
今年の五月上旬、原宿と渋谷の昼間くらいの、普段行きなれていない場所なので、どこか地図上で示せと言われても判らないのですが、でも原宿と渋谷のあいだだったと思います、そこで撮ってあった写真。このカップルや黒いハットの人が座っている、縁石なのか曲がったコンクリートの凸部はなんでしょう。夏になると水を張る浅い池の縁なのかな。逆光で向こうの下に向いた矢印三本のかたちのロゴマーク、デサントかな、そのマークのすぐ下に青い光の点とそれを囲う円が写っていますが、これは迷光とかゴーストと呼ばれる、撮影レンズに入った光が結像ではない反射によって作る、写真にとっては「良くない」とされるもので、これを防ぐためにレンズの表面に多層コートをしたり特殊な最新の技術による微細構造のコートを付けたり、あるいは、レンズ先端にフードを取り付けます。だから最新のレンズではこうは写らないかもしれません。これを撮ったのは1980年代のマニュアルフォーカスのフイルムの一眼レフカメラ用のレンズです。
ところでこの写真を見ると、私は、なんだか70年代頃のヒッピームーブメントか、日本でいえば、それがファッションに取り込まれて経済活動の原動力になっていったディスカバージャパンの頃の雰囲気を感じてしまいました。この人たちはそういう服装じゃないかもしれませんが、あの頃にベルボトムのジーンズを履いて、長い髪にチューリップハット被って、身体に密着するTシャツにはたとえば数字が描いてあって、そういう人が写っていた当時の写真は、逆光でこういう迷光が写っていた、実際にそうだったかどうか、あるいはそんな写真ばかりじゃなかったんだとは思う、なのであくまで私の記憶の私的な覚え方がそうなっているというだけでしょう。そんなわけで、私もいちいち撮った写真をその場で確認なんかせずに、もう歩きながらどんどん撮っているから、どんな写真が写ったのかは、帰宅後、ときには数日たってやっとパソコンに取り込んでみて、そうなると撮ったときとは別の思いで写真をみるわけですが、うわぁなんだか70-80年代っぽいなと思ったわけです。カメラの背面液晶の小ささだとそこまでは感じない。
だからなに?という話です。だけどそういう風に「見える」のが、この迷光だけが理由なんだろうか?この上記の凸部のカーヴしたような場所や、この写っている2024年の人たちのたたずまいにもそういう雰囲気が漂うのか?オールドレンズのもたらす色温度のずれのようなことがそういう風に見せるのか。
そんなことより、こうして何かを「懐かしさ」というか「過去の記憶に参照」して評価してしまう、評価するが間違っているとしたら、そうやって心が動いて行く、このこと自体が、なんだか気に食わない。年寄りじみている気がする。実際には五歳の子どもにだった五年分の過去があって、懐かしいとか昔はねと語りだすこともあるけれど。だから本当は「懐かしさ」や「過去の記憶との参照」が問題なのではなく、それは当たり前のことで、それとは別に新たな考えることや答えを求めることや望むことがあるかどうか、そこがないと「懐かしい」「過去の記憶との参照」だけになるから気に食わないと思うべきなのか。いや、年寄りなんだから、それでいいのか・・・
5月になってからずっと読んでいた「長い一日」を読了しました。
