夜が早く来る


 吉田篤弘著「木挽町月光夜噺」を読んでいたら、アラーキーのことが書いてあった。20年前と書いてあるから1990年代のことだろうか、吉田篤弘氏も荒木さんも最寄駅が豪徳寺になる街に住んでいたらしく、駅まで歩く途中に、吉田氏はときどき、アラーキーの後ろを追うようなことがあったそうだ。当時アラーキーはビッグミニを持って、そこここを撮りながら歩いていたそうで、たまたま吉田氏も同じカメラを持っていて、出会いがしらにアラーキーは吉田氏を撮り、気後れした吉田氏はアラーキーのことを「すれ違ったあとにそっと荒木さんの小さな背中を撮った」そうだ。
 そのあとこんなことが書かれていた。以下、抜粋。
『それにしても、毎日同じ道を歩いていたので、道すがらに撮るべきものは何もないと知っていた。が、天才が歩くと風景は一変する。居合わせた通行人や猫が一瞬だけ絶妙の構図をつくり、奇跡のような瞬間を天才の背中越しに何度か見た。』
 以前、もう十年以上前かな、テレビ番組でアラーキーがスナップして町を歩くところを見たことがあるが、そこではアラーキー自身が目の前に現れた通行人を撮っては、テレビカメラに向かって「ほらね、おれの前にはいい場面が展開するんだよ。天才だからさ」といった意味のことを笑いながらしゃべる場面があった。うーん、天才ストリートフォトグラファーは構図を呼べるって話はよく聞くけれど、本当なのか。

 今日の土曜は曇天。鎌倉の神奈川近代美術館はいよいよ閉館前の最後の展示が始まっている。「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART3」を見て来た。佐伯祐三松本竣介の所蔵品が展示されている。館内の喫茶店に入った。高校生のころ、すなわち1970年代に同級生のOくんと一緒によくこの美術館に来た。そして何回か館内の喫茶店にも入ったことがあった。何の話をしていたのかは何も覚えてないけれど、そこでO君を撮った写真でO君が目をつむってしまっていたことだけ覚えている。目を閉じて笑っている。O君に限らず、誰か友人を撮ったときに、目を閉じた瞬間を写してしまうことが多かった。
 そんな他愛のない記憶ではあっても、その記憶があるがゆえに、もうこの喫茶店には来ない(来られない)のだなという感慨のようなことが起きて喫茶店に寄ってみたのだった。

 茅ヶ崎に帰る途中に藤沢駅で降りてジュンク堂書店に立ち寄る。スマホのメモ帖にメモっておいた「欲しい本」を読んで、田中小実昌著「くりかえすけど」と、田中康弘著「山怪」を購入。そのあと喫茶ジュリアンに行こうと路地に入ると、その先のもう閉店したと思っていた喫茶灯に明かりが付いているので、あれ再開したのか・・・と行ってみた。するとそこは外観はほとんど同じだがモルゲン珈琲という店に変わっているのだった。聞くと今月よりオープンしたばかりとのこと。珈琲を飲みながら吉田篤弘の本を読み進もうと思っていたのに、そうだ今日はベルマーレアルビレックスの試合の日だった、と思い出した。スカパーオンデマンドの見逃し再生(見始めたのは17時ころ。試合は16時に終わっていたのだが結果を知らないようにして見逃し再生)する。前半をスマホで見終わるまで45分。モルゲンブレンド、美味しい。
 外に出るともうすっかり日が暮れている。空は藍色が残っているが、もう夜に近い。冬至までまだひと月半あるが、夜が早く来る、と実感するのはこの頃だなと思った。藤沢駅の北口と南口をつなぐ地下通路の入り口の、すなわちこの写真の場所のデザインがなんとなく好きなのです。アラーキーのように奇跡の瞬間はやってこないけれど写真を撮った。


くりかえすけど (銀河叢書)

くりかえすけど (銀河叢書)

山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話