銀座アップルストア前


少し前、東銀座のM84と言うギャラリーで植田正治が主に晩年に作っていたカラーによるフォトモンタージュと言うのかコラージュなのか多重露光か、なんていう単語が的確なのかはよくわからないが、そう言う作品を集めた「幻影」って写真展を見た。その帰りに、銀座を突っ切って有楽町駅まで歩いたときに撮った写真です。その日そのときの私の体調とか気分が写真を鑑賞をするのに必要な状態ではなかったのか、せっかく東銀座まで行ったのに、これを書いているのは、多分「幻影」を見に行ってから3週間くらいは経っている12月24日で、ただのひとつとしてそこに展示してあった写真を具体的に思い出せない。まぁ、具体的に覚えていなくても何か全体的な雰囲気のような、感じた色合いのようなものが残っていれば良いのだろうが、それもあまりないようなのだ。
その写真展を見たあとにエレベーターでギャラリーのある細長いビルの一階に降りてから、すぐ隣のビルの一階に喫茶店があったので、とにもかくにも座って休みたくなり、そこへ入った。よく覚えてないが白くて無機質な感じの店だった気がする。が、それも曖昧なことで、全然違うかもしれない。例えば壁は黒くてシックな感じだった可能性もあったかもしれないし、ウッディでレトロな店だった、、、ってことはないとは思うけれども。もしも、その店が白っぽく無機質な感じではなかったのだとすると、この私の今の間違った記憶は、やっぱり体調や気分のせいもあろうけれど、あまり覚えていない植田正治の写真がもたらした記憶の操作なのかもしれないな。そうなのだとすると、体調や気分のせいで写真をじっくりと鑑賞できなかったと自分で思っていることまで含めたその日の全部がすべてに影響しているかもしれなくて。個の時間のなかで何をどう感じたかをこうして考えると、何かの行為に不調とか好調とか、そんなことは何て言うのか一瞬一瞬過ぎていく時間のなかでは、それは後悔のための言い訳に過ぎず、本当は良いも悪いもなく受け入れる唯一のことなのだ。これを一期一会とか言うのか。
だから、ここに書いたようなことがいまのところ私にとっての唯一の植田正治の「幻影」です。