見ごろ


紅葉見物をするのには晴れた日に色づいた葉の下から太陽を透かし見るようにするのが最も美しい、と思っていた。逆光に輝く赤や黄色の葉が一層鮮やかに見えるから。しかし、この写真のときは曇っていても素晴らしく美しかった。ここに陽が射すとどうなるのか、どう見えるのか、それはわからない。もっと美しいと感じるのかもしれないし、この樹はむしろ曇天のときに美しいのかもしれない。せっかくここに来たそのときに、極めて単純に「きれいだなぁ」と感じた。その最初の驚きだけで充分なのに、そのすぐあとに晴れてるときに来たかった、などと思うのはなんだか、言葉の選び方が変だけど「煩悩」ってところか。では、煩悩にまみれないで景色を見ることが出来たら、いつなんどき、例えばこの場所に来ても、そこに生きている木々をいつでも必ず愛でることが出来るのか。子を思う母の気持ちの、その気持ちが向かう対象を、子に限らず外界全部に出来れるとすればそれはどう言うことか?いや、どう言うことかと考えるべきてはないのか?何故ならそれは不可能なことで、、、