ってしまうのだが、学生のころにスタッフというフュージョンといわれていた音楽分野のバンドが、この曲を演奏していた。それがスタッフのLPレコードに入っていたのか、それともスタッフの来日ライブをFM愛知で放送したのをエアチェックした、その中にあったのか、どちらかだと思う。うん、たぶん、後者のほうだろう。後者の解説にDJの人が映画ハーダー・ゼイ・カムの主題歌だと言ったからそう認識できたに違いない。その映画がテレビ放送されていたので途中からちょっとだけ見ていた。ハーダー・ゼイ・カムが流れるのを待ってみていた。映画の中には暑そうな日差しがあって、バイクやナイフが出てきた、細くて長い鋭利なナイフが人を刺して、抜かれたナイフに赤い血が纏わりついているような場面があったのかな、その場面をデジカメで撮った。そのころはテレビを見ながらデジカメを持っていて、なにかっていうと画面を撮っていた。
 M本さんに送った写真のなかにそのナイフの写真があって、あってというのはすなわち私自身が選んで残してあったわけだから、それなりに気になった写真だということだが、さらにその気になった根拠に須田一政先生が選んだという補強があったのだろう。
 そしてその写真のタイトル、データを送るさいにIMG0987とかだと判りにくいので、写っている内容を「車窓の鉄塔」とか「砂浜の花火」とかのタイトルに変えていたのだが、その写真のタイトルは「ハーダーゼイカムのナイフ」だった。
 M本さんはzineのタイトルを決めるにあたって「ハーダーゼイカムのナイフ」というこの一枚の写真の、私がデータを見分けるためにつけたタイトルがいいのではないか、と言うのだったが、だけどこの写真自体は最終に使う候補には入っていない。すなわちナイフという単語が感覚的にzineのタイトルにフィットする「気がする」とおっしゃっていた。そんなことをヒントに、この夏休みにタイトル案を考えることを約束したのだが、ナイフなぞに全く縁のない私はナイフという単語を使いあぐねてしまう。せいぜいペーパーナイフとか果物ナイフしか浮かばない。切れないナイフとか錆びたナイフとか、鋭利さを否定する言葉ばかりが浮かぶ。新幹線はどんどんと走って行く。いくつも川を越えるしトンネルをくぐる。ジミー・クリフには「越えるべきたくさんの川」というバラッド曲があって、それはずいぶん多くのミュージシャンにカバーされている。新幹線はやすやすと多くの川を越えてしまっていて、タイトルは全く浮かばず、読書はやっぱり進まない。

 倉敷の街歩き、美観地区は美観すぎて写真を撮る気が起きない。駅から美観地区につながるアーケード商店街はそこそこほどほどの人出。その途中から折れた道をずんずん行くと倉敷デパートとか旭商店街(だったかな?)なんてさびれた一角があった。ほとんどの店がシャッターを下ろしていて、ひっそりとしていた。これから始まる飲み屋から髪の長い、その髪がぼさぼさのまま背中にまき散らされているおばさんがひょいと出てきて、植木に水をやったりする。洋装店では半分降りたシャッターから見えるピンク色の女性の下着??ではないな、なんかきらきらとした飾りのついている下着のようなタンクトップ様のもの、980円。売り家と書きなぐられた白い紙が揺れていたり。
 駅前から美観地区ではない方に伸びる一番町商店街というのもあった。とくに夜8時過ぎだったので、なのか?ここもさびれている。地元のミュージシャンのCDを集めて売っているとガイドブックに書いてあった店からだけ光が漏れてきていて、中を見ると若い女性二人がカウンターに座って店主かな、男の人と談笑している様子。だけどそこから先はまたひっそりとしている。焼き鳥屋が営業していたかも。
 駅近くのビルの窓にビルエバンスの写真が貼ってあるのを見つけたのでそのビルに入ってみると「スナック街→」という看板が、でもその先にずらりとスナックがあるようでもない感じ。ビルエバンスの写真はジャズ・バー「サムシング」という店らしかった。入口近くにエラ・フィッツジェラルドの写真も貼ってあった。
 駅を超えて向こう側には新しいショッピングモールとさらにその先に三井アウトレットがある。日曜の夜なのにアウトレットは空いている。