天日に干す


 昨日、歯医者で歯石除去の間、診察台に横になりつつも緊張して四肢が強張っていたということなのか、今日は腰痛。なんだか、ここのところ、このブログには肩凝りだとか腰痛だとか頭痛だとか、そんなことばかり書いている。情けないねえ。それでもとぼとぼと、いつものごとく、歩く。辻堂駅近くの古書店の100円の棚から谷川俊太郎詩集「手紙」、山田稔著「スカトロジア」の二冊。

 本は買うも、本をじっくりと読む時間があんまりない。でもこれは、そういう時間を作らない自分が悪いとも言えるのだろう。

 辻堂駅近くの住宅街をうろうろと気の向くままに歩いている。写真を撮るために立ち止まったり引き換えしたりすると、ただの通行人とは違うと察する犬が吠える。犬も賢いね。
 こんな風に唐辛子って天日干しするものなのですね。どこかの家だったか料理屋だったかの玄関先。

 1/9のブログにちょこっと書いた十文字美信氏の記事の中で、写真家は風景写真について・・・
『(風景写真にとってベストといわれている一瞬を追及するアプローチは)写真よりも本当の風景の方が勝ると思ってしまったんですよ。たとえば、その場を流れる風や匂いも写真からは出せません。温度や湿度を伝えることもできません。「この写真なら、じっさいの風景のほうがいいのでは?」とだけは思われないような写真を撮りたいではありませんか。であれば、見えている風景をそのまま切りとる写真よりも、自分がそこに初めて向き合ったときの「気持ち」を大切に撮りたいと思いました。(中略)たまたまそのとき出会った光の状態で風景を撮っていくとどうなるだろうか。自分がそのときその風景に出会った喜びや、感想みたいなものがそのまま写真にならないだろうか。』(キヤノンフォトサークル12月号より)と言っている。なるほどそういうことだよなあと思う。
 注)()内は私が要約して書いたもの