御苑


 快晴。ここ五年か六年か、12月の最初の週末には新宿御苑へ行くことにしている。

長いことこうして、一日あたりには一枚かせいぜい数枚の写真と文章の組み合わせでblogを書き続けていると、自分のなかの気分なのか興味なのか、理由は不明ながらも波があって、写真はどんどんアップ出来るけれどblogとしてアップしたいような文章が浮かばない時期があったり、その反対のときがあったり。もっと言えばblogを書くことへの熱意が高い時期があるかと思えば低調なときもある。ここのところは文章を書くのがしんどい。写真はなんとかあげているが、それだって惰性に過ぎない気もするし。
小学生か中学のの頃によくめくっていた天文の子供向け図鑑に「恒星の一生」と言った、星の絵と解説文章のページがあって、赤色巨星とか白色矮星何て言う単語を覚えた。
blogやホームページにも「恒星の一生」のような、あるいはいちいち星を持ち出すまでもなく人の一生でもいいようなのだが、そういうような一般的な「blogの一生」のようなことがあるように思うことがある。
ホームページを始めた頃にはblogなんかなかったが、写真や文章をアップするための操作がちょっとだけ面倒だっただけで、コメントのやりとりもBBSと言う方法で可能だった。初めてホームページを始めた頃にはそこでBBSを通じて知り合ったかたが何人も出来て、もう付き合いがなくなった人が多いけれども、いまでも、たまにではあっても付き合いが続いている人もいる。面白い、と言うのか、不思議なのは、そういう新しくネットを通じて知り合うと言うことが、同じようにずっとホームページまたはblogを続けていても、始めた頃の頻度の十分の一か、百分の一かにすぐに「落ち着く」ことだった。まるで流行歌のシングル盤のチャートのように初投稿直後と定常化後で、誰かと初めて知り合う回数が激減するのだった。流行歌と同じような要素があるのかな?たかが個人のblogなんかに。初投稿の頃はいろいろと気になって、しょっちゅう自分のホームページを自分で見たり、他の人のを参考にすべくリンクを辿って眺めたりしていた。そうか、あの頃はそんなことしながらときどきはこちらから「はじめまして」ではじまるコメントを投稿していたのだな。そこからやりとりが続いた方が何人か出来たのだった。いまは私が誰かのホームページやblogに何かを書くことなど全くやらない。
ミクシィやらツイッターやらフェイスブックやら、ネット上のコミュニケーションの手段にも流行変遷があるものだ。私は年齢的にそう言う新しいものへ乗り換えていく興味と言うかエネルギーがないからか、あるいは個人の性格として大勢の人と、自分が誰でどういう人なのかを見せながらフランクに楽しく盛り上がる協調性に欠けるからか(言い換えるとわがままってことだ)、そう言うSNSがトモダチ申請云々の、やってないからよくは知らないが、そう言う仲間と仲間でないの境のようなところが見え隠れしていて、上記のように協調性のない私にはその仲間入りや仲間外れの感じが胡散臭くて完全オープンなblogよりもよほど警戒してしまうのかもしれない。こんなのは、フェイスブックをやってる人から見たらちゃんちゃらおかしな間違った思い込みなのか。
ところがそんな風に一人だけ屁理屈をこねつつあまのじゃくにSNSの流行に乗らないでいると、お互いのblogを通してなんとなくの付き合いがあった方たちの多くは私のようにあまのじゃくではないからか、あるいは年寄りではないからか、そう言った手段にネット上のコミュニケーション方法を移行していった、その結果、彼等はblogを閉じたり、更新がなくなったり。自然と疎遠に、と言うのか、付き合いがなくなっていくのだった。
そんな風な経緯を辿りながら、blogの一生が終わる。恒星の一生のように。
などと書いたけど、やめるかやめないかを明確に決めたり、何かの理由を以て今まで書いてきたものを一気に消してしまう行動に出たり、そう言うことは私は多分やらない気がする。若い人は何か心機一転のためか、ときに長年書いてきたblogをいっぺんに消したりするようだ。私の若い知人にもそんな人がいた。私は多分そんな見切るようなことをするエネルギーもないだろう。
ただだらだらと続くのがこのblog。

新宿御苑とは関係のない話でした。しかもつまらない。