HOKKAIDO


 南青山のギャラリーRATHOLEで森山大道「HOKKAIDO」をやっていることを、今朝、ネットで調べて知る。三軒茶屋に用事のある妻と一緒に家を出て、妻の用事が終わるまでのあいだ、その写真展と三軒茶屋中央劇場で映画「同窓会」を見ることにし、久々に都内に出かける。
 写真展HOKKAIDO、圧倒される。森山大道が1970年代後半に北海道で撮った写真を二段掛け三段掛けで、ぎっしりと並べてあり、その一枚一枚から、私は、吹きすさぶ強風のなかに立ち尽くしているちっぽけな身体のように、心が翻弄される(すごい比喩だな)。森山大道がこういう写真をずーっと時間とともに残して行ってくれるのなら、私のような、(あるいはあなたのような、)なにやら小難しいことを言っては力のない写真を残している大勢の人たちにはもうカメラなんていらないんじゃないか、森山大道に全て任せ、彼の作品を見ていればそれで全て事足りるのではないか、って、いや写真を目の前にしているときは本当にそんな風にさえ思った。私の場合、このブログを読み返せばばれてしまうけど、須田一政だったり鈴木理策だったり柴田敏雄だったり山本昌男だったり、あるいは須田塾仲間の磯部さんや尾崎さんや木村さん(おっ!女性ばかりだ)だったり、写真展の会場ですっかり酔いしれてしまい、良かった良かった、と連発してしまうという、批評をするにはあまりに「しきい値」が低くてどれもこれもみんないいと思う方。でも感動することが多いことは感応の幅が広いってことかもしれないなどと納得しているし、勿論つまらないものはつまらない。とかなんとかぐちゃぐちゃ書いているけど、何が言いたいかというと、いままでも森山大道の写真展は何回も見たけれど、それらと比べても、今日見たHOKKAIDOはたまらないほど心がかき乱された。どうしてそうなるのか?を考えるに、それが私が20代前半だったころの写真で、いやおうなく人にとって最も影響を受けざるをえないハイティーンから二十代前半のころの風景が並んでいるわけで、一枚一枚からその当時の社会的雰囲気とかが滲み出ているからのように思った。もっと簡単に言うと当時の風が吹いている。きっとここまで写真から共鳴してしまうことは、会場に来ている若い子達には出来ないのではないか。批評や分析はできても。躍動しているし、動いている。何が動いているというのか、こちらが動かされるというのか。ブルースだなあ、昭和歌謡だだなあ、片岡義男の小説だなあ。(と、こんな風に浮き足立って書いているとどっかの誰かのブログ収集ページに引用されて、馬鹿にされたり高笑いされたりするかもなあ)
 映画「同窓会」。とても楽しめる。主人公が勘違いしていること、観客には早々にわかるけれど、それでも笑いとともにその真剣さにぐっと来るようなところがいい。東京から長崎に主人公が移動する場面で、羽田で飛行機が離陸するシーンに続き、長崎の海を高台から見渡したような晴れた俯瞰光景が続くということで場所の展開を示唆する手法って、すごく懐かしい。そのありきたりな場面展開も今となっては、使い古された臭さを通り越しレトロでいい感じを覚える。永作博美は魅力的だなあ。
 楽しい日曜日でした。