ニガナ

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北関東U市の工業団地に隣接する公園に黄色い花が一面に咲いていた。夜、野の花図鑑を見たらどうやら「ニガナ」と言う植物らしかった。銀杏はもうその葉をずいぶん大きくし、もう新緑になるのがほかの木より遅いように思えたプラタナスの並木もすっかり緑になっていた。アカツメクサシロツメクサやジシバリが咲き乱れている場所もあった。蛇イチゴの実も見つけた。一時間の昼休みだけれど、季節がたくさん、あちこちに見えるのはいいですね。

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コロンビアの音符のネオンが見えた頃

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 毎朝、通勤の京浜東北線多摩川を渡るときに、進行方向右側の吊り革とかドアに寄り掛かって外を見ていると、コロンビアの音符のネオンが、朝だから点灯はしていないけれど、見ることができた。あるいはそれが夜の帰宅時だと、今度は左側の窓から、ネオンは赤く灯って音符の形に輝いた。いまはもうとっくにここの工場?はなくなって、たぶん三棟からなる高層マンションが建っているあたりだと思います。

あるとき、会社の帰りに、たぶんコンタックスTにISO100のポジフイルムを入れたのを持って、帰宅途中に多摩川の土手に行ってみた。電車から見ていると、そこに注視していたらもっと大きなネオンだと思っていたが、標準レンズだとこれくらいにしか写らなかった。妄想していたこういう写真になるはず、という写真には近づけなかったので、これはもう撮りに来たもののダメだった(妄想していた写真は撮れなかった)と思ったことを覚えている。写真はそのままポジのケースに入れて三十年近くしまわれ続けていたわけです。

でもいまこうして写真を見ると、これはこれで悪くないじゃんと思ったりするが、それは、もうこのネオンサインはないという事実が、私自身をセンチメンタルにしてしまったいるからだろうか。

京浜急行線の赤い電車、いまも大抵は赤いが、ときどき青いのや別の色のも走って来る。ステンレス車両ではなくて色が塗ってある電車がいいですね。

90年代はふたむかしも前のこと

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 アサヒカメラか日本カメラを昼休みに食事を取った後に、フリースペースのちょっとした会議ができるような机で写真好きの会社仲間と一緒になってめくっているときに、とある交差点で信号を待っている人たちのスナップ写真が、月例コンテストの一位になっていて、なんだこんな当たり前の街角スナップのどこがいいんだろうか?と声に出して言ったのだが、実はすごいびっくりしていて、その写真を見たことで、ちょっとというかだいぶ、撮りたい写真が変化したことがあった。1990年代の前半のことだったろう。

もう一つ、川崎市民ミュージアムで、なにかの展覧会のなかにリー・フリードランダーのセルフ・ポートレートの中の、有名なアラバマ?だったかな、の写真を見たときも大きな衝撃を受けた。このときはその翌日から毎日会社に行くときにも、モノクロフイルムを入れたカメラをバッグに忍ばせるようになり、必ず一日に一枚以上の写真を、自宅と会社の行き来をしている平日であっても、必ず、撮ることに決めて実践した。これも1990年代の前半のことだろうか。

この上の写真が、ここに書いた二つの出来事より前だったのか、後だったのか、あいだだったのかは不明だけれど、なんとなく自分としては、ずっと棚の奥にしまってあったスライドの写真には綺麗な風景を追い求めた頃の写真ばかりがあるのだろうと思っていたので、例えばこんな写真が出てきて、びっくりした。なにも覚えてないし。初めて見る気分の写真だった。

これは伊豆半島の南の方にある下田で撮ったスナップです。仕事で取引先のコイル部品を製造する町工場を見学に行く、その工場が下田からさらに車で南に行った方にあると言うから出張したのではなかったか。待ち合わせ時間よりずいぶん早くに到着してしまったので、写真を撮りながらぶらぶらし待っていたのです。

1995年のドリームランド

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 2002年にに閉園になった横浜ドリームランドには、子供が幼稚園~小学校低学年の頃によく行きました。これはたぶんだけど1995年頃、ドリームランドで撮った写真。

 写真は富士フイルムのカラーポジで撮り一コマ一コマ、マウントされている。いわゆるスライドってやつです。タブレットにホワイト・スクリーンという無料アプリをダウンロードしてタブレットライトボックスにし、しかしよく見るとタブレットの液晶の「画素」が見えてしまう(写ってしまう)ので、CDの透明アクリルケースでタブレットの表面から少し浮かせたところにこのマウントされた写真を置くことで画素が写るのを回避し、APS-Cサイズセンサーのミラーレスカメラに28mmのマクロレンズを装着して撮影した。マクロレンズと言えば90-100mm程度の焦点距離のレンズを使って花や虫を撮るのが定番で、それより短い焦点距離マクロレンズはワーキングディスタンスが近くなり、カメラとレンズの影も入りやすくなるから、小型と引き換えにちょっと扱いずらい、と言う「説」もある。しかし、このフイルムを接写すると言う行為においては、このレンズは最強ですね。下から発光しているから部屋を暗くしておけば、影など関係ない。絞り値をちょっと絞って深度を稼いで、写す写真の駒が歪んで平行四辺形になっていないかを見極めれば、結果画面全体にわたって等距離になり片側だけが深度外になることも注意すればない。AFも多点にしておけば、ピントがあったお知らせを画面全体にわたって出してくれるからそれでも「傾いていない」ことがなんとなくは確認できる。懸念は手振れしないシャッター速度にするためにはISO感度をかなり上げなければならない点でこれはISO2500にしています。まぁ最近のデジカメであれば、私は2500はぜんぜんOKです。デスクワークですから肘をテーブルに固定することもできるし、カメラをしっかり動かさずに構えることもまぁまぁできるので三脚すら使っていないです。と言う感じでスライドの接写をどんどんできるから今日は1000枚ほど撮った。でもまだこの3倍か4倍ある。

 ドリームランドの一番奥の方だったと思うけれど、こういう写真を撮った90年代当時ですらすでにレトロだったゲーム機がずらりと並んでいる建物があった。野球ゲームとかボーリングゲームとかサファリゲーム。小さな射的場もあったかも。それからピンボールマシンも何台か並んでいた。村上春樹の「1973年のピンボール」のクライマックス場面、探し当てていたピンボール台が収集家の倉庫に、まるで寒い収容所に入れられた囚人のようにピンボールにとっての自由(誰かの挑戦を受けてゲームをすること)を奪われてしかし廃棄もされずに置かれている。そのピンボールの「彼女」に再会する場面を頭の片隅に浮かべつつ、子供を遊ばせる目的と同時に、ゲーム機の写真を撮りに、ドリームランドに行っていた。とはいえせいぜい4回くらいの話ですけどね。これは見ての通り野球ゲームです。閉園のときにあのゲームセンターにあったレトロゲーム機はどこに行ったのだろう。

無題でいい

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朝の7時から夕方の5時頃まで自宅で仕事をして、そのあと6000歩ほど歩いて来る。近所に出来た小さなパンの店は、「自家製天然酵母ぱんやさん」としか書いていない。パン屋の店名が「ぱんやさん」なのかな。しかも「土・日営業」と書いてあった。今日は土曜日でウォーキングに出た時刻にはもう完売店じまいだった。

すこしまえに500円で買った古本の写真集「森山・新宿・荒木」を捲ってみる。同名写真展が初台のオペラシティアートギャラリーで行われたとき、会社の写真仲間の数人と一緒に観に行ったものだった。写真集の表紙には荒木さんと森山さんが写っている。もう十五年も前のことか!ついこのまえのように思えてしまう。表紙のお二人はそのときに六十代だったわけだけれど、いまときどきトークショーやテレビなどで見かけるご様子と比べる、当たり前だけどとても若々しい。

自分にも同じように時間が流れ、自分も同じように老けて変わっていく。しかし自分の変化にはそんなに気が付かない。むしろこうして歌手にせよ演奏家にせよタレントにせよ写真家にせよスポーツ選手にせよ小説家にせよ、そういう有名人で、しかもそれほど頻繁には見ない人に、五年、十年、十五年、経てからふと出会うと(写真を見たりテレビを見たりで)時間の残酷さにびっくりすることがあります。

 

もはや夢のような五月に

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写真を見返していた、いつものことだ。四年前に東海道線の車窓から多摩川の河川敷で遊ぶ人を撮っていた。窓ガラスが曇っていたらしく、もう少しコントラストが低い写真だったので、ちょっとだけトーンカーヴをいじって、ちょっとだけ彩度を上げてみた。

2015年に撮った写真、なんで2015年なのかと言うと、たまたまこのPCにつないであったHDDに保存されているうちで、デジカメで撮ったJPEGファイルの収まったフォルダーに収まっているいちばん古い写真が2015年だったというだけのこと。それで2015年の1月1日の一コマ目から順番に撮った写真を見て行った。そのうち季節が春になり夏になり秋になり冬が来て、一年が過ぎた。だいたいその年に撮った全部の写真を急ぐでもなく、じっくりと見定めようとするのでもなく、行きかう人の顔をなんとなくちらっと見ているくらいの速度で送って行くとして、一年分で二日かかる。もちろん朝起きてから晩までずっとそんなことをしているわけではない。朝は軽めに野菜ジュースとチーズだけの食事をしたり、ウォーキングに行ってスナップエンドウを買ったり、久しぶりにウィルコのウィルコって言うアルバムを聴いてみたり、ちょっと雑誌を捲って京都の居酒屋に行きたくなったり、そんなことをして過ごす一日の中に、なんとなく収まりの良い長さの時間を写真を見る作業に振り分けた、その結果の一年分を二日。そして三日目に写真ファイルは年が明けて2016年になり、2015年とたいして変わらない2016年の写真が始まった。五月になり、この写真に行き当たったとき。あ、気持ちよさそうだな!と思った。この写真を撮ったことは覚えていないから、初対面の写真に見える。写真に残されたこの日の、日差しや気温や風の感じまでもが、想像できる。2016年の5月29日の16:16のことだった。そのときは特別でもなんでもない過ぎゆく一瞬の時間の中のことだった。そして自粛を要請されている今になってみると、繰り返すけど、2016年の5月29日の16:16に私がいた世界は、いまはもはや夢ように気持ちのよい世界のようだった。写真は撮ったときが一番新しくてそれからどんどん古びていくというのは、すなわち鑑賞している今の日時と撮られた日時の差が大きいほど「古い」と定めた、「古い」とはなんぞや?に対する定義がある場合であって、そうではなくて、今この瞬間に誰かがその写真を見て感じることが、その誰かが誰かとか、その今がいつなのか、によって、その誰かに生じてる気分や感想や思いが変わるのだから、写真には「古い」ということはなくていつもその鑑賞者がいまその写真を見ていることにおいて「新しい」のだ。

そして2020年5月の今におけるこの写真との「新しい」関係は私の心の中に、夢のようだった五月は今年はもはや来ない、と言うことなのだったから、これがこの新しい写真と同じ今にいる私のあいだの「新しい写真」なのだった。

と言うこのことも何度もこのブログに書いてきたことですね。

来年はぜひ来年のこういう五月の好日をなんの行動要請で縛られることなく過ごしたい。

 

赤い橋のある風景

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時差出勤を目一杯使って、朝の6時40分に都内の会社に着く。普段はもちろん満員電車に揺られて行くのだが、今日は自家用車で。密を避けるためです。定時に会社を出て帰ってくるとまだ夕方5時前だった。着替えてからウォーキングに出る。途中無人野菜売り場でスナップエンドウを100円で買ったりした。近所で好きな景色は、たとえば、この赤い橋が見える景色。