夏の旅

f:id:misaki-taku:20190812104918j:plain

 1980年代前半によく聞いていた松岡直也。会社の寮で夜にくつろぎながらレコードで、誰かの自家用車でカセットテープに録音したものを、あるいはいちどだけ六本木のピットインでライブを。少し前に、同年代の会社の某さんと、あのフュージョン全盛期の頃には、松岡直也とか増尾好秋とかスクエアとかネイティブ・サンをよく聴いたものだ、なんていう「思い出話」になった。それで、久しぶりにCD化された音源で松岡直也の「夏の旅」を聴いてみた。記憶に残っているよりずっと整然と構成された緻密な感じの演奏で、ラフで即興的なところは少ない。というかラフで即興的な感じというのは、当時、二十代前半でまだまだふらふらと根無し草的に漂うように、同時代的にカッコいい(とされる流行)ものを追いかけていた私の気分の残滓なのかもしれないですね。

 今日も猛暑。しかし海沿いの町には海風が通り、もしかするとはるか南方海上にある台風のもたらす風かもしれな、日陰や風の通り道となる路地に佇むと、だらだら流れる汗を背中や胸や髪や顔に感じつつも、この日本の真夏の蒸し暑い猛暑も、頭の中を流れている松岡直也の音楽とともに懐かしさ(いまここに猛暑があるのに、それはもう何年も何十年も前の「同じような」夏が多重露光されて懐かしさをまとっているような)が加わり、ふと笑みが漏れるような幸せをも感じるのだった。

 知らない町は、同じ真夏のなかで、知っている町でもあった。

 

追伸的なメモ)ところで上の写真ですが、写真の上の方にある電線、ない方がいいだろうなと最初は思っていて、トリミングしてみたのです。ところがこの電線がないと妙にちゃんとした写真に見えてしまい、そこで電線は消さないことにしたのです。

f:id:misaki-taku:20190812104958j:plain

f:id:misaki-taku:20190812105026j:plain

 

上野

f:id:misaki-taku:20190804193316j:plain

不忍の池で蓮の花が咲いていると聞き行ってみる。花はちょっとしか咲いていなかった。たぶんもう満開の時期を過ぎたのではないだろうか。こんな風に、不忍池の向こう側に高層マンションがたくさん建っていただろうか?例えば十年前に。

十年位前にここで撮った蓮の花の写真、須田塾で須田一政先生が選抜してくれたことなどふと思い出した。

自分の写真は最近、どうなんだろう?須田塾に毎月通っていたころは、先生や熟生からいろいろなコメントをもらい、またほかのメンバーの写真からも刺激を受けて、少なくとも「停滞」した感じなく、写真を撮ることに「夢中」になっていたと思います。

なんかありきたりの規定基準価値に引っ張り込まれている気がする

f:id:misaki-taku:20190804193335j:plain

f:id:misaki-taku:20190804193356j:plain

 

廃園のような

f:id:misaki-taku:20190804181230j:plain

今日も最高気温が30℃を優に超える猛暑。その猛暑の真っただ中、13時頃から自家用車を運転して、平塚市にある花菜ガーデンまで行ってみる。調べると、百日紅の木がたくさんあるとわかる。それで、出掛けてみた。薔薇のシーズン、春と秋には駐車場に長蛇の列ができる人気の場所だが、今日は、駐車場はガラガラ。それでもこの猛暑のなか、やって来た人のお目当ては蓮池なのかな、入場してすぐに、蓮池は右です、という案内板が出ていた。私は、左へ、誰もいない薔薇園に行ってみる。すると思いのほかたくさんの花が咲いているのだった。下草の雑草も伸びている。薔薇も「よそゆき顔」に咲き誇って美しさを見せているといった咲き方ではなくて、すっぴんで日の光の中に立っているようだった。そういう誰もいない手入れもほどほどの広い薔薇園に一人だけ、写真を撮りながら歩いていると、なんだか、この場所はもう「つわものどもが夢のあと」のような場所で、廃園になっていて、この庭もやがて植物が勝手気ままに支配して庭とか園ということではなくなっていくような気がしてくる。真夏の真昼にここには幽霊が歩いていそうな気もする。時間がふっとんでいて、その狭間に取り込まれて、ここから脱出できないかもしれない。自分は汗がだらだら流れていて、こんな暑い廃園に閉じ込められて熱中症で倒れるかもしれないと危惧する。蝉の声に囲まれる。ふらふらしながらこの場所はいいなと思う。なぜだかボルヘスの小説を読んでいるときの「感じ」に似た怖さと甘さがまじりあったような気分がやってくる。

f:id:misaki-taku:20190804181313j:plain

f:id:misaki-taku:20190804181327j:plain

とはいえ、じきに薔薇園を抜け出し、ほかの客もゼロではなくなり、百日紅を望遠で撮ったりもしました。その後、図書コーナーに立ち寄ってみたら、だいぶ古そうな植物に関する洋書がたくさんあった。大船フラワーセンターという所蔵印の押された本もある。この図鑑の絵は美しかった。

帰り道国道129号線沿いのユニクロで、500円まで値が下がった特価棚からTシャツを二枚拾い出して買った。

夜、湘南対鹿島はロスタイムに梅崎のコーナーキックを大外から坂がヘディングで決めて、3-2で湘南が劇的に勝利する。単純に「やったぁ!」と思った。

 

まだなまえがないもの

f:id:misaki-taku:20190727230725j:plain

 品川のキヤノンギャラリーSに「川島小鳥 写真展 詩 谷川俊太郎・まだなまえがないものがすき」を観に行く。谷川俊太郎の詩を壁にランダムに飾られた大小の写真プリントのなかに、写真プリントと同じようなサイズの白い用紙(もしかして質感の差が出ないように同じ写真用プリント用紙?)に印刷された詩が「写真に混ざって」置かれている。詩は「愛」につぃて書かれたものだ。具体的な恋人に向けてだったり、このとらえどころのないふわふわした世界に対してだったり。

 写真展のタイトルは「どうでもいいもの」と言う詩の一節からとっているようだ。フライヤーにその「バウムクーヘン」という詩が載っている。最後のところ、

 

がっこうはもうきまっていることをおしえる

わたしはまだきまっていないことがすき

まだなまえがないものがすき

どきどきしたいから

 

 名前のないものは定まっていないから期待と不安が交錯する。そのストレスを力として吸収できるか、不安にさいなまれて避けようとするのか、行ったり来たりを繰り返す。谷川俊太郎はそれを「すき」と定義していて、川島小鳥はありふれた世界が気持ちの持ちようによってきらきらと見えることを教えている。優しいなかに力が漲っているような、勇気がもらえるような、写真展だった。

 名前の付いているものは「見える化」しているからそれになんらかの善意や悪意の表出の目的や目標に据えることができるし継続的に変化を見極めたり、時間のなかで誰かに託すことのできる可能性も高いだろう。そのぶん硬直がはじまっている。一方名前のないことは泡のようで、消えやすく、弱い。しかしこれから生まれていくものとしての将来への期待は託しやすい。あるいは自由な解釈の拠り所として唯一無二になれる。なんてことをときどき考えていたので、それが正しいかどうか、いかにもまだ浅はかな感じもするが、またそういうことを繰り返し考えるきっかけになりそうだった。

 

 

 新宿御苑前のPLACE Mに「第31回写真の会賞展」を観に行く。須田一政の「日常の断片」が特別賞、写真の会賞は野村浩「カメラになった人々」。

 野村浩は「カメラになった人々」という三駒の漫画で写真やカメラに関するいろいろな断片の風景や考察を現している(この写真の会賞は写真家や写真集に与えられるものではなく写真的な行為をしている人がすべて対象らしい)。品川で見た上記の展示が写真家と詩人のいわゆる「コラボ」=相乗効果だったとすると、この展示は須田さんの日常の断片というまさに須田ワールド全開の6×6の街スナップででも異界がそこここに現れていて、かつそれをカラーが彩っていて「鮮やか」で「不気味」なすごさだ。どこに掛けようが、その一枚を置いたその場でなにか写真からなにかが「出てくる」。野村さんの写真や三コマ漫画は額装されて展示されている須田さんの写真の周りをぶんぶんと飛び回っている蜂のようだった。あるいはティンカーベル?これは「コラボ」ではなくてもっと親密な関係。ちょっと失礼かもしれないが「たいこもち」のような野村さんに思えた。その太鼓持ち的な表現ができることがうらやましい。

f:id:misaki-taku:20190727230803j:plain

通り雨が抜けて夏の陽がさす。

f:id:misaki-taku:20190728100100j:plain

夕方7時前、茅ヶ崎駅に戻って来て、そのまま自宅に戻るのがなんだかもったいない感じがしている。台風接近でいつ雨になるのか判らないのに湿った強い南風が海沿いの町を吹き抜けると、それに誘われるようにざわざわと気分も波立つ。海まで歩いてみる。高波がつぎつぎと入ってくる相模湾。人影はほとんどない。基地勤めの方?なんて短絡するのも失礼かな、カップルがなにやら話している。彼らの青春、この日本の湘南の台風接近で強風の吹く夏の夕暮れに、彼らはなにを話したのか。すぐに忘れてしまうことか、ずっと残ることか。

 以前、テレビのインタビューでブルース・スプリングスティーンが、ありふれた日の通学路で見た街路樹の風景がいつまでも記憶に残っている、そういうことが大事なのだ、というようなことを言っていたかな?もう二十年かそれ以上も前に見た番組のことなのではっきり覚えていないな。このブログをどんどんさかのぼるか、このブログに引き継ぐまえの「ノボリゾウ日記」にはもっと今ほど記憶が曖昧になるまえの記憶に基づいてスプリングスティーンの言ったことが書いてあるかもしれない。あるいは、こんなブログに移行するまえの手書きでノートに綴っていた日記にはその日のことが書いてあるかもしれない。二人を見ていてスプリングスティーンの言っていたことの「漠然」が思い出された。

 1983年頃に、当時250ccのバイクに乗っていて、伊豆にツーリングに行った帰りに大磯の海の見える駐車場(いまはないですね)に停めたら、ハーレーに乗って来た厚木たかな、米兵に話しかけられたことがあった。もうすぐ日本を去るのだけれど、おまえ、このオレのバイクを引き取らないか?と言われた。それは900ccくらいのバイク中型二輪免許(400cc以下)の限定免許しか持っていない私はそんな大型バイクには乗れない。なので、かたことで免許に制約があって引き取れないと答えたら、そうか、と納得していた。ほかに二言三言話したかもしれないがこれももう覚えていない。

 基地からバイクで海に来て、しばらく海を見て基地に帰る、そういう米兵はけっこういるのかもしれない。海を見てなにかに思いを馳せるという行為はストレスや悩みの解決にはやはり良いことなのだろうか。(繰り返しますが写真に撮った二人がそうとは限りません)

 

f:id:misaki-taku:20190727230903j:plain

 海からの帰り道に創作そば「なぁる」という店の前を通ったので入ってみる。日本蕎麦を使ってパスタのように仕上げた創作の品もあった。これは小海老天ぷら×とろろ×干し青のり蕎麦(冷)です。

 これを食べる前には、まったくほとんど下戸に近いほど飲めないのに、なので残してしまうこと前提にして山口のお酒「金雀」純米吟醸50と板わさも頼んだ。台風接近で風強し夜。

 

霧雨

f:id:misaki-taku:20190715191143j:plain

都内を歩いている。ビルの入り口の鉢植えがきれいだなぁと思う。長雨はまだ続く。ブラッドベリの中編にどこかの星に行った探検隊?がずっと雨に降られ続けているなかでだんだん隊員の気持ちが圧迫されていくような話がありましたかね?あるいは椎名誠のSFにも長雨で町が消えていくようなのも。だんだん「作り話」ではなく「実際に起こりえる」ことのように思えてくる。