接写の言い分


 昨日の朝日新聞に載っていた「地球異変/欧州から1〜細る氷河守り学ぶ〜」という記事に載っていた氷河をくりぬいた洞窟の写真、そこに写った黒いシルエットの人の長い顔が、ウルトラQに出てきた宇宙人ケムール人に似ていると思った。記事には金井という記者名が添えられている。写真の方は伊藤恵里奈という方の撮影と書いてある。その新聞掲載写真をナナメから接写して、フォトショップの「ぼかし」や「レイヤー」やらを使っていじりたおしたのがこの写真。さて、ここまでいじってしまえばこれは私の写真と言っていいのだろうか?いけないことなのだろうか?ラッパーが古いレコードのフレーズを切り貼りするのと同じような気もするのだが、一方でちょっといけないような感じもあって・・・。森山大道は「アクシデント」というシリーズで警察のポスターや写真週刊誌の芸能人写真を接写して使っている。以前NHK日曜美術館での森山特集のインタビューで「目の前に展開する光景である以上、それがポスターや写真であっても町であっても変わらず、自分が惹かれたら撮影する」というような意味のことを森山さんはしゃべっていたと思う。
 私は記事の意図とは全然別の個人的な記憶を刺激されて「ケムール人」を思い出し、だから接写してみた。その時点で、それは既に私写真として「地球異変」が告発しようとしたことから逸脱しているのだろう。

 鈴木清という写真家のことは最近まで知らなかった。ほとんど自費出版の少数しか出版しなかったこの写真家の写真集は、たまに古書が出るとずいぶん高価で取引されるらしい。
 その鈴木清の回顧展がヨーロッパで開かれて、それに合わせて図録が出版されたということを「鈴木清・フォトギャラリー」というサイトで知った。そこで初めて海外の書店にネットで注文してみた。その本が今日届いていた。写真集を作ったときの自作の習作のページを基本とした図録。これからじっくりとめくってみたい。