てっぽう、ジャクソンブラウン、その他


 本日より浅草橋にあるMAKII MASARU FINE ARTSにて写真展「てっぽう」が始まる。今朝、9時半ころより搬入作業開始。OPENの13時より30分くらい経ってからやっと搬入終了。最初の30分のあいだに来ていただいた4名のお客様、ばたばたしていてすいません。この写真展は木村まい+田中寿+岬たく、の3人展で二階では壁面を分けて、それぞれ展示しており、一階はもう少し三人の作品を短くつないだように展示した。二階の木村さんの大型プリントがいかしている。私は珍しくも全出展作のなかの一枚だけだが人物を出している。快諾いただいた被写体になっているOくん、ありがとう。今回、人物を四点くらい入れたいと思っていたのだが、須田先生のセレクトに残ったのがこの一枚だった。
 私の場合は二階は新作、一階には過去の「流星」「LAST LULLABY」「SELF」などに展示したものから再度選んでいる。23日日曜日は夕方には在廊の予定。お近くにお越しのおりには是非お立ち寄り下さい。

 搬入が終わってから、須田塾第12期例会に参加する。「最近あらためて写真は光に依存していると、つくづく思った」と先生がおっしゃる。同じ路地を歩いても、光線の強さや角度によって、たくさんの写真が撮れるときと、ほとんど撮れないときがあることをあらためて感じた出来事があったそう。「カメラを持っていないときにも、あぁいまカメラがあればここを撮るのになあ、と考えます」とUさんが言う。先生はカメラがないときには完全にスイッチオフ状態でそんな風には思わないらしい。Uさんのホルガで撮った写真、なかなか素敵だった。写真好きのひとの血液型ってAB型が世の中一般の割合で正規化して比較するとものすごく多いらしい。今日Oさんが「私AB型で・・・云々」とおっしゃっているのを聞いて、またABかあ!と思う。毎年CiCuC展をやっているphoto unit SENTIMENTAL CAMERAも私を含めみんなそうなのだ。まあ、だからなんなの?って気もするのだが。

 やっと手に入れたジャクソン・ブラウンのチケット。24日の厚生年金会館ではなく今日の人見講堂のものしか入手できず。一緒にてっぽうに出展している木村さん、田中さん、すいません。私は今日、ジャクソン・ブラウンのコンサートにどうしても行きたくて、写真展のオープニング・プチ飲み会をさぼりました。かなり良心の呵責があったのだが、須田塾事務局をやっていただいているTさんにこっそり打ち明けると「そりゃあ、(コンサートを優先するのが)あたりまえでしょ」と即答してくださりちょっとほっとした。「私はコンサートで飲み会をさぼりました」と、いまここにこうして書いていると「わたしはこれで会社をやめました」と言う禁煙パイポのCMを思い出した。

 今日は快晴で日が当たるものには影ができて、だから世の中の陰影が増していて、それって基本的に写真に撮りたくなる光景が増加していることになる。そこで茅ヶ崎から東京まで750円を払いグリーン車に乗り、そういう光と影がたくさん入り混じっている車窓風景をたくさん写真に撮った。そんなのがこんなの(上や下の写真)。

 で、ジャクソン・ブラウン。知らない曲の方が少し多かったがやはり昔聞いた曲になると懐かしい。ザ・バンドなんかは若いころから途切れることなく聞いていたが、ジャクソン・ブラウンは30歳くらいからぴたっと聞かなくなっていて、ここ一、二年してまたぞろときどき聞き始めた。そう言う経過があったせいか、悲しみの泉、とか、孤独のランナー、とか、ディーズ・デイズ、とかが歌われると自分が思いもしていなかったような、喪失感を伴った感動にとらわれるのだった。三十年前に聞いて、いまそれを聞いて、だけど同じ時間が流れたら私はもう死んでいるかもしれない、なんてことも考えてしまう。時間の速さや長さを感じる一方、記憶がそういうこととはあまり関係あるということに気付くような。

 コンサートが終わり帰り道を急ぐ人々の列にまぎれつつも孤独な感じがつきまとう。こんな感覚を犀星が詩にしていたようにも思うがあいまいだなあ。
 周りにいた若者のはなし。「まわり爺さんばっかじゃん」「そりゃあ、ジャクソンブラウンはそうだろ」「なんか(からだ揺すっている)リズムずれてんの」「倒れるんじゃないかって感じの人もいた」。
 まあそうです。

 三軒茶屋の味味味でちゃんぽん850円を食べて帰る。