久々に晴れる


 久しぶりに晴れる。日が沈んだあとの、まだ空が群青色の時間帯、西の空にいくつか星が見える。写真に撮ってみたら目で見えたよりもっと、たくさんの星の光が写っている。
 11月22日か24日のジャクソン・ブラウン東京公演に行きたいのだがまだチケットを買っていない。チケット発売日ころには来日コンサートがあることを知らなくて、知ったときには売り切れていた。ヤフーオークションとかチケット流通屋さんとかで手ごろなものがないかを探しているのだが・・・。ペア(二席連番)チケットの方がたくさんオークションに出ているが、一枚売りはなかなかない。すごくいい席だけど定価よりずっと高いというものより、後ろの方でいいから定価くらいというのがいいのだが、狙っていた一枚はどこぞの方が即決価格で落としてしまった。
 ジャクソン・ブラウンのコンサートには、70年代後半だったか80年代前半だったか、新宿厚生年金と横浜のどこかと、同じツアーを二箇所で見たように思う。最近のコンサートではアンコール演奏というのはスケジュールに組み込まれた出来レース的なものであって、観客は公演のよしあしにかかわらず、ミュージシャンがいったんステージから消えると手拍子を送り、ミュージシャンはアンコールで登場して何曲か演奏する。そして今度こそ終わりですよ、という感じで退場すると、観客は会場の電気とかあるいはアナウンスとかから、もうアンコールはない(出来レーススケジュールはこれで終わりか)を推測判断し、終わりとわかったらさっさと席を立つ。いや、そうではないコンサートもあるのかなあ?
 二十数年前のジャクソン・ブラウンのコンサートがすごかったのは、一回目か二回目かのアンコール演奏が終わり、会場の電気がついて、アナウンスが「本日の公演はこれで全て終了しました」とずーっと放送しているのにもかかわらず観客は手拍子をやめずに、とうとうジャクソン・ブラウンはもういちど現れて、たしかスイート・リトル・シックスティーンだったか、ロックンロールのスタンダードを演奏しはじめて、もう観客は飛び上がるは駆け出すはの大興奮になって、私のような根暗で冷静なタイプは(?)、飛び上がったり踊ったりはできないのだけれど、感動で鳥肌が立ってぼーっと立ち尽くしていた。いまよりは反体制の勢いの名残みたいなところもあったのか、会場側の制止を振り切ってまでわれわれ観客の思いに答えてくれたという思いが余計に感動だった(こう書くと妙に幼稚に思えるが)
 アサイラム・レーベルのSSWにジャクソン・ブラウンというすんげぇのがいて、こやつはイーグルスのテイク・イット・イージーだとかを作ったやつなんだ・・・みたいな記事が70年代の音楽雑誌に載っていた(本当にこういう口語体で書かれたような記事が多かった)。そのころはまだアサイラムレコードの一連のアーティストのLPは日本未発売だったように思うのだが記憶が曖昧だ。とにかく一時期ジャクソン・ブラウンは「知るヒトぞ知る」SSWだった。
 まだ輸入盤レコード屋も少なくて(タワーも日本進出していないころのこと)、夏休みに大学のあった西の街から神奈川に帰省すると、仲の良い友達と電車に乗って、渋谷のシスコという輸入盤レコード店に買出しツアーに行ったものだった。比較的地味な位置づけかもしれないジャクソン・ブラウンの二枚目と、名盤と言われる三枚目は、ともにシスコで買ったと思う。三枚目のレイト・フォー・ザ・スカイがターンテーブルで回った回数はものすごい数で、それに比べると二枚目はそれほど聞き込むことはなかった。
 ただ、ある夏の暮れ時に部屋の蛍光灯をつけないままに、だんだん暗くなっていく部屋の中に一人いて、そのときに二枚目のthese daysがちょうど流れていた。ヒトの記憶とはおかしなもので、その暮れ時に何か特別なことが起きたとか、そういうことは何もないのに、いまこの年になって、these daysをぼんやり聞いていた夏の日があったということが奇妙にリアルに思い出される。

フォー・エヴリマン

フォー・エヴリマン